四章七話 戻らない荷車
《辺境者の歌》 四章 七節
『戻らぬ荷車の轍は、記録の余白を広げる。』
2374- 王都外縁詰所 ベイル視点
荷車は、戻らなかった。
人は戻った。
その二つは、同じ報告欄に入らない。
ベイルは詰所の机に座り、濡れた外套を肩にかけたまま、相談票を見ていた。正式依頼票ではない。被害届でもない。誰かが「これはまだ事件ではない」と判断した時に使う、半端な紙だった。
「積み荷は」
「食料袋が三、工具箱が一、替え車輪が一」
「替え車輪もか」
「はい。外れた方ではなく、積んでいた方です」
それは嫌な話だった。
壊れた車輪を直すための車輪まで失った、ということになる。
ベイルは欄外に小さく書いた。
予備喪失。
字にすると冷たい。
でも冷たく書かないと、次の人間が読めない。
✶
戻ってきた御者は、椅子に深く座れなかった。
腰を下ろすたび、体が勝手に浮く。まだ荷台の揺れが残っているのだろう。目は机ではなく、詰所の出入口へ向いている。
「追われたのか」
「見えませんでした」
「見えないものに追われた」
「音はしました。後ろで、木が割れる音が」
魔物か、人か、車両か。
そこを聞かなければならない。
聞いたところで、御者が答えられるとは限らない。
「匂いは」
「油です。焦げた油。あと、濡れた布みたいな」
ベイルは、相談票の分類を一つずらした。野盗ではない。魔物単独でもない。
誰かが道具を使っている。そこまでしか書けない。
✶
「羽黒のところへ回すか」
同僚が言った。
ベイルはすぐには頷かなかった。
何でも羽黒に回せばいい、という空気ができかけている。
それは楽だ。
楽だが、危ない。
名前が通りやすくなると、人は中身を見なくなる。
「先に道を見に行く」
「誰が」
「俺が行く」
「お前、現場は」
「相談票を書いた人間が、紙の外を見ていないのはまずいだろ」
そう言うと、同僚は黙った。
ベイル自身も、言ってから少し後悔した。
格好をつけるほどの話ではない。
ただ、戻らない荷車を紙だけで扱えば、次に戻らないのは人になる気がした。
✶
夕方、詰所の外に出ると、雨はやんでいた。
道には、荷車の轍が途中まで残っている。
途中から先は、泥が崩れて線が消えていた。
ベイルは膝をつき、指で泥を押した。柔らかい。車輪だけなら沈む。人の足なら、逃げられる。
だから人は戻った。
荷車は戻らなかった。
その順番を、相談票の一番下に書くことにした。
原因不明。
ただし、次の荷は減らすこと。
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