第12話:ヒバナ《上》
起動した壱式は、僕の意志に答えるように変形――いや、変身を開始した。それは、ロングスカートがミニスカートに、そして服の随所にはレースやフリルがあしらわれ、ひどく低俗なものへと早変わりする。いや、仕事着に高尚も低俗もないのだが、なぜ肌の露出が増えるのか。それが僕には理解できなかった。
闇夜を照らす、朧げな月影に照らされるのはミニスカメイド服。ああ――醜態以外の何物でもない。なにせ、着ているのは僕なのだ。男の! 僕なのだ……!
『ふむ、さすが私だ。映る瞬間は一瞬であっても、やはり映える変身バンクにはこだわらねばな』
「おい、おいおい! 私の後ろでそんな愉快なことが……!?」
全くもって愉快ではない。
「絶対に振り向かないでね!」
家族に見られてどうのこうのと思うことはないが、運転中の楓姉が振り向いて横転でもすれば僕も巻き込まれてしまう。言うまでもないが、死因が楓姉の下心では末代までの恥だ。それだけは何としてでも避けて頂きたい。
だが、ありがたいことに椿姉と楓姉の茶番で僕の中にあった緊張感は程よく解れていた。
――ありがとう、二人共。
言葉にする必要はない。感謝は心の中に留めておく。すでに敵は視界にいるのだ、必要以上に心が動くのを御剣は善しとしない。
何より、その程度の言葉は音にする必要もなく、彼女達には伝わるのだから。
『気合い入れていけよ、棗。これはお前と壱式の初陣だからな』
「――言われなくても!」
こんなところで尻込みできるものか。僕は腹を据えて、背中の得物にそっと手を添える。
援護はない、初めての戦闘だ。これまで戦ったチンピラ達とは訳が違う。歴とした、来栖家からの依頼。それも、敵は亜種能力者。何もかもが初めてだ。
だが、それだけだ。御剣には、その程度の事柄を障害と捉える者はいない。
接敵する――3、2、1。
瞬間、僕の中から音が消えた。
◇◇◇◇◇◇
浮遊感。春の夜風が僕の肌を撫でていく。まるで死神に触られたような冷たさに、僕は嘆息する。死神の手のひらの温もりなど、終ぞ触れたことなどないのに。
空中で体を捻り、体勢を整えて着地した先は――来栖家の送迎車、そのボンネット。
「なっ……!」
「驚かないで下さい。さあ、アクセルを踏み続けて!」
運転手の驚愕に対して、僕は手短にアクセルを踏み続けるよう指示を出す。ブレーキもハンドルも切らなかったのは流石と言うべきか。
車内の後部座席に視線を移す。どうやら、瑠璃様と護衛メイド――一ノ瀬紗綾と言ったか。どちらも無事のようである。瑠璃様と言えば、必死に身を屈めて震えているばかりだが、どうやら隣の護衛メイドの腕が良かったようだ、外傷らしい傷はない。それに対し、メイドの方は傷だらけである。致命傷になっているものは無いが、この状況が続けば危ういだろう。
拮抗、と表現するにはあまりにも一方的。だが――間に合った。ならば、何も問題は無い。これなら僕が黒狗の足止めをすれば、瑠璃様は安全だろう。
冷静に観察する僕に、もう一人の護衛メイドが僕の存在に気が付いたようだ。射撃の手が止まった。
「――アンタが御剣ね。私は援護要請なんて出していないけれど?」
どうやら、彼女の吊り上がった眉は死線の真っ只中にいることだけが理由ではないようだ。言葉の節々に棘を感じる。
表情には出さないが、非常に面倒な話だ――そう僕は思った。一ノ瀬紗綾。彼女が不機嫌な理由はわからないが、今は彼女のご機嫌を取っている時間はない。
「確かに貴女からの援護要請は受けていません。僕は来栖家からの援護要請を受けています。なのでお気になさらず」
手短に言う。今は一瞬が惜しい。経てば経つほど、悪くなっていくこの一瞬に、僕は矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。
「ここからは僕が請け負います。手出しは無用ですので――」
瑠璃様をお願いします――その言葉は、風と獣の咆哮に掻き消された。
◇◇◇◇◇◇
僕の持つそれは剣と呼ぶにはあまりにも大きく、あまりにも鈍ら。いや――その目的は、重さで断ち切る鈍器の類だろう。何より目を引くのは、刃の部分に組み込まれた歯車。振るう度に高速回転するそれは、対象をすり潰すためのシンプルな機構。グリップに備え付けられた引き金に力を籠めれば、僕の意志に従うようにそれは火花をあげて歯を鳴らす。
『名付けて輪禍剣――《ヒバナ》。初陣を飾るには上々の得物だな』
椿姉の言葉に僕は頷く。椿姉の作った武器だ、亜種能力者如きに遅れを取るわけがない。もし、この状況で負ける要因があるとすれば、それは僕にあるだろう。
目標は絞るまでもない。僕の視界を占める巨大な黒い獣。姿形は狼のそれだが、大きさが実在するどの狼とも比較にならないほど巨大だ。加減を誤れば、喰われるのは僕だろう。
来栖家の車から後方に身を投げて、一瞬の間もなかった。抜いたヒバナが早くも咆哮する。刃に組み込まれた歯車が高速回転し、威嚇するように火花を上げる。大気を削り取るようなヒバナの猛威に、さしもの獣も危険を感じたようだ。
「……噛みついた相手が悪かったね」
相手は来栖家――ならば、御剣の僕は容赦できない。来栖家に手を出す、とはそういうことだ。
戦闘強化。壱式の名は伊達ではない。装具というにはあまりにも珍妙な形であるメイド服。しかし起動した壱式の本質は、装着者の戦闘支援である。ただのメイド服に見えるが、その実態は様々な機能を備えた一つの兵器だ。
加速する――僕の体は壱式の加速装置によって、超人的な加速能力を手に入れた。
勢いは殺さず。僕はヒバナを振るう。回転する歯車は大気を食み、獲物に目掛けて牙を伸ばす。加減はしたが、その機構上、刃に触れれば亜種能力者と言えどただでは済まないだろう。
その確信はあった――だが、手応えがない。その奇妙な感触を知覚した瞬間、僕は大きく後方に退いた。
「へえ」
僕は思わず感嘆する。これが亜種能力者。なるほど、なんらかの異能によって、僕の一撃が防がれたようだ。やはり、今まで僕が相手にしてきた奴らとは格が違う。
黒い獣は僕の一撃を防いだことで、何やら得意げだ。奴の周りには、黒い靄のようなものが漂っている。恐らく、それが奴の能力だろう。なんだろう、これは。黒い――闇?
獣が黒い何かを周囲にまき散らす。ここまで大盤振る舞いするほどの、靄だ。まず間違いなく奴の能力なのは確定だろう。だが、その効果が分からない。
どうする――確認するほかあるまい。
僕は右手を振り上げ、その靄に突っ込もうとした、その時であった。
「……それに触れちゃ、駄目」
その拳は、何者かによって掴まれた。