第16話:来栖瑠璃
御剣の仕事は終わった。戦闘に特化した御剣は、残念ながら武力を必要としない場所では役に立たないだろう。
来栖家の救護班が今になって、ようやく到着した。……なるほど、想像よりもガスマスク野郎を来栖家は警戒したようである。彼らに待機命令を出したのは恐らく護衛メイド長の御堂さんだろう。最善の判断である。手を出すな、と言ったのは僕自身だから、そこに思うところはない。寧ろ、後ろで瑠璃様の安全を確保するのに尽力してくれていたのだ。文句をつけるなど、とんでもない。
「ご苦労、御剣棗。亜種能力者の撃退、こちらでも確認した」
救護車両が展開される中、その内の一両から御堂さんが降りて来た。状況が状況なだけに、彼女の表情も非常に固い。
対照的に柔らかいのは楓姉である。出番は終わった、と言わんばかりに煙草に火を点けて夜風を楽しんでいる。
「手酷くやられたなぁ、弥生。メイド部隊は重軽傷者ばかりだな。死者がいないのは流石ってところかぁ。こっちの領分じゃないんであまり言いたかないが、これから来栖家の守りは薄くなるぞぉ」
「……ああ。千草様の護衛部隊と瑠璃様の護衛部隊の再編、今回の亜種能力者の襲撃。従来の護衛戦力では処理できない問題が山積みだ」
「まあ、そんなところだろうなぁ。奴さんもそれが狙いで強襲に踏み切ったんだろうよぉ」
「言い訳はしない。今回の襲撃はこちらで予測できなかったものだ」
交わされる幾許かの言葉。来栖家にとって、この状況は最悪と言っても差し支えないだろう。後手に回ったうえに、相手は亜種能力者である。椿姉の報告が無ければ、瑠璃様の救助は間に合わなかっただろう。
椿姉が有能なのか。それとも、来栖家の護衛能力が機能していないのか。
恐らく、そのどちらもだろう。ならば、当面の僕の仕事は多忙を極めるに違いない。
――上等である。
「御剣棗。君にかかる負担は、想像以上に重いものだが大丈夫か?」
「仔細ありません。なんなりと。この剣は瑠璃様のためにあります」
剣は剣らしく。僕は一振りの剣にすぎないのだから。
◇◇◇◇◇◇
「お帰りなさいませ、ご主人様~!」
来栖家から与えられた僕の自室に入ってみれば、中には七瀬さんが出迎えてくれた。……いやいや、なんでいるの。
「ども、御剣棗様。これから三年間、棗様の身の回りのお世話を任されました。七瀬渚でございます。以後、よろしくお願いしますね」
ああ、そういえば。風呂上りからのごたごたで忘れかけていたが、七瀬さんが僕の世話係になったと話には聞いていた。
どうやら、ベッドメイキングをしてくれていたらしい。なるほど、来栖家のお世話とはここまでしてくれるのか。まあ、来て初日。この部屋で使ったのもベッドくらいだし(というか、使ったのは楓姉だが)、やることと言えばベッドメイクくらいか。
「えっと、何から何まですみません。こんな時間に、ありがとうございます」
「いえいえ。棗様は瑠璃様を守る。私は棗様の生活を守る。それが仕事というものでしょう? 感謝する必要はありませんよ~?」
深夜、というよりはもう明け方に近いような時間。だというのに、七瀬さんはニコニコと笑いながらテキパキと掃除道具を片付けていく。
仕事人である。僕が男であると悟られるリスクを除けば、これほど心強い存在はいない。感謝する必要はない、というが、帰る場所が守られているというのは代え難いものである。
「ふぃー、仕事終わりの酒はいいもんだなぁ。お、七瀬。まぁだ仕事していたのかぁ?」
なんて感慨に浸っていると、後ろからのっそりと楓姉が現れた。仕事終わりとは言え、なんともずぼらな恰好である。具体的にはタンクトップとパンツ。それだけ。いつも通りと言えばいつも通りだが、来栖家の敷地内でも平常運転とは恐れ入る。
「……楓様。いくら何でも、その服装はいかがなものかと」
冷ややかな七瀬さんの視線が楓姉に突き刺さる。僕の対応とは打って変わって、手厳しいものが楓姉に加えられた。
来栖家で働く時間が長い楓姉は、この屋敷の中でも我が家と同じように過ごしているのだ。御剣の分家の人は逆らえたものでもないし、それ以外のメイドさんは言わずもがな。恐らく、瑠璃様の寛大な心が許してくれているのを良いことに、好き勝手しているのだ。
