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私の話  作者: M
9/32

小学生 中学年 新しい出会い

学校・家事仕事・農作業・家事仕事・宿題をしながら家族から罵声と暴力を受け続ける毎日を送っていた。


小学3年生になると小学校の先生が一気に入れ替わった。

そして3年生になった時に担任になったのは、若く初めて担任を受け持つとうい女性教師だった。


担任はとにかく明るく笑顔を顔に貼り付けているような人だった。

保健室の先生も若い女性教諭が来た。

この2名の教師は同級生がいない一人の私をとても気にかけてくれた。


私は3年生になったばかりの春で季節の変わり目という事もあり風邪をひいてしまった。

夜に宿題を終えると頭がぼーっとし熱っぽいと感じた。

私は早く寝ようとベットに横たわるが、数時間で熱が高温になっていくのを感じる。

これは薬を飲んで早く治さないと…と思い、居間に置いてある薬箱に向かおうと思った。

カーテンを開けて隣の部屋を探ると、両親は寝ているようだった。

私は良かった…と思い懐中電灯を手に居間に向かう。

薬箱を探すが暗くて子供用の風邪薬がどれなのか見つける事が出来ない。動いた事によって息が上がってくる。私はどうか両親が目覚めませんようにと願いを込めて、居間の電気をつけた。

急いで薬を探さなきゃ…

焦れば焦る程、薬が見当たらない…

どうして…

いつも薬箱に入っているのに…

もしかしたら、予備の薬箱の中かな?

そう思い予備の薬箱が入った戸棚を開ける。

その時だった。

「まだ起きてるの誰なの?居間の電気つけているの誰なの?」と母の声が廊下から響いてきた。

私は何も言えず必死に薬を探し続ける。

声をかけても誰も答えない事に不審に思った母は居間まで来てしまった。

私を見つけた瞬間「こんな時間に何やってんだよ!!」髪を掴んで戸棚に頭を打ち付けられた。

私は、「熱っぽくて…風邪薬が欲しかったの…」と伝えると、母は更に激高した。

「だから何時だと思ってんだ。起こすんじゃねぇよ。」

私は母に起こすつもりはなかった、自分で薬を探すから寝てていいと伝えたが、母は薬とは全く関係のない引出しから子供用の風邪薬を出した。

私はそんな所に置いてあるなんて思わなかったと肩を落とした。

そして、母に夜の分だけではなく明日の分も欲しいとお願いしたが、「こんな時間に起こしやがって口を開くな」と言われてしまい夜の分のみ受け取り飲んですぐに部屋に戻った。


朝起きると咳も出ていて熱が下がっていないようだった。

体温計で熱を測ると39℃と表示されていた。

どうしよう…怒られる…と考えて固まっていると、洗濯物を干さない私を見て母は体温計を奪い取った。

「今日は学校に行かなくて良いから家で寝てろ」そう母に言われ殴られなくてよかったと安堵する。

私は部屋に戻り、眠りについた。

お昼になり、昼食を食べに両親が帰宅してきた。

私を起こし熱を測るように言い測ると39℃から下がっていなかった。

「学校に行けば給食を食べられたのに行かなかったからお前の昼はないからな」そう言われ頷くしかなかった。

昼食を終え父が先に家を出た、母が私の部屋に来て、「寝てるだけで許されると思うなよ。家の事やっておけよ」そういい出て行った。

私は15時に目覚まし時計をセットして眠った。

目覚まし時計がなり、洗濯物を取り込んでいつも通りの家事仕事をした。

夕食後、いつも通り洗い物をしている時だった。

急に平行感覚を失って地面がうねっているように見えはじめ視界が暗くなっていった。

居間でテレビを見ていた長男の声が聞こえた「Mが倒れたよー」

気が付いたら私は長男に抱きかかえられていた。両脇には両親もいた。

長男が居間のソファーに私を寝かせると父が「ダメだな。コイツ。」といった。

母が溜息をつきながら私に洗い物はどこまで終わっていると怒鳴ってきた。私は力なく全部スポンジで洗ったから流すだけだよと答えた。

母が長男に目障りだから私を部屋に連れて行くように指示し長男は私を部屋のベットまで運んでくれた。


翌日熱は38℃と少し下がった。母は邪魔だから学校に行けと言った。

私は言われた通りに学校に行った。


しかし学校の椅子に座っているのも辛く、担任も咳をして辛そうな私を見て保健室で横になるように言ってきたが私は保健室に行くと親に早退するように連絡されてしまうのが分かっていたので、断った。


