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第15話:諦めない

 失念していた。来栖家の送迎車がなぜあそこまでボロボロであったのか、そこに考えが回っていれば。ガスマスク野郎が遠距離の目標に対して攻撃する手段を持ち合わせていないわけがないのだ。何よりも、防弾仕様の車体をあそこまで傷付けた代物である。その脅威は想定しなければならないものだった。

 

 それを怠ったのは、僕の落ち度だ。


 幾許の猶予があれば、この状況を打開するための策が思い浮かんだかもしれない。そして、そんなものが無いことを僕はこの場で痛感していた。

 いや、策があったとすれば、それは後ろにいる白狗を見捨てることだろう。取り回しの悪い重火器ならば、戦闘状態ではない壱式を着ていても、僕の脚力だけで振り切ることができるはずだ。


 だが、それは御剣が目指す最善であるだろうか。


「終わりだ」


 ――時間切れ。逡巡を許してくれるほど、戦場は甘くない。回転し始めた銃口を、僕はただ眺めているしかできなかった。


◇◇◇◇◇◇


「諦めるのが早いぞぉ、棗」


 そんな声が聞こえた。ガトリング砲の銃声は聞こえず、代わりに聞こえたその声は僕の目の前から発せられた。

 突如現れた謎の人影はガトリング砲の射線を遮って僕の前へ立ちはだかる。常人では、まずそのような行動にでる勇気などないだろう。そんな突飛なことをする人物を、僕は一人しか知らない。


「……楓姉!」


 見間違えるはずもなく。僕の視界を遮るように立つ楓姉の背中は――どこか、僕を叱咤するように屹立していた。

 そうだ。たった一度、自身の不利を悟ったとき、僕は諦めた(・・・)。これを未熟と言わずして、なんと言おうか。

 御剣に敗北は許されない。未熟という言い訳は通用しない世界だ。そして僕は、御剣という看板を背負いながら、亜種能力者ごときに膝をついてしまった。

 思わず下を向いてしまう。今まで、格下ばかりの無能力者を相手にしていた僕は驕っていたのだ。能力者を相手にした実戦の経験はまるでなく、故に実力では格下であっても経験の差で覆されている。

 

 認めるしかないんだ。僕に御剣を名乗る資格は無く、同時にこの初陣は僕の敗北――……


「しっかり前を向けぇ!」


 大気が破裂したのかと思うほどの激しい激励が、僕の視界を上へと持ち上げる。


「まだ終わってないだろぉ? そら、ケツの穴引き締めて顔を上げなぁ」


 言葉は乱暴だけれど。


「……ッ!」


 その大きな姉の背中が、僕の足を奮い立たせるには十分なものだった。

 再起動する。怯えも恐れも、今は必要ない。

 ただしっかりと、前を向け。


「――超人、御剣楓か……!」


 対し、ガスマスク野郎は突然現れた楓姉を前に後ずさる。どうやら御剣楓という名前は、この界隈では有名なものらしい。楓姉の仕事ぶりは彼女本人があまり語らないので、その名がどこまで馳せているのかは、僕には想像もつかなかったが――なるほど。


「はっはっは! その肩書はセンスがなくて好きじゃないんだがねぇ。――まあ、つまらない御剣の看板を提げて出張って来たんだ。楽しませてくれよぉ?」


 超人。その肩書は、御剣楓に許されたモノだ。その称号に偽りなく、来栖家に牙を剥くならず者達にとって、それは畏怖の象徴である。

 怒気。彼女が纏う気質が孕むのはそれだ。楓姉の後方にいる僕でさえ、その圧倒的な威圧に胃を握りつぶされるような錯覚を覚えた。


 これが、御剣家の一族として仕事をこなす者の持つ覇だ。


「……ここは退かせてもらうとしよう。ニ対一では分が悪いのでね」

「おいおい、最近の亜種能力者ってやつは人の頭も数えられないのかぁ? 二対二の間違いだろうが」


 一瞬、僕は楓姉が言っている意味が分からなかった。目の前にいるのはガスマスク野郎一人。対して、こちらは楓姉と僕の二人である。大変言い辛いことではあるが、人数を数えられないのは楓姉の方ではないだろうか。

 しかし、ガスマスク野郎といえば楓姉の言葉を否定するわけでもなく、寧ろその指摘に対して警戒心を表した。


「……超人、やはりお前は危険だ。今、この場で排除したいほどにはな」

「おう、別に構わないぞぅ? ――残さず喰らってやる」


 楓姉はこれ見よがしに拳の骨を鳴らす。その様子は、まるで縄張りを荒らされ息巻く獅子のようであった。

 しかし、相手のガスマスク野郎は楓姉のその一言に対し、舌打ちで返答する。どうやら楓姉の挑発に応じるつもりはないらしい。黒い靄を一度大きく噴出すると、奴は夜闇の中へと消えていった。


