幕間 2
紅蓮との戦いが終わった翌日。その日は雨が降っていた。
日が差すことはまったくなく、照明を点けなければ日中でも暗いほどだ。
暗い朝の時間、神代神奈は診療所にいた。
「兄さんは、いつ起きるのだろうか」
独り言ちる神奈。彼女は寝室のベッドで起きてこない男――神皆葉を見守っている。
昨夜、竜律華によって神奈と皆葉は、診療所にまで送られていた。
全力を出し切ってしまったため、皆葉は熟睡しきっており、通常なら7時になったら目覚める皆葉だが、9時を過ぎても未だに起きていない。
「さあ、どうしようか。兄さんが眠ってるから外には出られないし」
頭を傾けて悩む神奈。ふと、よろしくない発想が彼女の脳裏に浮かんでくる。
「…………なら」
クスリと邪悪な笑みを浮かべて、皆葉の上に跨る。神奈の顔と皆葉の顔が近づいていく。
「……………………起きない」
顔を離して皆葉の反応を見るが、起きる気配が見えない。
「なら、もう少し調子に乗りますか」
神奈の手が皆葉のシャツに伸びていく。一つずつ丁寧にボタンを外し、素肌を晒す。
「さあ、汗を拭きますか」
タオルを手に、神奈は皆葉の身体を拭いていく。起こさないよう、ゆっくり丁寧に手を動かしていく。
「…………」
次第に、神奈の顔が少しずつ紅潮してきた。
加減していることもあるだろうが、皆葉は一向に目覚めるそぶりを見せないことに、半ば喜びを抱きつつ、神奈は
「……まだ起きない。兄さん。そろそろ私も、我慢できなくなってきました」
自分の上着を脱いで半裸になった。
「兄さん。起きないと、どうなっても知りませんよ?」
再び口付けをしようと顔を近づけていく。すると、
「んん!?」
突然、神奈の口に皆葉の舌が絡みついてきた。
「んー!?」
突然の反撃に、口を離そうとする神奈。だが、いつの間にか皆葉の腕が神奈を固定しており、抜けられない。
「……」
一方、皆葉は瞳を開いていた。冷ややかな眼差しのまま、神奈への凌辱を続けていく。
「んーー!」
(どうして、兄さんがこんなことを……仕方がない!)
躊躇するが、神奈は魔術に訴えることにした。幸いにも手は拘束されていないので、魔術の行使に問題はない。
(ごめんなさい、兄さん)
両手を皆葉の腹に押し当て、“天”の力を発現させた。電撃が両手から皆葉の身体に流れていく。
「……!?」
たまらず、皆葉の拘束が緩んだ。その隙に、神奈はベッドから抜け出すことに成功した。
「すうー、はあー……」
あわてて深呼吸をして、酸素を補給する神奈。何度か繰り返して息が整ってきて、ようやく皆葉の様子を伺うことができた。
「……兄さん、大丈夫ですか?」
恐る恐る、皆葉に近づく神奈。すると、
「酷いじゃないか、神奈」
すっと起き上がり、冷たい眼差しで神奈を見据える皆葉がいた。
「自分から襲ってきておいて、いざ反撃されたら、暴力……いや魔術に訴えるのか?」
「そ、それは」
「『兄さんがどんな風になっても、私は兄さんを愛します』って言ったのは、誰かな?」
「う、うう……」
「嗚呼、僕はひどく傷ついたよ。誰かに慰めてもらわないと。ああ、そうだ。彼女なら、きっと無抵抗で受け入れてくれるだろうな」
頭を抱え、感情を吐露しているように振る舞う皆葉。話しているのは間違いなく、神奈がこれまで接してきた神皆葉だが、少し、神奈には違和感が芽生えてきた。
「……彼女とは、誰のことですか?」
「そうだなー。円麗だったら、僕を受け入れてくれるだろう。水無月メイも、僕が屈服させれば、多分言いなりになるだろうさ」
「……」
違和感が大きくなってきた。自分とのやりとりで、多少演技臭いやりとりをすることはあっても、ここまで露骨なのは、神奈が知っている『神皆葉』という男らしくない。
「どうした、黙り込んで。それとも、あらためてさっきの再開をするか? いきなり大好きな皆葉に襲われて、驚いて反撃しただろうが、そろそろ決心もついただろう?」
「…………」
神奈は応えない。ただ、冷ややかな眼差しで皆葉を見据えているだけだ。
「決心がつかないか。なら、僕からしようか」