給食を食べて、お昼休みに少しだけ横になろうと保健室に行った。

お昼休みはたいてい職員室にいる保健室の先生がなぜか保健室にいた。

私は驚いて教室に戻ろうとしたが、保健室の先生は「担任から聞いているよ。来ると思って待ってたの。」と言い私にベットを使うように言ってくれたが、私はベットじゃなくて床で良いと答え、怪我をした人用のカーペットが引いてある場所で横になった。

私の行動に驚いた保健室の先生が、私をベットに運ぼうと体を触った時だった。

「あつっ!!高熱じゃない!!」

私はしまったと思った。すぐに大丈夫です。お昼休みが終わったら授業に戻りますから今だけ横にならせて下さい。と悲願した。

保健室の先生は職員室に向かったようだった。

私はやっと眠れると思い横になっていた。

お昼休みが終わる頃に担任と保健室の先生が2人で私の所に来て、熱を測るように言ったが私は拒否をした。

そして、保健室の先生に何故、そんなに嫌がるのか聞かれ、熱で頭が働かず私はつい口を滑らしてしまうのだ。

「熱があったら親に連絡して早退しなきゃいけないでしょ?早退なんてしたら親に怒られるからやめて欲しい。」と。

その時保健室の先生が怒鳴った「子供は親の道具でも玩具でもないの!!一人の人間なの!!」

私は衝撃を受けた。


その考え方なに?


しかし次に私は激しい怒りの感情でのまれた。殴られる痛さも、働かざる者食うべからずも、親に捨てられる恐怖も何も知らないくせに!!


私が怒りの表情をしているのを悟ったのか担任が割って入ってくれた。

まずは熱を測らせて。そして親に連絡するのかどうかは、その後に一緒に決めよう。

これなら熱測れるよね?

私は「信用できない。どうせ連絡するでしょ」と言ったが担任は

「本人の意思を聞くと約束する」と言った。


私は仕方なく熱を測った。39℃を超えていた。


担任は優しく言った。

「教室で座っているのも辛いでしょ。」

私は

「学校が終わるまでここで寝かせて」と悲願した。

保健室の先生は今なら病院に間に合うから早く親に連絡を取った方がいいといった。

担任は私に「親に連絡して病院に行くようにお願いしても良いかな?」と聞いてくれた。

私は「両親は仕事をしているから連絡してもつながらない。早退してほしいなら自分で帰れるから連絡しなくて大丈夫です。」と告げた。

担任は「高熱だから一人で下校させるわけにはいかないの。下校時間になってもそれは変わらないの。親に連絡が取れるかどうかだけ、試させてもらって良いかな?連絡がついたら早退するように伝えるけど、連絡がつかなかったら、他の先生達と相談して本来はダメだけど車で送っていける先生がいないか聞いてみるよ。それじゃダメかな?」

私は結局選択肢なんてないじゃん。殴られればいいだけだし、横になれるなら何でもいいや。

とどうでもよくなってしまい「先生達の好きにすればいいです。」と答えた。


私の返答を聞いた担任は親に連絡する為職員室に戻った。保健室の先生は今度はちゃんとベットで寝るように言ってきたので、全てどうでもよくなった私は言われた通りにベットで横になっていた。


運の悪いことに、両親が家にいたようで連絡が取れてしまった。

数十分後、母が保健室に来た。

「朝は調子がいいみたいでしたが、昼になるとダメでしたか。ご迷惑をおかけしました。すぐに連れて帰ります。」と母が笑顔で保健室の先生に挨拶と弁明をしていた。

担任は授業がある為いなかった。

保健室の先生は怒った口調で母に言った。

「今の熱を見ると朝から熱があったのではないでしょうか?」

「もうすぐ40℃になりそうな高熱ですよ?もちろん帰宅せずに病院に連れていきますよね?」

母は自分より若い女性に言われた事にムッとして

「学校は生徒を見ていればいいだけでしょうが、私は仕事をしていて、そう簡単に仕事を放りだすことはできないんです。家庭の事情はそれぞれですよね?今日病院に連れて行くのは無理です。」

