ある男は女々しくも進む
酔って吐く描写があります。苦手な方はお控え下さい。
「そりゃあ、あんたね。なにも言わずそばにぴったりついていれば落ちるなんて事ないんだよ」
と、アナナスがカウンターに肘をついて行儀悪く酒を飲みながらそんな事をいう。アナナスの夫であるレザンは、それを苦笑しながら見守っているが、とにかく今はそれらを気にしている余裕はノワにはない。
「だって、誰より俺がそばにいたんだよ」
「そばにいればいいって問題じゃないの」
もっともな事を言われて、うぐぐと唸る。
気晴らしに手にしていたビールの杯を煽るが、少しも喉を通らないうちに気分が悪くなる。
飲み過ぎたわけでもないのに頭がぐらぐらするし、感情だって乱れて落ち着かない。
それでも、なにか飲まずにはやっていられなくて、また性懲りもなく酒を流し込む。
しかし、いきなり流し込んだのがいけなかったのか、気管支に入ってしまいげほげほと咳き込むと、隣に座るレザンが背中をさすってくれる。
一方、レザンの妻であるアナナスは、夫と違い、咳き込んだノワを見てうひゃうひゃと愉快そうに笑っている。
レザンはノワのために水をそばに置いてくれた。本当に、アナナスにはもったいない優しい男だ。
「ぶふふ、あんたももっと早く動けばよかったのかもね? そうしたらレネットだってあんたを選んだかもしれないのに」
「アナナス」
レザンが達の悪いアナナスの言葉をさすがに見兼ねて諌める。
「……無理だよ」
「は?」
「あいつより早く俺が行動したって、レネットは俺を選ばない」
それはアナナスだって十分わかっているはずだ。だからこそ、わかっているのに、わざとそんな冗談で傷をえぐってくる。本当に達が悪い。
「なにさ、ちゃんとわかってるんじゃない。じゃああんたがどう頑張ったってどうせ駄目だったんだからいつまでもウジウジしてないでよね」
面倒臭い、とアナナスが毒づく。
けれど、確かにアナナスやレザンに迷惑をかけている。落ち込んでしょげていたノワを見兼ねて、こうして一緒に飲んで話を聞いてくれているのだから。
「まあ、レネットは早く諦めてとっとと次を探しな」
「次なんていない」
「ほらまたそうやってうざい事言うー。次はいるの。いないと思っても現れるの」
アナナスは大きなため息を吐きながら酒を飲む。それにつられてノワも手にしている杯をあおり、今度はうっぷと若干の吐き気がこみ上げた。
「……気持ち悪い」
「駄目だよ。今日は飲んで吐いて飲んで。嫌な事ぜーんぶ吐き出して、明日の朝は最悪な気分でおきながらすっきりするんだから」
「それすっきりするの?」
「する!」
どこにそんな根拠があるのか聞きたくなったが、聞かなくても彼女の経験上の話だとなんとなくわかった。
きっとアナナスは落ち込んだ事があると、「飲んで吐いて飲んで」をして次の朝、二日酔いで最悪な気分で目が醒めるのだろう。
頭が痛くて、時間が経ってもまだ気持ち悪くて。ベッドの上でゴロゴロしながら呻いている自分が簡単に予想がつく。
けれど、ひやりしたそんな最悪な朝。昨日までの落ち込みがその日もあるかというと……もしかしたらないのかもしれない。
「……わかった。飲む」
「お! いいね、飲み比べでもする?」
アナナスがぱあっと顔を明るくさせて嬉しそうに笑う。そうやって無邪気に笑っていればまだ可愛く見える。レザンにとっては、いつも可愛く見えるのかもしれないけれど、さすがにその気持ちはノワにはわからない。
アナナスはアナナスで、彼女なりにノワを元気付けようとしてくれている。
ノワは椅子から立ち上がる。
「いいけど……その前に吐いてくる」
「たっぷり吐いてこい!」
元気のいいアナナスの激励をもらって、ノワはひとまず店をでて、その裏路地で思い切り吐いた。
胃の中から喉へ逆流して外へ吐き出されるそれは、きっとノワの暗く落ち込んだものだ。それを酒で刺激して、吐き出して吐き出して。
そうしてまたいつも通りの自分を取り戻す。
***
いらっしゃい、と愛想のいい中年の男の声に迎えられ、おずおずとノワは店内に入る。案内された椅子に座り、目の前にある鏡で自分を見て決心を固めた。
「それで、今日はどんなご用で?」
「ええと」
指で前髪をさわる。視界を広くすれば、違ったなにかが見えるだろうかと、そんな期待がわいて、ここに来た。
ノワは一度呼吸を整えてから、鏡越しに店主を見て、口を開いた。
「髪を切ってください」
はいよ、と慣れた対応に安心して、ノワは目を閉じる。
すぐに脳裏に浮かぶのはやはり思い続けてきた女で、もう彼女は手に入らない。
だけど、ずっと立ち止まっているわけにもいかないから、少しずつでも踏み出そうと、二日酔いの勢いで理髪店に訪れた。
新しい自分に出会うために。
ノワのその後の話でした。次はレネットとシュクレの話で、最後です。