「待てッ!」


 僕は咄嗟にそう口走っていた。ここで奴を逃せばどうなるか、想像に難くない。いずれ来栖家の障害になりえる芽だ。摘めるうちに摘むのが定石だろう。

 だが、前に出ようとする僕を楓姉は手で制した。


「おいおい、棗ぇ。自分の仕事の本分を忘れるなよぉ」

「でも……!」


 楓姉が彼らを逃すことに対しての危険性を理解していないわけがない。なのに、僕を制止する理由とは何か。


「何事も冷静になぁ。初めてだから無理もないが、そう焦っちゃあ視界は狭まるってもんだ? 例えば、その背中の白狗とかな」


 言われて気付く。ガスマスク野郎が消えたことにより、催眠が解けたのか襲い掛かって来た理央はぐったりと熟睡している。あの黒い靄を過度に吸引すると廃人化する、などとガスマスク野郎は脅してきたが、どうやら彼女は無事のようである。

 だが、問題がないわけでもない。少なくとも、ガスマスク野郎を追いかけることと天秤にかければ、こちらの方が重要な問題である。


「……ごめん、楓姉。血を舐められた」

「見りゃわかるってぇ。……そんな顔するなよ。十分頑張っていたこと、姉ちゃんは知っているからな」


 振り返ってみれば、初陣の成果としては惨憺たる結果であった。幸いなことに瑠璃様が無事であることが救いだが、下手人の素性は不明。さらに白狗の少女に血を舐められた。御剣家の限られた人間しか知らない、僕の能力が一部漏洩したと言ってもいい。


「逆に考えろよぉ。瑠璃様は無事だし、白狗の協力者も生きている奴は救うことができただろ? 姉ちゃんとしては、花丸を押したいくらいだ。ま、血を舐められたのは想定外だが別に許容できないわけじゃあない。この白狗に監視がつくが、逆に言えばその程度で済むレベルだ」


 失敗が許されない世界だ。それなのに、楓姉は寧ろ誇れと言わんばかりに僕の背中を軽く叩いて発破をかけてくれる。


「……怒らないんだね、楓姉は僕の監督役なんでしょ?」


 腐っても御剣家の当主である母さんが、初陣の経験もない僕を一人で来栖家に送るとは思えない。現に来栖家への送迎から今まで、僕のそばに自然な形で楓姉は立っていた。そして、何よりの証拠は僕がこの戦いで窮地に陥った場面で登場して見せた。てっきり、守りの薄くなった瑠璃様の護送車を追走したものだと思っていたけれど、どうやら僕のことを遠くから見守っていたらしい。

 

 別に隠そうとも思わないが、この初陣での僕の醜態を一部始終見ていたのだろう。ならば、僕に一言も二言も、言いたいことがあるはずだ。


「……怒るもんかよぉ。はっきり言えば棗が負い目に感じていることは経験不足が招いたことだからなぁ。そんなもの幾ら練習したところで培えるもんじゃないし、姉ちゃんは寧ろ初陣だからこそ経験できるもんだと思っているからな! まあ、怒るとしたら、そうだな」


 顎に手を当て、楓姉はほんの少し思案すると、はっきりと言葉を口にした。


「諦めるな、ってことだ。どんな時だって、それをしちゃあ終いだからなぁ?」


 あの瞬間、楓姉が現れなければ僕の思考は停止したまま取り返しのつかない結末を招いただろう。たらればの話は所詮僕の妄想でしかないが、落ち着きを取り戻した今でもあの瞬間の打開策を僕は思いつくことが出来ない。

 震える。一瞬の油断や判断の誤りが招く、想像を絶するような致命的な場面がこれからの三年間で何度訪れるだろうか。

 ぞわりと心胆を寒からしめるのは、言葉にし難い恐怖という名の怪物だ。とうに覚悟はしていたが、いざ身に降りかかってみれば、情けないことに僕の体は反応していた。

 僕が怯えているのは、命の危険に、ではない。


 御剣という名の重さに、である。


 ――誰でもいいから代わって欲しい。


 口から出かけた言葉を必死に飲み込む。それだけは駄目だ。たとえ、どれだけ理不尽で無理難題であろうとも、僕は御剣家次期当主なのだ。それこそ、こんなところで諦めるようであるのならば。


 端から僕にそんな器はないということだ。


 だから、楓姉も言うように「諦めれば終い」である。


「ありがとう、楓姉。僕は二度と『諦めない』よ」


 腑抜けた両足に活を入れ、僕は答えた。

 肌寒い夜風が僕の頬を撫でる。暗闇の向こうに姿を消した、ガスマスク野郎の後ろ姿を探すわけでもなく、一瞥した闇に殺気を放つ。


 次は仕留める。二度目を許すほど、御剣の名は優しくはない。


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