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シチリー王国と自由州連合が戦端を開いてから一年の時が過ぎた。
ガンメルゼフィーアは遠間にミランを見下ろせる山の上から、人々の営みを取り戻した街を眺めつつ、やり過ぎたかしらと自らが築いた城塞を見て思考を巡らせる。
さて、北サヴォイア軍団が崩壊し、再奪還したミランの掌握を命じられて季節はあっと言う間に一巡した。その間、軍人令嬢は新たに帝国領へ帰属することとなった都市を固守せよとの命令を真面目に受け取って、要塞化事業を忠実に行った結果が眼前に広がる再建された都市だ。
要塞化せよとの命令を受け取ったガンメルゼフィーアは、単にミランの城壁を厚くするだの空堀を掘るだのの、子供でも思いつきそな改築を行ったのではない。古代の都市国家に端を発するミランの街は、平原のど真ん中に存在していることもあり、どれだけ防備を固めたところで守勢に向いているとは言い難かったからだ。
故にミランそのものは復興するに留め、最大で二日、近場では砲が届く距離にある丘陵地や山の上に転々と新規の城塞を築かせたのだ。
その数、大小含めて四つ。全て相互に街道で連結され、何処が襲われても半日中には救援軍を派遣できるよう綿密に設計された防衛戦は、ミランを中心とした鉄壁の護りをこの地にもたらしていた。
これは駐屯している師団を暇させておくのも勿体ないし、初陣を華々しいという一言では足りない勝利で飾った彼女が父ジョルジュより、大任を果たすためなら予算に上限は設けないとお墨付きをちょうだいしたために行ったものである。
建材から労力まで全て現地民より徴発するようなことはなく、十分な炊き出しと酒肴、そして金を払ってミラン住民を働かせることによって、一度崩壊した経済を立て直すと同時に市民感情を慰撫することを目的に始まった要塞建築であるものの、ここが主戦線になる予定もないのだしやり過ぎたかとガンメルゼフィーアは少し反省した。
しかし、それが彼女に〝公平な女帝〟という誉れ名を市民から与えさえ、今日に至るまでの安定した占領を実現させたのだが。
とはいえ如何にラインランテが肥沃にして工業の発展した地なれど、さしもの父も逆さに振れば金貨が無限に涌いてくるツボを持っている訳ではない。西へ西へと逃げ去っていった合議王国軍が再侵攻をかけてくることはなかったため、一年かけて構築したミラン防衛用の要塞線は明らかにやり過ぎであった。
たとえこれから先、ここが帝国の最南端になるにしても、引き継ぎの将軍は偏執的なまでの仕事に「ここまでやらなくても……」と引くこと請け合いである。
「うん、でもまぁ、何かで役に立つこともあるでしょう」
いつミランを再独立させろと言い出すか分からない、シチリー王国軍を散々に打ち破って講和をもぎ取った自由州連合への牽制にもなるし、一度庇護下に入ったならば古帝国は徹底的に身内を守るというパフォーマンスにもなると自分を納得させつつ、いささかやり過ぎな防衛線に満足してガンメルゼフィーアは頷いた。
考えようによっては、ここは戦略的のみならず政治的な楔としても機能するのだから。
「師団長、ここにいらっしゃいましたか」
「あら、砲兵大尉」
「もう大佐です」
一人で頷いていた彼女に声をかけたのは、何処か死んだ目をしたナブリオであった。
よくよく見れば、彼が着ている軍服と軍帽は佐官用の物に代わっていた。
というのも、ガンメルゼフィーアが防衛線をどのように配置すればいいかを戯れに問うてみれば、ズバリ自分がやろうとしていたのと同じ配置を提案したナブリオ大尉を更に気に入って、もうこの際大佐に昇進させて師団を一個任せようと強引に引っ張り上げたのだ。
軍学校もちゃんと出ていて、地形を読めて戦術を立てられ戦略も理解できる人間を遊ばせておくなんて、あまりに勿体ないではないかとガンメルゼフィーアは考えたのだ。
その結果、軍人の本文が「他人にやられたら嫌なことを徹底的に貫徹する」ことであると理解しているナブリオは、要塞構築にあたっても「ここに塹壕があったら嫌だな」だとか「進行中に砲があったら死ねるな」と正しく相手が嫌がる設計案をポツポツ口にした結果、大半の作業に従事させれて幾つもの仕事を兼任。大事に酷使され続けて今に至る。
