第13話:ヒバナ《中》
僕の手を掴んだ人物は一人の少女であった。どうやら報告にあった白狗とは彼女のことらしい。目深に被ったフードが彼女の相貌を隠しているが、声からして少女だろうか。
彼女の姿は目の前の獣との激闘を物語っていた。身に着けている防具は素人目から見ても半壊しており、その下から覗く肌からは夥しい血が流れている。致命傷ではないだろうが、軽傷、と安堵できる傷でもない。
「ご忠告感謝します。白狗の方ですね? 今回の来栖家への援護は有り難いですが――」
言い淀む。まさか、その怪我では足手まといだから下がれ、とは言えない。しかし、そう言わなければ彼女は死ぬだろう。
黒狗と白狗。亜人の派閥は、大きく分ければこの二つ。彼らを二分するのは人類という支配層の種族に対してどういう感情を持っているか。黒狗は人類に対して自身を新人類と呼び、人類の上位存在になろうとしている者達。それに対し、白狗は亜人として人類と共存しようとする者達である。
では、黒狗がなぜ来栖家を狙うのか――それは、大きな権力を持つ来栖家が、ある主義を貫いてるからである。
平和、平等。力無き者達の前に等しく門を開く――他の家と異なり、唯一の平等主義者。亜人と呼ばれる被差別階層の人々に救済の手を差し伸べ、御剣という武と膨大な財によって下層の人々を守る平和の代弁者。
しかし、力を持った亜人――黒狗達は、来栖家を目の上の瘤としか映らないのだ。来栖家、その存在がある限り亜人の勢力は二分され続けるのだ。
亜人の片方の勢力である白狗。彼らは来栖家の庇護下にいた者達や、黒狗のやり方に異を唱える亜人の集団で、その多くが瑠璃様の味方である。亜人を差別する風潮が大きい中、メイドとして亜人を雇っているのも来栖家くらいのものだ。七瀬渚がその最たる例だろう。
話を戻そう。厄介なことに御剣も白狗を見捨てることはできない。なぜならば、彼らは弱者であり、そして彼らを救うことが来栖家の大義。その大義を果たすための道具が御剣なのだ。
弱きを救う――それは強者の言葉である。その言葉を来栖家は憚ることもなく宣うのだ。そして、その言葉には責任が伴う。
まあ、それを重荷と思うようであれば僕も瑠璃様も器ではなかった、ということだが。
「その怪我では、目の前の亜種能力者には対応できないでしょう? 退いて下さい、僕一人で処理しますので」
なるべくオブラートに包んで言う。瑠璃様を守りたいという意思を無碍にはできないが、それとこれとは話は別だ。
「……それは、出来ない」
何かを躊躇した、絞り出すような彼女の言葉に僕は溜息を吐きそうになる。物分かりの悪い――そう叱るのは彼女の親の役割だ。
それに、彼女が留まる理由に思い当る節がないわけでもない。一人で亜種能力者を抑えこめるほど、残念ながら彼女に技量があるとは思えない。
「わかりました。しっかり掴まって舌を噛まないようにしてくださいね」
彼女の腰を抱き、再び加速装置を起動する。守りながら戦う。この程度ならハンデの一つにもならない。
「きゃっ……!」
あまりの加速に白狗の少女が悲鳴を上げるが、僕にはクレームを受け付ける暇はない。こんな会話の最中でさえ、敵の猛攻は止むことは無いのだ。
触るな、と忠告された件の靄が槍のように形成されて、僕の影を捉えようと躍起になる。
「遅いね」
「……!」
無数に形成された黒い槍は、数こそ多いものの対処可能。触れてはならない、その忠告通り僕は躱し、時にヒバナを盾代わりに使いながら、冷静に観察する。
相手も僕が手心を加えていることを重々理解しているらしい。黒い獣が一度、ぶるりと震える。それは憤激の表れか。それとも、いや、あるいは。
時間にして半刻が過ぎた頃か。黒い獣の周りを漂う黒い靄は次第にその勢いを衰えさせていく。やはり、と言うべきか。際限なく使い続けられる能力というものは数が少ない。絶対にない、と言いたいところだが、例があるだけに断言はできない。仮に黒い獣が持つ能力が、もしそうであったならば千日手の維持か玉砕覚悟で一撃を見舞っていたのだが、どうやらその必要はないようだ。