保健室の先生は「仕事も大事ですがお子さんの方が大事ではないんですか!!」

ここで私が口をはさむ。この先の答えを私自身が聞きたくなかったのだ。

「お母さん早く横になりたいから帰ろう…」


そこで先生と母の言い争いが止まった。


帰りの車で母は私に罵声を浴びせ車のハンドルをバンバンと叩いて怒っていたが、咳が止まらず耳鳴りもしていた為、私には母の声が届かなかった。


3日程学校を休み家で療養をしていたが、ご飯は夕食のみで病人用の食事はなく、父の好みに合わせた食事だった為、咳により痛めた喉では呑み込めない物が多かった。


そして、日曜日の夕方、私の咳がうるさいと次男が私の部屋に来て文句を言い、吐き捨てるように

「お前、かまってほしくてわざと咳しているだろ。嘘つきだもんな。風邪も嘘かもな」

と言い私の部屋を出ていく。


私は一人になった部屋で涙が止まらなかった。

風邪も咳も熱も全部嘘じゃないし、暴力による痛みとは全く違う種類の辛さが全身を襲っているのに、家族は私の風邪を嘘だと思っているんだ…

むなしい…悲しい…一人だ…


だが思いついた。

もしかしたら、このままの状態でいれば死ねる…?

私は少し気持ちが楽になり、寝込んで安静にしていたら死ぬチャンスを逃してしまうかもしれない。

私はいつもより時間をかけて丁寧にお風呂掃除をしたり、洗濯物を小分けにし何往復もするようにして家事仕事に時間をかけるようにした。

数日で更に病状は悪化した。

私はこの調子だ。頑張ろう。と思っていた。


しかし、夕食時、どんどん食事量が減っていくのを見た父が最悪な言葉を母に言う

「これ以上学校を休めば周りから怪しまれるかもしれないから、明日クソを病院に連れていけ」

母は溜息をつきながら「なんでコイツの為に私の時間を使わなきゃいけないのよ。ったく。」と文句を言っていたが父の言葉は絶対な為、従う他なかった。


翌日母に病院に連れだされた。

検査結果は重度の肺炎だった。


医師は母を叱った。

「なんでこんなになるまで放置していたんですか。もっと早く受診していればこんな重症にはならなかったのに」


即入院となった。


母は私が家から消える事に喜んでいた。

そして「入院中大人しくしていろよ。周りに何も言うなよ。」と言い、入院に必要な物を取ってくるから、看護師さんに聞かれたら、また戻って来ると伝えるよう言って病室を後にした。


私は点滴を見つめながら、針を引き抜いて点滴を捨てておけば死ねるかな…熱にうなされながらぼーっと考えていた。


夕方になり母が着替えなどを持ってきた。

洗濯物が溜まったらまた来ると言い、すぐに帰った。


私は喉と気管の炎症が激しい為、しばらく食事はなく点滴のみと医師に言われていた。

入院した部屋は同じような症状の子供達で構成された6人部屋になった。


夕食時、他の5人は病院の食事をとっていた。私は何もない為、ベットに横になっていた。

家事仕事も農作業もなくベットに寝ているだけの時間が与えられるなんて、なんの時間何だろう。神様がくれた消える前最後の休息なのかな?そんな事を思っていたのを覚えている。


翌日の朝、看護師さんに起こされ目が覚めた。目覚まし時計がない為、ぐっすりと寝ていたのだ。

私はとっさに「起きてなくてごめんなさい」と看護師さんに謝った。

しかし看護師さんは笑顔で「実は2回目なの。1回目に来た時ぐっすり寝れているようだったから起こすの可哀そうで他の子を巡回して最後にもう一度来たんだけど、まだ眠っていたから、起こしちゃった。体温を測ったりしなくちゃいけないから、頑張って起きられるかな?」

こんなに優しく起こされたのは、いつ以来だろうか。私には優しさが痛かった。嬉しかったのかもしれない。泣きそうになるのを堪えながら、看護師さんの指示に従う。


数日たった頃、他の子に朝食が運ばれてきて私は思った。

「他の5人の子供の親は朝と夕方食事の時には子供に付き添っているが、仕事はないのだろうか…」

長い日には一日中子供と過ごしている親もいた。

私には不思議な光景だった。


少し体調がよくなってきて、私も水のようなお粥から食べられることになった。

食べられるようになると回復は早かったように思えた。

そして食事が始まった事によって今のがなくなったら違う種類の点滴に変更すると聞かされた。

私はよくわからず、なくなったらナースコールを押したら良いですか?と尋ねたが看護師さんは笑顔でなくなる時間が分かっているから気にしなくて大丈夫だよ。変更になるのは夜中の寝ている最中の時間だよ。と教えてくれた。


