5
「あいつ、本当にくびにしてやる」
と、珍しくシュクレが声を荒げて怒っている。レネットは笑いながら目の前にある料理に手を伸ばす。
仕事から帰ってきたシュクレがすぐ食べれるように、簡単ではあるがレネットが料理を作ったのだ。砂糖菓子職人とはいえ、料理をするプロに素人料理を食べさせるのは気が引けたが、シュクレは笑顔で美味しいと言ってくれた。
「どうしたの? お店でなにかあった?」
レネットが店に行ったのは夕方だ。そこから閉店時間まで数刻しかない。その間に、一体なにがあったのだろうか。
「グルナードが……」
もごもご、と言いにくそうにシュクレが口を開く。
「グルナードさんが?」
「……いや、やっぱりなんでもないです。少しからかわれただけですから」
なにやら顔を思い切りしかめた後に、吹っ切ったかのような笑顔を浮かべてそう言う。それでは益々レネットは気になるばかりだが──なんとなく、グルナードの言った言葉に予想がつく。
めでたく恋人同士になった二人のはじめての夜だ。色々と下品な言葉でからかわれたに違いない。
「……シュクレは、今まで結構遊んできたの?」
「は?」
ぽかんと口を開けてシュクレが首を傾げる。
その反応を見て、レネットは納得した。こんなに奥手なシュクレが、遊んできたわけがない。遊ばれた事はあったかもしれないが、つまりシュクレは私生活での女慣れはしていなさそうだ。
だからこそグルナードはからかったのかもしれない。
なんだか彼と次会う時に一体どんな顔をすればいいのかわからなくて、レネットは苦笑を浮かべる。
「レネットさん、今度どこかにでかけませんか」
「ん?」
シュクレはレネットの作ったスープを飲みながら問いかけた。
「二人で休みの日に、どこかへ」
それが、恋人として誘っているのだとわかり、レネットはなんだか照れくさくて、少し俯いて微笑む。
「うん、いいよ」
なんだろう。この、胸の中をいっぱいにしめる甘酸っぱさは。
こんな感情、十代の頃だって味わった事はない。遅くになってきた思春期かと思ってしまうくらいだ。
「レネットさん」
テーブルの上に乗せていた手を、対面に座るシュクレに握られる。
急に手を握られ、彼の肌がやけに熱いことに驚く。そういえば、抱きしめられた時も、彼は熱かった。
「……なに?」
自然とレネットまでなんだか顔に熱が集まってくる。緊張して、身体が石のように硬い。
今、自分は椅子に正しく座れているだろうか。背もたれに背を預けているはずなのに、なぜか姿勢がぎこちなく思える。
「──今日、泊まっていきませんか」
握られた指を、絡ませたシュクレの指が撫でる。
レネットはどうしようもなく緊張して、照れて、応える事ができずに俯いた。
三十路間近の女がなにをやっているのか。こんな事で照れている場合ではない。けれど、経験の浅いレネットでは緊張をほぐす術を知らない。
もっと経験をしていればこういう時、冷静でいれたのだろうか、とふと考えてしまう。
「レネットさん」
掠れたシュクレの声が、耳に響く。
年下の男に、翻弄されている。けれども、逆らえない。
「うん」
レネットは小さな声でそう応えるのが精一杯だった。頭のなかでは今日の下着は、とか。せめて身体を拭きたいけどいいのか、とか余計な事がぐるぐる回っている。
「よかった」
シュクレは笑った。その笑顔のなんて甘いことか。
大きな風が、木の葉を散らしながらぶわっと自分へ吹き込む感覚。
今までの緊張をすべて吹き飛ばし、あっという間にレネットの心を占領してしまう。
レネットは緊張で固まっていた身体を解き、微笑む。
「……シュクレには敵わないね」
「え、なにがですか?」
その無自覚な笑顔が一番攻撃力が高いことを、シュクレは知らない。
レネットは彼にこれからも翻弄されて、緊張させられて、たくさんの感情に飲まれそうになりながらも満たされた日比を過ごすのだろう。
そんな、将来像まで見えた。
「シュクレ」
「はい」
名前を呼べば声が返ってくる。嬉しそうな笑顔とともに。
シュクレは自分が作る砂糖菓子のように白くて、甘くて、ふわふわとしている。
お菓子だけではなくて、シュクレ本人も、どれだけレネットを癒やしているのか、本人はわかっていない。
レネットは椅子から腰を上げて見を乗り出し、シュクレの額に口付けを落とす。
ふわり、と甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「え、ぁ」
狼狽えてわずかに目元を赤らめるシュクレの顔に満足してレネットは微笑んだ。
年齢なんて関係なく、甘い恋もできるのかもしれない。──この人となら。
最終話です。読了ありがとうございました!
感想やメッセージもらえると今後の励みになります^^




