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8.肥大化した自我(2)
たとえば、精神をおいつめるイメージを言葉にするなら、それは、まるで、先がどんどんすぼまっていくトンネル、に、似ている
いけばいくほどに、地面は急斜面となり、空気は薄くなり、光はすぼむ
最後に到達したとき、そこには、もしかすれば、やっと利き手が入るだけの穴しか残されていないとしても(身体はそこから外へ二度と出られないとしても)
わずかに覗く穴から、外を眺めようとするだろう
必死に顔を近づけて、ひんやりとしたくうきを感じながら、その穴に目をあてるだろう
外を見るために
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そう、それは、まるでそういったイメージの先の見えない、それ だ
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……けれども、わたしは、小説を書くという創作は、そういった、精神を抉るという作業とは、すこし違うように感じていて、
それ が、とても不思議に思う要素でもある
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先でも述べたように、わたしの感覚でそれ を表現するのなら、
それ は、精神ではなく、計画であり、
それ は、すぼまるものではなく、ふよふよとまとわりつくもの
そういった ものだと思えてならないからだ




