1 割愛。……なんて便利で素敵な言葉。←書き手の本音
「キリさん、こんにちは」
ノックの後、すぐに開いたドアの向こうにハルくんの笑顔が見えた。
私がこの世界に来て、半年。
その間の事は、長くなるから割愛するけれど。
簡単な文字から始まったこの世界の勉強は、ほとんど終えた。
言葉を話せるというのは、文字を習得するうえで本当に必要なものだと実感。
感謝するかしまいかなんとなく悩むけれど、やっぱこの世界の神様に感謝すべきなのかな。
一通りの文字と世界の仕組み、王宮の事や一般常識を学んだ私は、シスの手伝いという名のもと日々を過ごしている。
当たり前だけれど、今の私の立場で難しい事は任されるわけがない。
けれど、異世界人にうってつけの仕事があるのだ。
異世界人の特色、それは文字を書くことはできないけれど話すことはできる。
会話を、理解することはできる。
って事は。
「今日はこれでおしまいです」
そう言ってハルくんに手渡されたのは、小さなガラス玉の入った箱。
一つ一つが虹色の光を内包していて、とても綺麗。
これがこの世界における、録音機器と知ってどんだけ私が驚いたか。
知らなかったら、確実にアクセサリーとかにしてるよホント。
ガラス玉はそれだけでは、録音も再生もしてくれない。
再生するには、日本でいうオーディオ機器みたいなのが必要で。
こちらでは、魔術師がクリスタルから作り上げた台座の様なものの中央にあるくぼみにそれを置き、微弱な魔力を流す事で録音再生を可能にしている。
私は受けとった箱を机に置いて、中から一つガラス玉をつまみ上げる。
それをくぼみに嵌めて、指先でとん...と軽く叩いた。
――ちなみに、再生は一回、録音は二回、消去は三回叩く。
この構造を作り上げたのは、過去この世界に渡った異世界人だったとか。
異世界人、いいのかそんな技術とか持ち込んで。
叩いたガラス玉は虹色の光を発光させて、録音された音声を再生する。
それを私が聞いた通りに復唱すると、目の前にいるラグが書面に落とす。
素晴らしい、自動筆記。
「あんたが自分で書ければ、苦労しねーんだけどな。主に俺が」
「うるさいよ、ラグ。あ、今のは、再生内容じゃないからね」
「わかっとるわ!」
そう。通訳というか翻訳?。
神の加護でこの世界の言葉を聞く分にはなんの支障もない私にとって、セネト語ではない言葉もすべて日本語として聞こえてくる。
そして同じ文章を声に出して話せば、相手にはセネト語に聞こえるわけ。
ちなみに、セネト語が共通語のこの大陸だけれどこれ以外にも言語はあって。
ここ王城にいるセネト語以外の人と話した場合、その人と同じ言語を話しているらしい。
要するに、自分が意識を向けている人間の話す言語と同じになるわけだ。
異世界人がいると言ってもそんなに多いわけではないので、初めて見たハルくんとラグは呆気にとられてたっけ。
私にとっては、日本語で話してるにすぎないのにこのチート感。
なんか、実感なくてむず痒い。
そうしてその通訳? 翻訳? の力を見込まれて、周囲の国々から持ち込まれる文章で政治とかに関係ない当たり障りのないもの通訳を、私がすることになったってわけ。
ちなみにこれは言葉の勉強も兼ねているので、私の言葉を正式に文章にするのはラグだけれど、私も私で清書して間違いを直してもらってる。
その上、魔力があるとハルくんやシスに断言された私のその力を使うための練習にもなってるってわけで、一石二鳥!
