1-12
街の雰囲気がまるで違う。偵察にでる斥候兵のつもりで帝都別邸まで、目立つ馬車ではなくカイゼリンに跨がって向かったガンメルゼフィーアは空気が違うことを肌で感じていた。
まず、道を行く一般庶民の装いが大きく変貌している。
これまでは膝丈のズボンにタイツや靴下を合わせたスタイルであったのが、船乗りや囚人が着る物だと思われていた長ズボンを道行く平民達が履いているではないか。その上、急に流行だしたと思しき三角帽を被っている者が多く、また赤、青、白からなる三色の飾り帯を身に付けている者も多かった。
服装の変化は世相の変化だ。労働者階級、それも下層にあたる者達が乏しい金を叩いてまで服装を改めたということは並々ならぬ理由があるはず。
では、その理由を知りに行こうとガンメルゼフィーアは馬首を巡らせて、少し入り組んだ路地に入った。
公共の掲示板には過激な論説を張り出すことはできない。そんな物を掲示しよう物ならば、衛兵隊が即座にやって来て監獄にブチ込まれる。
であるからして、過激な論調のビラは路地裏に張られるのが定石だ。
薄暗い中、僅かな雨除けによって守られた広い壁には何度も何度も破られては貼られたポスターの形跡が見られ、そこには中々過激な文言が踊っていた。
「第一、第二身分への課税を……? 人は神の御名の下に平等……帝権は憲法によって縛られるべき……」
帝室を敬愛し支持する者が見れば激怒するであろう檄文が踊るビラは、衛兵隊が剥がす都度に張り直されているようで収拾がついていないのは明白だった。
なるほど、これが原因かとガンメルゼフィーアは内心で舌打ちを溢した。
理想に被れた共和主義者が蠢動をはじめたに違いないと。
「千年早いですわ」
不愉快そうに呟いて、彼女は踵を返して公邸への道に戻った。
ガンメルゼフィーアは民を軽んじてはいない。陛下の赤子として尊重しているし、何よりも人工数%の貴族と聖職者よりも、圧倒的多数を占める平民こそが日々の営みを支え、国家が国家として成立する最たる要素だということを理解しているからだ。
彼女が愛する兵士達でさえ、その多くは平民からなる。
彼等は崇高な者達だ。食い詰めて志願する者もいれば、徴兵制が残っている県からかき集められてきた者もいるが、軍務に従事する内に英雄に憧れるようになり、自らの身を投げ捨てた死を惜しまなくなる。
戦友のため、部隊のため、名誉のため、国のために。
素晴らしい男達だ。先のミランを襲撃した合議王国軍を止めた戦でさえ、数多の英雄が生まれた。
前線で倒れた味方を担ぎ上げて弾が雨のように降る中を駆け抜けた新兵。
塹壕に放り込まれた擲弾に自分が覆い被さって仲間への被害を食い止めた益荒男。
対砲伯射撃が降り注ぐ中、片腕が吹き飛んでも呻き声一つ挙げず砲弾を運んだ砲兵。
そして、一歩も引かずに塹壕線に耐えきった勇士達。
皆、愛すべき者達であり、その命の価値は決して貴族と並べても劣るようなものではない。
このような男達に触れて来たからこそ、ガンメルゼフィーアは民を心から尊いと思っていた。
だから民が可能な限りの平等を求めて租税の軽減を求めるか、それが難しいなら特権で守られている貴族にも同じ国に住まう者として負担をしてほしいと願うのは当然のことであろうと理解する。
だが、共和制は違う。
まだ早いのだ。彼等自身が責任を負うにはまだまだ早い。
古帝国は公学校を作って多くの子供が学校に通えるようにしているが、その識字率は五割に達していないし、女性に至ってはその半分だ。そして、字が読める者達でも高尚な論文を読めるほどではなく、敢えて平易かつ低俗に書いた新聞を読むのが限界。
このような知識水準で、正しい指導者を選ぶことがどれだけ難しいか。