立ち上がり、皆葉は神奈の顔に手を伸ばす。手が触れようとしたところで、神奈は突然吼えた。
「いい加減にしてください、彩破さん!」
一閃。神奈の手が皆葉――いや彩破の手をはたいた。
「くっくっく……ようやく気が付いたか」
ベッドから立ち上がり、彩破は神奈の眼前に立つ。いたずらが成功して喜ぶ子供のように、健やかな笑みを浮かべながら。他方、神奈の形相はそれとは対照的になっている。
「何のつもりですか」
「何のつもり? それは、私のセリフだぞ。さっきも言ったが、お前は神皆葉がどう変わろうと愛するのではないのか?」
「それは、あくまで兄さんが変わることを指して言っただけです。兄さんが変わらず、貴方というよく分からない人格がいるだけなら、貴方を愛さなければならない理由はありません」
「ほう?」
神奈の答えに、楽しそうな笑みを浮かべる彩破。
「なるほど。残念だな。私だって、『神皆葉』には変わりないのにな。だが、お前は私は愛さずもう一人の僕しか愛さないと」
「当然です。貴方だって、私のことなんて……いえ」
「貴方は誰にだって興味がない。違いますか?」
「…………なぜそう思う?」
「貴方という人格が生まれた経緯と、これまでのやりとりから判断しました。
貴方は、兄さんのマイナス面から生まれた人格。他人に憎しみを抱くことはあっても、好意を持つことなんてない。あるのは、ただ自分にとって利用価値があるか否か、それだけでは?」
核心を突くように、神奈は彩破に自身の推理を示す。
「……まあ、否定はしないさ。私は、皆葉のマイナス面の感情と神霊どもの気まぐれによって生まれたイレギュラーな存在。あとは、魔術師らしく打算で物事を考えるだけとも言える。
だがな、基本的に『神皆葉』が経験したことは私にも入ってきている。当然あいつが何か感情を持てば、私も相応な感情を持つさ。だから、『神皆葉が他人とどう関わってどんな変化を見せるか』という点に興味はある。故に、私は他人に興味がないとうわけではないし、そもそも私はお前に好意はあるさ」
「それは、兄さんの反応が面白いからですか?」
「いかにも。あいつはこれまで経験してきたことのない事象に遭遇して、様々な感情を持つようになってきた。まあ、それはお前というよりは他の女のおかげだとは思うが」
「……円麗さんですか」
「じゃないか? お前があいつを束縛していた頃には、あいつが楽しそうにしていたことなどなかっただろう」
「……」
「だから、たとえお前にとって気に食わなくても、排除することはおすすめしないぞ。そうすると、私も楽しみがなくなって『神皆葉』として活動したくなりそうだし」
「……なるほど。貴方は、麗さんがお好きと?」
「いいや。お前がさっきも言ったように、基本的に私自身は他人への興味がない。まあ、あいつ自身は好意を持っているがな。ともかく、そろそろ私を休ませろ。お前が襲ってきたせいで、無理やり起きたんだからな。昼飯ぐらいになったらあいつの意識も目覚めるだろうから、その時に話せ」
「分かりました」
踵を返して、神奈は寝室を後にしようとする。
「ああ、そうだ。こいつは忘れものだ」
「何ですか?」
神奈は振り返ると、彩破が何かを投げつけてきた。神奈が両手キャッチしたそれは、自身が身に着けていたイヤリングと、皆葉から貰った指輪だった。
「じゃあ、昼飯を大量に用意しておいてくれ」
そう言うと、彩破はベッドに潜り込んでいった。
「……やれやれ」
静かに扉をしめて、神奈は寝室を出ていった。
足音が遠くなってきたところで、彩破は独り言ちる。
「あいつは、魔術媒介がないのに魔術を行使した。“神の道化”でもないのに。竜律華が魔術を行使できる理由も定かではないが、あいつも竜律華と同類なのか」
神奈を拘束している瞬間、彩破は神奈からイヤリング――魔術媒介を奪っていた。害意はなかっただろうが、念のための処置だ。だが、彩破は魔術媒介がないにも関わらず、魔術で彩破を撃退した。
「あるいは……まあいいか」
いずれ謎は解けると、疑問を振り払って彩破は眠ることにした。




