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終わりの日

 庭園を散歩したあと、アナスターシアは眠くなってしまい、部屋に着くとすぐに眠りこけてしまった。


 一方、フィルは数少ない使用人達と夕食の支度をしていた。

 使用人たちはアナスターシアとフィルの関係を知っていたが、余計な口を挟むことはなく、ただ若いふたりを見守っていた。


「フィル、そろそろハワードさんが食材を届けに来る頃だから迎えに行ってやってくれ」

「はい」


 ハワードというのは歳の割に元気な年寄りのことで、アナスターシアが領地に来る前からこの屋敷に食材を届けていた。


最近は腰を悪くしてしまって、屋敷の中まで食材を届けることが出来ないためフィルや他の使用人たちが門の所まで出向いていた。


 フィルは濡れていた手を掛けていたサロンで拭いた。そして小走りで正面の門まで向かった。




「よう!フィル、最近のお嬢様との仲はどうだ?」

「ちょっとハワードさん、誰から聞いたんですか」

「そりゃあ、お前……壁に耳あり障子に目ありってやつだろ」

「全く……」


 フィルはわざわざ隠すことはしなかったし、否定もしなかった。彼女との仲を認められているようで嬉しかったのだ。


 フィルは慣れた手つきでハワードが差し出した注文書にサインした。


 最初は読めなかった文字も、アナスターシアが教えてくれた。文字の書き方も彼女が教えてくれた。

 

 フィルは自分が何か成し遂げる度に彼女に傾倒していくのだった。

 注文書に書かれたバルフォアの文字を撫で、フィルは微笑んだ。

 

「じゃ、また明日来るわ」

「気を付けて帰ってくださいね」

 ハワードはフィルの呼び掛けに右手を軽く挙げて返事をした。そして連れて来た馬に荷車を引かせて帰って行った。



 フィルは、置いていかれた食材を持っていこうと屈んだ時、人の形をした影がフィルに落ちた。

 

「大変そうだけど、手伝おうか?」


 後ろをむくと、紫色の目をもった人の良さそうな青年が佇んでいた。

 フィルには教養がなく、紫色の目が何を意味するか――紫色は王家の証であることを――知らなかった。

 

 ただ、フィルには彼が貴族だということだけ分かった。


 アナスターシアに誰かが訪ねてくるわけが無いと知っていたフィルはその男を警戒した。

 

「お気遣いありがとうございます。ですが、これしかありませんので大丈夫でございます」


 そう言って、フィルは軽々と食材の詰まった箱を持ち上げた。


 その青年は笑みを深め、フィルの肩に腕を乗せて馴れ馴れしく話しかけてきた。



「最近、お嬢様が領地に来たらしいけど……まだ居るの?」

「いらっしゃいますよ」

「じゃあ彼女に会えるかな?」

「ただいまお眠りになっているので、本日は難しいかと思われます」

「へえ」


 青年は気の抜けた返事をした。そして、フィルに問いかけた。


「領地に来る時に連れて来た使用人と恋仲って、本当?」

「…………」


 まさにフィルのことであった。フィルは見透かしてくるような彼の瞳に怖気付いたが、明朗に言った。


「さあ、僕は下っ端ですから……よくわかりません」


「嘘でしょ」


 フィルは青年の腰を見た。そして帯剣していないことを確認し、姿勢を低くして彼の腕から逃れた。



「申し訳ございませんが、本日はお引き取り願います。また後日いらっしゃってください」

 フィルは荷物を置いて、丁寧にお辞儀をした。




 頭を上げた次の瞬間、フィルの目の前にはその青年がいた。

「君は隙だらけだ」




 胸に走った激しい痛みに、フィルは恐る恐るその箇所を見た。

 


 短剣が根元まで胸に突き刺さっていた。

 フィルは痛みと衝撃に膝から崩れ落ちてしまった。


「それに、頭が足りないね」

 青年は膝をついたフィルの頭を小突き、屋敷の中へ無遠慮に入っていった。



「ア、アナスターシア……」

 フィルは身動きの取れないまま、愛する人の名前を呟いた。





 

 アナスターシアが目を覚ますと、既に外は真っ暗になっていた。

 夕食の時間はとうに過ぎているはずなのに、誰も起こしに来なかったのかと辺りを見回した。


「起きた?」

 フィルの声でも、使用人の声でもないその聞き馴れない声にアナスターシアは身構えた。

「だ……だれ?」



 真っ暗闇の中、その声の主は立ち上がって彼女の目の前まで近付いた。


 彼女の頬を片手で掴み、無理矢理自分の顔を見させた。


「見覚えはない?」

 


「…………グ、グレアム、殿下……?」



 グレアムはその答えを聞くと満足して、掴んでいた手を離した。

 

「俺のことはちゃんと覚えてたんだ。男にうつつを抜かして忘れてしまったのかと思ったよ」


 アナスターシアは棘のある物言いに反論しそうになったが、グレアムのただならぬ様子に口を噤んだ。

 グレアムは獲物を虎視眈々と狙うような眼光の鋭さをしていた。

 アナスターシアはそのグレアムの目を見ると恐ろしさで俯いてしまった。


「そういえば、ここに来る途中に生意気な使用人がいたな……若い、黒髪の」



 アナスターシアは顔を上げて、グレアムを見た。醜悪に口を歪める彼はアナスターシアだけを見つめていた。

 


「彼を、どうしたの……」

 

「君の目で確かめてみなよ。玄関前にいるよ」



 グレアムはベッドの上にいるアナスターシアの腕を掴み、無理矢理立たせた。

 

 恐怖と不安で足に力の入らないアナスターシアは倒れかけたが、グレアムが咄嗟に腰に手を回して支えた。

 

「危なっかしいなあ」


 虚ろな目をしたグレアムに粟立ったアナスターシアは彼の手を振り払い、自分の力で地に立った。

 アナスターシアはグレアムをきつく睨むと、急いで玄関に駆け出して行った。




 ピッタリと閉められた玄関の扉を開けようとすると、扉が何かにひっかかった。

 

 アナスターシアは少し開いた扉の隙間から、何が引っかかっまでいるのか確認した。


 

 それは人間の形をしていて、すこし痩せた、黒髪の――


 


「フィル!!!!」


「へえ、そいつそんな名前なんだ」


 後ろからゆっくりと近付いてくるグレアムに気付くことなく、アナスターシアは扉の先にいるフィルに手を伸ばした。


 しかしそれはグレアムによって阻まれた。

 

「死体は汚いだろ」


 アナスターシアは声にならない悲鳴を上げた。


「フィル、フィル……また…………」

 彼女は綺麗な金色の瞳から大粒の涙を流し、愛した人の名前をしきりに呟いた。


 グレアムは壊れてしまった彼女を横抱きにして、乗ってきた馬車へ彼女を連れていった。

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