少なくとも、学が身についていない民は人気取りの甘言を篩にかけることはできないだろう。真偽を判断する能がないまま指導者を選ぶことほど危険なことはない。かつて隆盛を誇り、デマゴーグによって衰退していった南東の都市国家群と同じ運命を辿るのは目に見えている。
仮に民が共和制を心から望んだとしても、段階というものがある。必要な段階を大きく跳ばして、一気に理想に羽ばたこうとすれば、蝋で作った翼にて太陽に向かって飛んだ英雄の如く地に墜ちるのは明白。
痛い目を見るだけならまだいい。暴走の末に〝帝室の弑逆〟なんぞに手を出したならば、それこそ古帝国は破滅だ。
「洒落になっていませんわね……まったく……」
馬首を巡らせて大通りに戻った彼女は、その足で別邸に向かったが父は留守であった。時期的にラインランテ領に帰って政務に精を出している頃だというのは分かっていたので、落胆はない。
ただ、自分宛に前線に届けることができなかった手紙が届いているだろうと確認するために寄ったのだ。
先触れもなく帰って来る令嬢に対し、公邸に詰めている従僕達の対応は慣れていた。
なにせこの親子、思い立ったが吉日とばかりに馬車に乗らず自分で早馬を駆って遠出することなどザラであるため、何時訪ねて来てもいいように準備しておくのが当たり前のことになっていたからだ。
軍服から着替えもせず自室に戻った彼女は、大量に届いている手紙の箱の中で赤色のものを手に取った。
ガンメルゼフィーアに限らず時間は有限だ。届いた手紙全てに目を通し、一々返信していてはキリがないため、従僕達には手紙の宛名を確認してから優先度に従って箱に入れるよう命じてある。
赤色は親しい友人や、配達人が急ぎであると告げた内容の手紙を容れるようにしてあり、黄色は時候の挨拶など優先度の低い定型の内容。黒く塗った物は受け取りはするが内容は確認しない、新参者やかつて不快な思いをさせられた相手からの手紙と仕分けられている。
赤い箱の中に多かったのは、従軍する彼女を心配する内容のもので、あとで自分は無事に買って帰ってきたと返事を書くため懐にしまう。
そして箱の底には、一年も留守にしていたせいで分厚い封筒が四つ溜まっていた。
季節毎に古語の詩を送ることを約束してくれている、マクシミリアンが戦地にいる彼女のため、返事が来ることはないと分かっても送り続けてくれていたものだった。
「律儀ね、あの子も。それに、どれも戦場での無事を祈るような詩……素敵」
一通一通に詩と同時に、議員になってから充実した日々を送っている旨と、毎回忘れず郷里の家族を支援してくれていることのへの感謝が書いてあったが、どうにも文体が硬く説明が詳細すぎる。
「これでは何らかの詳報ですわね」
くすりと笑い、近況報告というより軍隊や議会の詳報めいた報告を微笑まし気に目を通していた彼女なれど、若干の違和感を抱く。
少しずつ、内容が政治的に踏み込んだものに変化しつつあるのだ。
「アキテーヌ侯爵の弾劾……? まさか、あの子は死刑廃止論者だったはず。ここまで徹底的に追い込んだら、どうなるかは分かっていたでしょうに」
一文一文手紙を切り刻むように追っていけば、どうにも内容から不穏さが煙るようになっていった。
今は民の苦労を軽減するため年金制度を廃止させる動きを後押ししているのはともかくとして、第一・第二身分への免税特権剥奪を目標に政治活動を行っているという内容には引っかかりを覚える。
それに際して多くの貴族から支援を貰っていて、仲良くさせて貰っているとの報告が何よりも強烈な違和感を掻き立てる。
彼は貴族に阿るような気質であっただろうか? 裁判となれば常に弱い平民の立場となって、バチバチに議論を交わしていた彼が穏健派といえど貴族と接触?