そんな感じで、翻訳の手伝いを初めて、もう一か月くらい。
何かに理由をつけて訪ねてきてくれるハルくんの笑顔に、めっさ癒されております。
「ハルくん、時間あるの? お茶淹れようか?」
幾つか記録ガラスの翻訳を終えてから、まだ傍で私達を見ていたハルくんを見上げる。
ちなみにシスは朝から会議だとかで王宮に行ってて、私はずっとラグとこの作業をしていた。
ので、ラグの顔に飽きていた。
ハルくんは私の問いかけに一気に破顔して、ちょこんと私の隣に腰かけた。
「はい! キリさんの淹れてくださるお茶は、とてもおいしいので! 是非」
「そう? ありがとねー」
にこにこと笑うハルくんにつられるように笑みを浮かべて、私はソファから腰をあげた。
ついでにラグの分も入れてあげよう、面倒だけれど。
シスの執務室の隣には本来は侍女さんが待つ部屋があって、そこにお茶の用意をするためのコンロも茶箪笥もそろってる。
けれど今はシスの意向で、そこに侍女さん達はいない。
私の存在に気付いたシスと敵対する貴族が、一度手の内の侍女をもぐりこませてきたことがあったから。
きっと様子見だけだったんだろうけれど、早々にラグに見つかって追い出された。
その場に一緒にいた、ハルくんの術付きで。
――命令をした雇い主の元に戻り、”次はない”という言付けをする。そんな術。
聞いた相手はびっくらしただろうなぁ。
まぁ、そのことがあって私も自分の立場をようやく実感した面もあったんだけどね。
コンロに刻まれている火の術を発動させるために、指先に魔力をためる。
まだ安定しないわたしの魔力は、時に暴走してしまうかもしれないから大きな術は使おうとしないように言われてる。
描かれた文様をゆっくりとなぞって火の想像を浮かべれば、ほんのりと光ったあと弱火ともいえる小さな火がコンロに輪を描いた。
その上に置かれた五徳の様な金具に鉄のポットを直に置くことで、湯を沸かす。
茶箪笥からカップとティーポット、元の世界より発酵の弱い紅茶の茶葉を手際よくテーブルに並べていく。
準備をしながら……、ハルくんの笑顔がちらついた。
純粋に向けられるその笑顔を、最初は辛いと思った。
家族だと言われることに、物凄い抵抗があった。
でも、今はその笑顔を見るととても癒される。
こう...胸の内が、暖かくなる。
無条件に慕ってくれているのだろうその笑顔は、元の世界で頑なになっていた私の心をゆっくりと融かしてくれるようで。
――母親から受け取った、最後のメール。
それで過去を夢に見た翌日、顔を合わせたハルくんは笑顔から一転すぐに悲しそうに表情を歪めてぎゅっと私に抱きついた。
抱きしめられたというにはなんの色気もなく、本当に縋るように抱きつかれた。
すみません、ごめんなさい、そんな謝罪と一緒に。
あまりにも酷い顔をしていた(ラグ談)らしい私を見て、この世界に来て悲しんで眠れなかったと勘違いしたらしい。
元の世界の事で、辛くなっただけなのに。
純粋に心配して悲しんで、そして後悔してくれる。
元の世界の家族だって、こうじゃないのに……そう自嘲してほんの少し心が温かくなった。
また、ここで居場所を作ればいいとそう思えた。
元の世界で、私がしていたように。
「キリさん、お手伝い出来る事はありませんか?」
「……え?」
掛けられた声に、ぴくりと肩を震わせて顔を上げる。
そこにはドアから顔をのぞかせる、ハルくんの姿。
手元を見れば、湯気を吹いているポット。
慌てて、火を消してポットを火からおろした。
こちらに来た頃の事を思い出して、思考にふけっていたようだ。
心配そうなハルくんに笑いかけて、私はテーポットに茶葉を入れた。
「うん、そうしたらお茶菓子を選んでくれる?」
「はい!」
ハルくんは嬉しそうに頷いて、お菓子がストックされている棚にいそいそと向う。
甘いものが好きなハルくんは、お茶菓子を楽しみにしているらしい。
そんなところは、やっぱり子供だなって思う。
でも――
”トーコさんの事は、俺が絶対守ります”
侍女の騒動があった後に言われた言葉に、ちょっとときめいてしまったのは……お約束?
今週は、これにておしまいですm--m
来週は、更新できるかわかりません。すみません;;