余談だが、あまりに多用されるためナブリオは一度、真剣にガンメルゼフィーアへ自分を使い潰すつもりかと問うたところ、良い笑顔と共に「馬鹿ね、こんな優れた軍人何度でも治して再利用しますわよ」と答えられた。
そんな煉獄に放り込むくらいならいっそ殺してくれと思ったナブリオであるが、出世と世界を掴む密かなる野望のために喰らい付くハングリー精神は誰にも負けないため、今も心がへし折れることなく軍務に邁進していた。
ただ、その目は死んだ魚の方が生気に満ちていることからして、労働環境の苛烈さは推して知るべしといった具合であるが。
「どうかなさいまして? 大体の問題は解決したと思いますけれど」
「本国から命令書が届きました」
「予備軍経由ではなく?」
ふむ、と用箋挟みにしまわれた上等な命令書を開くと、そこには予備軍の解散が決定したこと、再編成された北サヴォイア軍団が赴任するため交代するようにとのように書かれていた。
どうやら本国は無能極まるドナシアン将軍を重大な命令違反、及び独断専行による前北サヴォイア軍団の壊滅を理由に断頭台へ送ったらしく、新しい人事と徴兵を行って何とか壊滅した軍団の再編を終えたようだ。
同時に古帝国領土を侵犯しようとしたピレネア合議王国軍との講和交渉も纏まり、膨大な賠償金を絞り上げて満足のいく結果に辿り着いたようで、ようやく臨時で現地に縛り付けられていたガンメルゼフィーアを解き放つことができるようになったようだ。
元々彼女は東方軍団の所属。それが予備軍の判断で南方に釘付けにしてしまったこともあって、父ジョルジュは中央に大きな貸しを作りでもしたのだろう。軍団の再編成が済むと同時に急いで交代させたがるあたり、その利子が膨らむ前に愛娘を返却したいという空気が筆跡からも読み取れるようであった。
「ご帰還ですか、お祝い申し上げます」
「ありがとう、ナブリオ。というか、何他人事のように言ってらして?」
「はい?」
「貴方、とっくに東方鎮護軍に転籍になってるのだから、わたくしが帰るのなら貴方も帰るのよ」
「え?」
「え?」
しばらく見つめ合った二人であったが、やがてナブリオは油の切れた蝶番のような仕草で要塞群を指さしました。
「い、一年、一年かけて、あそこから、あそこまで、整備した俺が、また帰る? というか、俺の所属は中央即応軍団……」
「昇進させた時、とっくに家がもらい受けてますわよ。というか軍服の縁取りとかで気づくでしょ」
「や、やっとここの水と食事にも慣れてきたのに?」
「あらなぁに? 良い人でもできたの? それなら連れて帰ってしまえばいいじゃないの」
「そういうことじゃなくて!!」
おぁぁぁー、貴族人事ぃー!! と訳の分からないことを叫びながら頭を抱えて体を捻りまくるナブリオを後で軍医の所に連れていってやらねばと思いつつ、ガンメルゼフィーアは一体何が気に食わないのかと腰に手をやった。
大佐に昇進させてやったし、彼女の配下である以上、餓えさせたことがないのは当然である上――それでも胃弱らしいナブリオの痩せ犬めいた風貌は改善されなかったが――ラインランテに戻ったら新編の半旅団を任せてやろうというのに、一体全体何が気に食わないのか。
貴族に平民の心は分からない。この一年、ガンメルゼフィーアは青い血の流るる者として誰よりも働いたが、その働きに付き合わされたナブリオからすると勘弁してくれと思うのも無理はない話。
しかも、この女は襤褸雑巾のように使い捨てるのではなく、また繕ってちゃんと雑巾として使い続けると宣言したのだ。斯様な女の国元に連れ帰られて、新編の半旅団を編成するなど、一体どれだけの激務がのし掛かってくるか考えるだけでも弱い胃が絞り上げられるような気分にさせられる。
しかし、軍人に否を言う舌は与えられていない。いや、ナブリオは必要とあれば休暇を取ってでも気に食わない任務には従わないつもりであったが、この令嬢ならば「いやです」と言ったところで容れはするまい。最悪、郷里に逃げても迎えの人間が差し向けられるだろう。
ガンメルゼフィーアは軍服を纏っている相手には、敵味方問わず徹底的に無慈悲なのだ。
「さ、整然と凱旋する準備を整えなさいな」
「ああー……全てが急すぎる……」
どうすんだよもうと言いたげな顔を露骨に隠すこともないナブリオは、この一年の付き合いでガンメルゼフィーア相手に表情を取り繕う無意味さを学んだのだろう。しかし、体だけは軍人らしく正直に、撤退の準備を始めるべく規則正しく動き始めた。
