芸術家のアトリエ
温泉のあるホテルに一泊した後、私たち4人はいよいよアオイさんの目的地へとやってきました。
観光ではなく完全な移動オンリーなため、アオイさんはズルをして"移動"の魔法を発動しました。
今度は観光なしで完全に移動だけで3時間もかかると聞けばそりゃ賛同しますって。
ただ、途中でスマホが欲しいと言い出したアオイさんのために、ショップに寄って契約してきました。
・・・ゼットさんが零児さんの名前を使って2台も契約です。
日本語の読み書きできないはずのゼットさんは、『相楽 零児』の名前と住所と郵便番号と電話番号のアラビア数字だけマスターしていました。
日本生まれ日本育ちの私より美文字だったのはなぜでしょう。
移動よりもショップの手続きと説明が長かったです。
*
「一年置いてあったら、やっぱりダメね。完全にバッテリーあがっちゃってるわ。」
アオイさんが家の中から車のカギを出してエンジンをかけると、車はウンともスンとも言わず完全に停止状態を保っています。
「バッテリーに軽く雷でも流すか。」
とんでもない提案をするアオイさん。
「爆発したらこわいのでやめて下さい!・・・そうだ!"癒し"をかけてみたらどうでしょう。携帯のバッテリーを充電できるなら車も使えるんじゃないですか?」
「ナイス!亜莉紗ちゃん!」
次にアオイさんが運転席に戻った時にはエンジンがかかりました。
「じゃあ、運転お願いね♪」
運転席から屈託のない笑顔でお願いしたアオイさんに「私、ペーパーでピカピカのゴールドですよっ?"移動"の魔法でいいじゃないですかっ!」と慌ててお断りします。
「冗談よ。こっちにこのまま放置する訳にもいかないから今は"収納"に入れて帰る前に売るか廃車にしてくるわ。」
アオイさんがバンとドアを閉めた瞬間に、そこにあった車は嘘のように消え失せました。
*
アオイさんが前に住んでいたこの家は、とある芸術家がアトリエをして使用していた売り物件を購入して移住したそうです。
水道・ガス・電気はあるけれど、薪が標準のかまどとお風呂(五右衛門風呂)。
照明はオイルランプでこだわりの家です。
・・・そう思っていたら、ティルディグの不便な生活に娘さんを慣れさせるためにこういう仕様の家にしたとか。
昔はトイレは汲み取りのぼっとん式で水洗のものや"浄化"式のものはなく、洗濯にしても灰汁を混ぜた水の上澄みを使い今のような石鹸すらなかったそうです。
当時は紙も高価で、アオイさんは紙を作ってみたり向こうの生活を豊かにするため、いえ自分の生活を楽にするために色々学んでいたとか。
「私には50年ぶりだけど、こちらの時間だと1年しか経っていなかったのね・・・。」
閉め切られた室内には一年分の埃とおぼしき汚れだけ残されていて、他には誰もいませんでした。
「シオンが住んでいる気配もないから、一緒に転移したと思うんだけど・・・。ティルディグじゃない国に行ったのかしら。」
アオイさんの指が棚の上に置いてあった写真立てのガラスの埃をつっとぬぐいます。
ガラスは少し埃で曇った程度で、そこにアオイさんとゼットさんにそっくりな零児さん。そしてアオイさんに似た若い女の子が写っていました。
「ゼット。これがあなたの伯母のシオンよ。どこかであったら私の元に連れてきてね。」
「お祖母さま。顔を見て間違いようがありませんね。・・・ここまで似ているなら人の口にのぼると思いますよ。」
ゼットさんが写真立てを手にとり「"浄化"」と唱えると、部屋の中の埃ごと汚れが一掃されました。
・・・便利すぎる!
"光"の次はぜひ"浄化"も覚えたい!
「・・・シオンは突拍子もないことをする子だから、信じられない変装くらいはしかねないわ。」
アオイさんがクスリと笑います。
「お祖母さまの血を濃く受け継がれたのですね。50年も音信不通ならば既にティルディグにはいないのではないでしょうか。」
「"悪夢の苗床"のような魔物が生まれる場所に飛ばされたのかもしれないわね・・・。」
しばらくしんみりとした様子で写真を見つめていたアオイさんは、数秒目を閉じて次に目を開いた時には打って変って明るい雰囲気になりました。
「さっ、亜莉紗ちゃんは私と魔法の練習をしましょう。あなたたちは好きにしているといいわ。」
さっきから"亜莉紗ちゃん"呼びになった私は、もうそれを受け入れるしかないようです。
アオイさんは自由な人だなぁ・・・。
「・・・あの。もしよろしければ私にも一緒に魔法を教えていただけないでしょうか。」
私の横にファンが立って頭を下げました。
「ファンはもう魔法が使えるんじゃなかったの?」
「この前タムじいの所で『その様子じゃまだまだ伸びるから少し勉強してみろ』と言われた。今まで独学だったから正式に習ったことがなくて・・・。」
独学で魔法が使えるものなの?!
「マエジャーマ家では家庭教師もつけてくれなかったの?」
「・・・あそこでは私は存在しないも同然でしたので・・・。使用人や兄達は良くしてくれたのですが・・・。」
ファンは言い淀むと、さらに頭を下げた。
何か聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がします。
「・・・いいわ。亜莉紗ちゃんに教えるついでに教えてあげる。顔をあげなさい。私は堅苦しいのは嫌いよ。」
「ありがとうございます!」
ファンは顔を上げるとアオイさんの両手を握りしめぶんぶんと振った。
「ゼットに聞いたけど、2年でBランク冒険者なんでしょう?それでいて魔法を独学ってすごいわ、努力家なのね。」
「いえっ、たまたま運が良かっただけです。ナガラー様に褒めていただくほどではありません。」
ファンは年相応の微笑みを浮かべています。
うっ、やっぱり若いっていいわね。笑顔もキラキラしてる!
そのやりとりを見ていたゼットさんはちらりを私を見ると「アリサ。そいつは祖母にまかせて俺が教えてやる。」と腰をさらいました。
「えっ、遠慮します!」
ダメ、絶対。
前に何が起こったか覚えてないとは言わせませんよ!