朝方、顔から足のつま先まで点滴をしている左側半分が燃えるような熱さで目が覚めた。顔はかゆみもあった。

少し息も苦しかった。

私は顔を触ってみたが、熱を持っている顔半分の皮膚が固いように感じた。

トイレに行って自分の顔を確認する事にした。

廊下を歩きトイレにたどり着き鏡に写った自分の顔を確認する。

真っ赤に腫れあがり殴られた時とは違う赤さだった。服をめくってみると左半分の皮膚が同じようになっていた。

冷静になろうと病室に戻る。

熱い・かゆい・息がくるしい

私は朝の巡回まで我慢するかナースコールを押すか決められずにいたが、息が苦しく視界が狭く暗くなってきたため、迷惑かけてごめんなさいと思いながらナースコールを押す。

看護師さんが来て私を見た瞬間に「蕁麻疹…」と言い慌てて医師を呼んでいた。

看護師さんに今どんな状態か聞かれ「赤くなった部分が熱くてかゆくて、息が出来ない…」と告げるとすぐに酸素マスクの用意をはじめマスクをつけた。

医師が到着し、私は処置室のような別室に運ばれた。運ばれている最中で私は意識を失ってしまった。


目が覚めると、普段の病室に戻され蕁麻疹と呼ばれていた症状は消えなんともなくなっていた。

私が目を覚ました事に気づいた他の親御さんがナースコールで看護師さんに連絡してくれた。

看護師さんと医師が揃って病室にきて体調は?と聞かれ私は「なんともないです。朝にごめんなさい。ありがとうございました」と言った。

医師「アレルギーがあったんだね。入院時の書類にお母さん書くの忘れちゃったみたいなんだ。アレルギーのこと教えてもらえるかな?」

私「小学1年生の時にこの病院でアレルギーの診断を受けたので、外来にカルテがあると思います。」

医師「教えてくれてありがとう」

医師がいなくなり看護師さんが残り「肌が赤くなったのは蕁麻疹っていう症状でね、一回発症すると出やすくなってしまうの。だからこれから気を付けて生活送ってね」

私は何を気を付ければ良いんだろう…と思いながら「わかりました。ありがとうございます」と答えた。


入院してからしばらくすると、担任がお見舞いに来てくれた。

入院してから初めて私への来訪者だった。

素直に嬉しかった。

担任は私に話すのは辛くないかと尋ね、かなり良くなったから大丈夫ですと伝えると椅子に座った。

退院の話が出てないのでまだ入院が続くと思います。といったような内容を話したと思う。

担任が、ドリルやプリントを鞄から出した。

宿題じゃないし、やってもやらなくてもどっちでもいいよ。

邪魔だったら捨ててもいいよ。

絵本とか時間を潰せそうな物を考えたんだけど、退院の時に荷物になると思って捨てても大丈夫なものにしたの。

欲しいものがあったら先生に言って。なんでも買ってくるよ。


そこで私は学校の事を思い出す。

そっか。授業。

この時初めて同級生がいなくて良かったと思った。


私は担任に寝ているだけだから勉強をする。教科書を進めないといけないなら、親にもってきてもらうから、どうやって進めたら良いかどこまでやれば良いのか教えてくれればその通りにすると伝えた。


しかし担任は「今は病気を治すことが最優先なの。Mちゃん一人だから授業は止まっているし、休んだ分は学校で取り戻せるように先生も頑張るから、Mちゃんも一緒に頑張ろう。まずは退院してまた元気に登校してくるのを待っているからね」と満面の笑顔で言っていくれた。


