生命のはじまり、火の襲来 第2章ー4
「あ、あ……」
刺した男は、ナイフを手放していた。虚勢を張ってはいたものの、実際に人を刺したことはないのだろう。取り返しのつかないことをしでかしたことに、震えている。
「さーて、俺たちは関係ないからな。お前たち、行くぞ」
「う、うーす」
ナイフを収納して、皆葉を刺した男以外の連中が、その場を後にしようとする。
「ちょ、リーダー!」
刺した男が、リーダー格の男にすがりつく。
「何だ? 殺ったのは、お前だ。俺たちは関係ない」
「そ、そんな! 俺は、あんたが命令したからやったんだ! だったら、あんたも、みんなも、責任とれよ!」
「知るか!」
リーダー格の男は、すがりつく男を蹴り飛ばす。他の舎弟たちと共に、出口へと歩いていく。
「ふざ」
「なにふざけたことを言ってんだ、貴様ら?」
刺した男の声が、より大きな声にかき消された。一斉に、その声の主に視線が集まる。
「貴様ら全員、連帯責任でGUILTに決まってるだろう?」
倒れていたはずの男が、平然と立っていた。ナイフを腹から引き抜き、投げ捨てる。そこからは、一滴たりとも血は流れ落ちてこなかった。
「さあ、丁重なるお返しの時間だ。満足に帰れると思うなよ?」
その表情は、獲物を前にした獣のように、歪んでいた。表情だけでなく、その双眸までも、変化していた。
右目だけではない。左目までもが、異なる色――鮮やかな緑色へと。
* *
それから数分間。屋上では一方的な劇が繰り広げられていた。主演が脇役たちを丁重に持て成し、成す術もなく倒していく、一方的な殺陣。
主演を刺した男は、その演技を見て、凍り付いていた。動きが常人離れした、ある種の美しさがあるからだけでない。どちらかというと無表情だった彼が、嬉々として舞台の上で暴れまわっていることに。
そして、刺した男もまた、主演の演技に魅了されていった。
* *
「先生、急いでください!」
円麗は竜律華をつれて、屋上へと駆け上がっていた。
皆葉には制止されたものの、彼の安否が気になり、竜教師の助けを得て後を追いかけている。
「シン君!」
屋上の扉が勢いよく開かれる。そこには、
「…………」
不良たちが血反吐を流しながら倒れていた。輪を作るように整列しており、中心にいる人物に謝っているかのように、いや、彼を崇めているかのようにひれ伏している。
そして、その中心には、彼に因縁をつけてきた男を見下ろす、神皆葉の姿があった。
「シン……君?」
「…………まどか、さん? あ、え?」
言われて、皆葉は麗を見やる。その時、自分の下にあるものに気づいた。綺麗に倒れている不良たちを見て、驚いている。
「シン君……それって、どうしたの?」
「あ、その……気が付いたら、こうなっていて」
どうして不良たちが寝転がっているのか、その釈明をしようとするが、突然すぎて満足な回答ができない。しかし、
「そうじゃない! その赤いの!」
「赤いの? ……あ」
ようやく、麗の言いたいことに気づけた。不良の一人に刺されて、出血したのだ。患部に手を伸ばしてみる。
「う……ん。別に、何ともないみたいだけど」
鮮血で汚れた制服をまくり上げてみるが、汚れているだけで、身体にはかすり傷一つすらない。
「うそ! それだけ血で汚れているなら、何もないはずが」
麗が駆け寄る。地面で這い蹲る不良たちが邪魔なので、皆葉をつれて屋上の端へ皆葉をつれていき、床に座らせる。
「……本当に、何ともない」
麗もまた、赤く汚れた箇所を探ってみるが、特に異常は見られなかった。しかし、一点だけ異変があることに気がつく。
「怪我はなさそうだけど、その目、どうしたの?」
「目? どこか変なのか?」
「うん。これで見てよ」
麗は鞄から手鏡を取り出し、皆葉に渡す。鏡を使って、右目を見る皆葉。そこには、
「なんだ……これは」
十年以上も見ていなかった右目。そこには、左目と同じ黒眼ではなく、碧眼があった。
呆然と、皆葉は鏡を見つめ続ける。だが突然、鏡にも異変が起こった。鏡に写るもう一人の自分が、笑ったのだ。
「わけが、わからない……ぐああああ!」
狡猾そうな笑みを見た途端、激しい頭痛が走る。皆葉は倒れ、のた打ち回る。
「シン君! どうしたの!?」
「痛い、痛い!」
頭を抱え、叫ぶ皆葉。しかし、痛みは治まらず、それどころかさらに激しさを増していく。もはや、正気を保てそうな範疇にない。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、あああああああああああああああ!」
「シン君! シン君!」
涙を滲ませながら、皆葉の身を案じる麗。だが、彼女にはどうすることもできない。そこへ、
「どけ、円麗」
しがみつく麗と皆葉との間に、竜教師が割り込んできた。その表情は、これまでのようなほんわかしたものではなかった。眼鏡を外し、知的さを滲ませたクールな美女、という印象が、今の竜教師からは感じられる。
彼女は麗を引き剥がし、皆葉の容態を診る。数秒、竜教師は皆葉を見つめる。そして、
「分かった」
一言、つぶやいた。竜教師は皆葉の額に手を当てる。その途端、皆葉の動きが止まった。安らかな寝息を立てながら、眠りについている。
「律華先生? 一体、何をしたんですか?」
「……さあ、何でしょうね。先生にも、秘密があるんですよ、円さん」
眼鏡を掛け、元の竜教師に戻った彼女は、皆葉を抱き抱えて、歩き出す。
「先生、よく持てますね」
「ええ。先生は、力持ちなんですよ。さて、円さん。私は、彼を保健室にまで連れて行くので、あなたは教室に戻ってください」
「いえ、私も行きます」
「あなたが彼の裸を見たいというなら止めはしませんが、どうです?」
「は、裸!?」
麗の顔が、りんごのように赤くなる。
「さすがに、恥ずかしいですよね。だったら、私に任せて、後で様子を見に行ってあげてください」
笑顔を見せて、竜教師は歩いていく。途中まで同じ道を歩くので、麗も彼女に同行する。
* *
世間話をしながら、二人は階段を降りていく。そして、別れ際に竜教師は一言。
「円さん。スキンシップは有効な手だけど、裸を見るぐらいで慌てふためいてたら、この子は落とせないですよ」
「べ、別に私は、そんなつもりじゃ」
「そうなんですか。先生、勘違いしちゃいましたか。ま、いいですけど。それじゃあ、勉強頑張ってくださいね。普通の学生は、勉強するのが仕事ですから」
竜教師はさらに階段を降りていく。
(一体、あの先生はどういう人なのかしら)
麗には、いくつも疑問が浮かび上がってくる。痛みに苦しむ皆葉を、手を当てただけで落ち着かせた竜教師。さらに、先刻の話しぶりからして、昨日初めて顔を合わせたわけではないようだ。
(それに、シン君はどうやって、あの不良たちを倒したのだろう)
麗が駆けつけた時には、既に5人の不良は倒れていた。普通に考えれば、彼一人だけで撃破できるはずもない。
他にも疑問はあるが、麗は教室へと戻っていった。