「へいへい。仕事のときはちゃぁんと服を着るから見逃してくれぃ」
馬耳東風とはこのことか。今すぐに着替えろと暗に言っても直すわけがない。
「ちゃんと着替えなよ」
「やだ」
勿論、直接言っても無駄なのだが。
「棗様、明日の六時ごろに起こしに行きますので、それまで今日の疲れは取っておいて下さい。その後は通常業務となります。詳しいスケジュールは明日お伝えしますので、今日はもうお休みくださいね」
楓姉から目を逸らし、七瀬さんば僕にそう言うと一礼して去っていった。……初対面で僕の尻を触った人とは思えないほどの円転滑脱ぶりである。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に寝るかぁ」
「やだ」
この駄目姉は、全く。いくら来栖家から支給された個室とはいえ、僕が一人住むことを想定されたものである。ベッドのサイズもそれなりに大きいが、シングルの域をでないものだ。
そんな中で高身長の楓姉と一緒に寝る? 冗談じゃない。姉に抱きかかえられて寝るなんて、葵が小学校に入った頃に卒業している。主に兄の威厳的な意味で。
「葵には黙ってやるからさぁ。久しぶりにぎゅっとしてあげるぞぉ」
「床で寝て」
断固拒否の構えは崩さない。明日も忙しいというのに、こんな駄目姉に体力を割く暇などないのだから。
◇◇◇◇◇◇
全て終わった翌日。具体的に言うと、楓姉にぎゅっとされて三時間後。水だけを浴びだ僕はきっちりとメイド服を着こなして来栖家のロビーに立っていた。
……休んだはずなのに、大して休んだ気がしないのは気のせいか。いや、気のせいじゃない。原因はわかっている。
周囲には、僕の他にも護衛メイドの先輩方が直立不動のまま佇んでいる。昨日のバカ騒ぎをしていた面子とは思えないほどの、剣呑とした雰囲気を放つのは分家のお姉様達だ。御剣の血は、分かれても薄れることなく気迫を放つ。
ならば、本家の僕は彼女達に次期当主としての姿を見せねばならないのではないか。
「棗ぇ、なーに緊張しているんだぁ?」
だというのに、この楓姉ときたら。
「襲撃があったの、昨日の今日だっていうのに……。楓姉こそ、緊張しないの?」
「おいおい、襲撃があった程度だろぉ? 何も能力者が何千と襲ってきた訳じゃない。そんくらいで動揺するなよぉ、可愛いなぁ」
修羅場を潜り抜けた数がそもそも違うのだ、楓姉としては日常茶飯事の仕事だったのだろう。経験の差、こればかりは場数を踏まなければ埋められないものだ。
間違いなく、楓姉の余裕は強者のみが持つことを許されているもの。到底、今の僕が持っていいものではない。あと、別に可愛くはない。
……まあ、たとえ昨日の襲撃が無くとも、今の僕は緊張していただろう。
「それともアレかぁ? 瑠璃様と顔合わせで緊張してんのかぁ?」
「……う。やっぱりわかる?」
楓姉の指摘のとおり。恥ずかしながら、瑠璃様との顔合わせには少しばかり緊張している。まあ、小さな頃から来栖家には失礼の無いように、と教えられて生きてきたためだ。
「おう、顔に出るからなぁ、棗は。まあ、瑠璃様は緊張するほどの相手じゃないんだがねぇ。肩書や背負っているものは大きいが、中身はただの女の子だからなぁ。同い年の棗に緊張されちゃぁ、あっちもやりにくいだろうなぁ」
「……そんなこと言われて」
御堂さんの言葉を思い出す。瑠璃様には味方が少ない。……その言葉に偽りはないだろう。だが、僕に彼女の友人という役割が務まるとは思えない。
でも、御剣として。否、彼女の傍に立つ御剣棗として、僕の緊張が彼女に負担をかけてしまうのなら、それは僕の落ち度だ。
「わかったよ、善処する」
「それでこそ、だ。ほぅれ、来るぞ。瑠璃様だ」
楓姉が顎でロビーの二階を指す。彼女の言葉通り、上の方から足音が響いてきた。
「――おはようございます、皆さん」
そこには、昨日の車の中から僅かに覗けた、お嬢様の姿があった。
来栖瑠璃、その人だ。