担任が帰った後、プリントからやる事にした。


2日後母が洗濯物をとりに病室に来た。

同室の子供達の親が私の母に向かっていっせいに話しかける。

「何日か前に学校の先生が来ていてそれからMちゃんずっと勉強していてとっても偉い子ね」

「ずっと病院に顔を出さないけど、そんなに忙しいの?もっと顔を出してあげないと可哀そうだよ」

「うちの子は薬の時間になると泣き喚くのに、Mちゃんは看護師さんから受け取ったらすぐに飲むし、注射でも泣かないし本当にすごい子ね」

「連絡が病院からきていると思うけど容体が急変して意識不明になったのよ?」

などと言っていたのを覚えている。


母は困ったように、

「今繁忙期で忙しくって。女の子でも上が男の子だから逞しく育っただけですよ。あとは本人に聞きますね」と笑顔で答え、私のベット周りのカーテンを閉めた。

当時入院していた病院は小児科はカーテンを使用する場合、看護師や医師の判断が必要で使用するには付き添いがいる時のみで許可が必要となっていた。


母の行動に病室が静まり返った。

小児科病棟とは思えない静けさだった。


母は終始小声で耳打ちしてくる。

母「いつ先生が来て、誰が来た?」

私「2日前に担任が来て、担任以外は来ていない」

母「余計な事は言ってないよな?」

私「いってない」「プリントとドリルをくれたからお礼を言って今やっている最中だよ」

母「私が病院に来ているかどうか誰かに言ったか?」

私「そんな内容聞かれた事もないし、話してもいない」

私「あと…1年生の時にもらったアレルギーの用紙って家にまだあるかな?」

母「なんで?」

私「点滴でアレルギーが出たみたいで先生に聞かれたの」

母「なんて言った?」

私「小学1年生の時にこの病院で診察を受けたから外来にカルテあると思いますって言っといた」

母「お前にしては上手くやったな。お前の書類なんてしらねぇよ」


ここで母は洗濯物を手に取り、洗ってある物と入替えた。

そして、カーテンを開けて今度は普通の声量で話しかけてくる。

母「だいぶ元気そうになって安心したよ。退院の話はされた?」

私「退院の話は聞いてない」

母「早く元気になって学校行かなきゃね。みんなに迷惑かけないようにするんだよ。仕事があるからもう行くね」


そうして母は帰ってくれたが、私は母の顔を見てから冷や汗が止まらなかった。


入院生活が1ヵ月を過ぎたあたりで、医師から「あと一週間様子を見て、容体が安定していたら退院してもいいよ」と告げられた。

私はうつむき下を見たままつい口を滑らしてしまう「帰りたくない…」

ぼそっと言った一言だった。騒がしい小児病棟なのに医師は聞き逃さなかった。

医師「なぜ?」

私は驚き顔を上げる。

医師「小児にいるとみんな家に帰れることを喜ぶんだけど、入院した時も病状がかなり悪かったし、お家で何かあるのかな?」

私はしまった。入院生活で周りの親や看護師さん医師が優しすぎた。居心地の良い所になってしまっていた。余計な事を言ってしまった。どうしよう。必死に考え絞り出す。

私「ここには常に人がいるけど、家は共働きで一人だから、寂しいだけ。退院できるの嬉しいです」

医師「そっか。わかったよ。お家で困った事がある訳ではないんだね?」

私「何もないです」


その時はそれで終わったが、医師は納得していなかった。


後日、退院日が確定した時に医師が母を病院に呼んだ。

病室で説明が始まった。

①来週の○○に退院していい

②今回の肺炎が原因とはいえないし、先天性かもしれないが喘息を持っているため、定期的に通院し吸入器を持ち歩く事

③今回蕁麻疹を発症してしまった事によりアレルギー反応が今までより強く出るようになった為、アレルギー対策を行うこと。

④肺にかなりの負荷がかかったので、今後風邪などで咳が続くようならすぐに病院を受診する事

などの説明し、医師が最後に母に

「退院の話をした時に娘さん帰りたくないと言ったのですが、何か原因や心あたりはご家庭にありますか?」

母は慌てた様子で「本人はその他に何かを言っていましたか?」と尋ねる。

医師「病院では常に人がいるが家ではご両親が共働きで一人で家にいるため寂しいと言っておりました」

母「寂しがりやなんですよ。働かないと生活は出来ませんからね。私が仕事を辞める事も出来ませんし、本人が言うよう単純に病院の方がたくさん人がいるので言った言葉だと思いますよ。家で家族が揃った時には笑顔で楽しそうにしておりますから」

医師「そうですか。わかりました。」


医師がいなくなると母が耳元で私にささやく「余計な事言いやがって。家に帰ったら覚えとけよ」

私は自分のしでかした事をわかっていたので、頷く事しかできなかった。


無事退院し家に戻った。

夜になり父が帰宅し私の顔をちらりと見て母に「1ヵ月以上も学校休んだのにぶり返したら出席日数足りなくなるから、しばらく何もさせるな」と言った。


しばらく私は農作業をせず、学校と家事仕事のみの生活を送っていた。

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