その背を見送り、ガンメルゼフィーアは独り言ちる。
「一八六七名」
此度の戦で彼女の配下として死んだ者の数である。師団の一割近い人間が激戦の末に戦死し、壊滅した北サヴォイア軍団まで含めれば総戦死者数は万に達するであろう。
「わたくしは、ここに墓標を作りたかったのかも知れませんわね。勇敢な兵士達が散った名残を」
思えば必要以上に強固な防衛線を作ってしまったのは、このミランの地を得るために散った勇士達がいたことを誰もが忘れないように、形として残しておきたかったからかもしれない。
無意識の感傷がガンメルゼフィーアにここまでのことをさせたのだ。
「けど、わたくしは何時までもここで墓守をしている訳にはいかない」
護国の盾として立った以上、ここで感傷に浸って立ち止まることはできないのだ。未だ内にも外にも敵は多く、払うべき危難はあまりに多い。軍靴に足を通した以上、軍人令嬢に立ち止まるという選択肢は与えられていなかった。
故に、彼女は編み込んで束ねていた髪の房を一つ引き抜き、護剣にて斬り落とした。その部分が丁寧に隠さねば不格好になると分かって尚も。
「さようなら、わたくしの男達。どうか安らかに。せめてもの手向けですわ」
壁上より放られた髪は風に解けて消えていく。戦死者達の下へ、甘い乙女の髪の匂いが届くように祈って。
「さぁて、彼等のためにも頑張るといたしましょうか」
感傷は十分と気持ちを切り替えて、要塞の執務室に同じく引っ込んだガンメルゼフィーアは、友誼を結んだ地元名士に別れの手紙を一通り認め、同じく昵懇になった商会から帝都まで満足に下がるための兵糧を仕入れる注文書を書き上げた後、個人的な手紙入れを開いた。
そこには父ジョルジュからの私信や個人的な付き合いのある軍人、あの毒蛇蠢くような社交界のなかで奇跡的に作れた友人などから届く色々な手紙を納まっている。古い順から丁寧に開いていけば、三ヶ月から半年のラグを経て届いたその内容は、あまり芳しくないものであった。
「華々しく戦って凱旋した師団への凱旋行軍の自粛?」
父より凱旋をせず帝都は補給程度に寄って、そのままラインランテに帰ってこいという文言を見てガンメルゼフィーアは自分がいない間に情勢の大きな変化が起こったことを悟る。
「やはり、何人か密偵を送っておいても、情報収集はこれだけ距離が空くと上手くいかないものですわね」
しかし、本来ならば賠償金をせしめて盛大な勝利を勝ち取った部隊が凱旋式に参加するのは、尊重されるべき権利だ。生き残った勇者達が守りきった銃後の人々から、貴方達は勇者だと褒め称えられる報酬を得る機会は奪われるべきではない。
それを蹴ってでも帝都に関わらず、東に戻って来いということは、今帝都が相当にキナ臭いということだろう。
それこそ、軍隊の入市が何かしらの激発を招きかねないほど悪化していると推察できる。
「……となると、帝都はこっそり抜けて、ラインランテで凱旋式をやる他なさそうですわね」
華の帝都に大手を振っての帰還はいつ頃になるだろうか。一年間必死に戦った兵達には、相応の休暇を与えて魂を休ませてやらねばらなないし、戻れるのは半年かもっと先か。配属を変えさせた兵士には、中央即応軍団出身の帝都に家族がいる者達もいるだろうから、ある程度は人事交換も考慮せねばならぬ。
その間に状況とやらが悪化していないことをいのりつつ、ガンメルゼフィーアは粛々と撤退の準備を整えさせた。
それからしばらくして、食料事業を改善すると同時に公平な女帝がミランの民達から惜しまれつつ見送られて去って行った。
「何ですの、この空気」
三ヶ月の旅程を終えて、郊外の野営地に辿り着いて休憩を命じたガンメルゼフィーアは、帝都に張り詰めるピリピリとした空気に愕然とした。
あそこはもう、自分達の知る帝都ではないと一重で分かるほどに雰囲気が切迫している。
それこそ、ちょっとした間違いがあれば激発しかねないほどに。
「これは詳しく調べる必要がありますわね」
一年三ヶ月の年を経て帝都に帰参した令嬢は、また面倒臭いことになったと頭を悩ませながら身の振りを考えるのであった…………。
どれだけ強かろうと現場にいなければ何もできないのは戦争も政治も一緒。