黒い靄どころか、黒い獣の姿さえも霧散していく。端から巨大な獣など、なんらかの能力によって見させられた虚像だと思っていたが、こうもあっさり姿が消えてしまうと呆気ないものである。
「化け物の正体見たり――枯れ尾花なら、もうちょっと仕事は楽になったんだけれどね」
それは、ガスマスクを装着した黒いスーツの――男、だろうか。ボディラインは男とも女ともとれる。相手の性別など僕にとってはどうでも良い情報だが、その曖昧な出で立ちは僕を不気味にさせた。いや――なにより不気味なのは、ガスマスクによって表情が読めないところだ。幽鬼のように、ゆらり、と覚束ない足取りは、一見すれば隙のように見える。
「貴様、御剣だな」
機械音声。なるほど、徹底して自身の情報を悟らせないようにしているのか。その用意周到な隠匿性に僕は思わず舌打ちをする。
「それが何でしょうか」
その発言に、目の前のガスマスク野郎はにやりと嗤った気がした。
「なに、それだけの力がありながら弱者の守護などと宣う貴様らに現実を見せようと思ってな」
ごとり、と路上に放られたのは二人の亜人。すでに息はないだろう、恐らくは、あの黒い靄に触れたことによる死。
僕にとってはどうでもいいことだ。御剣からも来栖からも、白狗の護衛は僕の仕事の中に入っていない。
「お前が守れなかったモノだ」
「二人共……」
だが、僕の腕にしがみ付いている彼女にとっては重大な問題だろう。彼らの関係など部外者の僕からは妄想の域を脱しない推測だが、仲間であることは間違いない。
固く結んだ口から、漏れた言葉はあまりにも悲痛なものであった。
「そして、これがお前の守れないモノだ」
見せつけるように、ガスマスク野郎が掴んでいるのは一人の亜人の少女。先の二人と似た出で立ちだ、間違いなく彼女の仲間の一人だ。
その少女の喉元にガスマスク野郎はナイフをあてがう。分かりやすい脅しだ。
「理央……!」
どうやら理央と言うらしい。息も絶え絶えだが、まだ死んではいないようだ。僕に対して白狗が人質に使えると考えたのだろうか、僕に対してそれは悪手。いや――御剣に、と言い換えた方が良いだろう。
「椿姉」
『大丈夫だ、全て記録している』
よし。なら、手加減する必要はない。
『それよりシンデレラ、悲しいお知らせだ。そろそろ鐘が鳴る』
「最悪の表現だ……!」
椿姉の通信を聞くまでもない。先ほどから壱式の使用限界を知らせる警告音が鳴り響いている。絶え間ない加速装置の連続使用に加え、ハナビの稼働も無視できないほどの負荷だ。短期決戦用であると聞いていたが、まさかこんなに短いとは。
「もうちょっと長く使えるようにしてよ、これじゃ長期戦に支障が出るから」
『やれやれ、うちのメイドは注文が多くて困るね。次はカボチャの馬車をご所望かな? あまり魔女を泣かせるもんじゃないよ』
着る僕が一番泣きたいんだよ! とは言わない。絶対に言わない。言ってたまるか。
『泣いても笑っても、次の一撃が最後だろうな。それでヒバナと加速装置は使えなくなる』
つまりは、一撃で決めろ、ということだ。
「――了解」
恐らく、この亜種能力者が来栖家を狙った理由――それは恐らく、御剣家の力を記録することだ。椿姉や楓姉の能力でさえ、その一端がようやく判明しているような状態だ。自慢ではないが、僕の能力の情報も市場にでれば、それに膨大な値が付くだろう。
本当に瑠璃様を狙っているのならば、亜種能力者一人で行うはずがないのだ。つまり、このガスマスク野郎は僕の戦力を見るための捨て駒――そう考えるのが妥当だろうか。
態々、僕の能力を見せつける必要もないだろう。椿姉の言葉通り、一撃で片を付けよう。