政治的に必要だと分かってサロンや夜会に出席しているだけなら分かるが、進んで縁故を作ろうとしているのには意図を感じざるを得なかった。
それも、結んでいる相手の名が悪い。
どれもこれも、立憲君主制を押しているものや、共和主義者なのだ。
これではまるで、課税を進める方針といい、帝室と貴族の間を引き裂こうとしているようにもとれはしないかとガンメルゼフィーアは訝しんだ。
現状、帝国内の貴族には大別して四つの派閥が存在している。最大の派閥は中道右派にあたる現状維持派であり、あくまで思想を同じくしているだけで強い連帯がある訳ではない。
それに続くのが左派的なレノ・クラブとロラン派であるが、前者は立憲君主制を唱えており、後者は帝室を象徴に据えた共和制を唱える変わり者だ。しかし、基本的には穏健派ということもあって、今まで大々的な活動を行うことはなく、農村部での啓蒙活動や三部会での発言が主となっている。
最後は帝室藩屏の会と呼ばれる現役貴族軍人や退役貴族軍人からなる最右派であり、帝室の敵を排撃するためならば何をしてもいいと考えている節がある。数はそこまで多くないものの、大貴族が所属していたり、大土地所有者や有力商家との繋がりもあるため決して侮れるものではない。
その中でもマクシミリアンはレノ・クラブとロラン派に接触しており、共和制に至るための道を大いに議論して実りある成果を得たと報告していたが、これからガンメルゼフィーアは危険な臭いを感じて仕方がなかった。
あの赤目の兎が共和主義を志す理想主義者であることを理解して後援しているガンメルゼフィーアながら、ここまで過激な動きを見せる人物だっただろうかと、心の中のイメージと行動に乖離が生じているのだ。
皇帝とガンメルゼフィーア、そして自分がコーヒーテラスで誰憚ることなく議論を交わせるような世を作りたいと言っていた彼にしては、あまりに性急すぎる。
賢い彼が分からないはずはなかろう。まだ共和制は古帝国にも、いや、世界のどこにも早い制度であるということくらい。
それに、この流れでは、最悪が想定できる。あってはならない最悪が。
マクシミリアンは三部会の中で平民派の代議士として身を立てており、所属しているのもその集団であろう。レノ・クラブやロラン派との繋がりは、あくまで政治工作を上手く進めるためであって、真の仲間は平民出身者のはず。
もしもだ、平民が主導して共和制が成り立ったとしよう。
さすれば、今まで弾圧され続けてきた彼等は必ず血を欲する。尊い者達の血をだ。
「皇帝陛下と皇太子殿下が断頭台に送られる……?」
口にしただけで背筋が震え上がるような未来であった。
これはいけない。これだけは何があっても容れてはいけない。もし仮に平民主導で共和革命が成ってしまえば、必ずや帝室を断頭台に送ろうと目論む者が現れる。
万が一にも他国に亡命されたり、第三国の支援を受けて共和政府を叩き潰す旗頭にされては困るからだ。
そして帝室が断頭台の露と消えれば、古帝国は周辺を囲む王国や帝国が挙って宣戦し、攻め寄せる激戦地になる未来は容易に想像できる。
こんな過激な思想が隣国から浸透してきては困るとばかりに。
そして、皇帝を処刑したとあれば貴族制の廃止は自明。多くの貴族が亡命するか処刑されて、軍はガタガタになる。
その時、往事の力を持っているはずのない軍隊で諸国の侵攻に抗えるか。
絶対に無理だとは言わないが、相当の苦戦を強いられることは確実だ。それこそバラバラに攻め寄せるのではなく、連合軍を組織されれば敗北は必至。
古帝国一千二百年の地は、かつてない草刈場に成り果てるであろう。
「……これは、万一に備えて手を打たなければなりませんわね」
ないはず、起こらないはずだと思っても一抹の不安がどうしても心から拭い去れないガンメルゼフィーアは、手紙の返事を書きながら近いうちにマクシミリアンと会う必要があるだろうと思った。
彼の真意をたしかめなければならない。帝国のためにも、彼自身のためにも。
古帝国で共和制革命が完遂されてしまえば、待ち受けるのは恐怖政治だ。四散しかねない国家を一つに纏めるため、殺せるだけ殺して余計なことを訊く口を塞いで回る地獄が始まる。
あの優しい青年に斯様な地獄を作り出させてはならない。焦燥と共に、しかし内容は当たり障りなく近々会いたい旨を綴りながら、ガンメルゼフィーアはどうやって自分の半旅団を帝都に貼り付けるべきかを思案を巡らせるのであった…………。
時候の挨拶一つで「なんか変わったなこの人」と察することができる今日この頃。




