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闇の石  作者: 田中伊織
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第五話 河口真

「はあっ……、はあっ……」

二人の攻撃をかわしながら、頭をフル回転させる。

なんとかこの状況を打開しなくてはいけない。

「はあっ……、くっ!」

がくんと膝が崩れた。

もう体力が限界だ。

今の俺にできることをもう一度考えてみる。

覚えた呪文が全部で4つ。

魔物の憑依を解く儀式。

あとは……運動神経が並以上はある、ということだけだ。この中から、今有効なのは?

一つずつ検証してみる。

儀式については麻由や藤原さんが正気を失っている今、役には立たないだろう。

体力も限界なので、運動神経も人並以下になっている。

ならば呪文か?

4つの呪文は、いづれも一度たりとも成功させたことはない。

雷を発生させ、ダメージを与える呪文。

即座に眠りへ落とす呪文。

誰かの精神世界へと侵入する呪文。

実体のない幻影を出現させる呪文。

この中で、有効なのは……

瞬間、ある作戦がひらめいた。

「成功するか、わからないけどな」

でも、成功する。

させてみせる。

しなければ、麻由も、藤原さんも、助けられないから。

今までにないほどのエネルギーが石から左手へ、左手から全身へと流れていく。

俺は本に書かれていた呪文を思い出し、詠唱を始めた。

「我が言霊に意識薄れ、無の暗闇に沈め……深き静寂にその身を委ねよ!」

麻由へと向けた右手から、大きなエネルギーの奔流が流れ出す。

麻由の体がぐらりと揺れ、その場に倒れこんだ。

「……成功、したのか?」

麻由に駆け寄る。

「……すぅ…………すぅ…………」

規則正しい寝息。

どうやら本当に成功したらしい。

「……ぅ……あれ?……私……」

「藤原さん!?」

後ろを振り向くと、藤原さんがきょときょとしている。

正気を取り戻したようだ。

なんとか、危機的状況は脱したようだった。

 

「ごめんなさい、油断していたわ」

「いや、いいんだ。それより……」

とりあえず藤原さんに状況を話した。

「……おそらく、麻由さんが目を覚ましたら私はまた正気を失うでしょうね」

「俺一人じゃどうにもできないぞ……」

「麻由さんの精神世界に侵入すればいいわ」

しれっと言ってのけた。

「もともと、こういう可能性を考えて覚えてもらった呪文だから」

「具体的には?」

「眠った状態の麻由さんの精神世界に侵入するの。そのどこかには吸血鬼がいるはず。そいつを倒す」

憑依を解くことなく、直接攻撃を仕掛けるということのようだ。

「麻由さんには少なからず危険が伴うわ。できればこの方法は使いたくなかった」

「でも、今はそれしかないんだろ?ならやるしかないじゃないか」

「ええ、そうね。ただ、覚えておいて。戦場になるのは、麻由さんの精神。あまり無茶をすると、麻由さんの心は壊れ、廃人になるわ」

廃人。

藤原さんがさらりと口にしたその言葉は、とても重い意味を持ったものだった。

「……大丈夫だ」

自分に言い聞かせるように言う。

「では、いくわよ」

藤原さんの手が、眠っている麻由の額に乗せられる。

俺も手を重ねた。

そして二人で詠唱に入る。

「精神を司る精霊よ、我をこの者の無意識へといざなえ」

詠唱を終えると、周りの景色が見えなくなり、どこまでも落ちていくような感覚が襲ってきた。

 

「う……」

目を開けると、見慣れた天井が見えた。

体を起こすと、どうやら自室のベッドの上のようだ。

「お兄ちゃーん、起きてるー?」

麻由の声がする。

がちゃ

返事がないのを不審に思ったのか、麻由が入ってきた。

「起きてるんなら、ちゃんと返事してよねー」

麻由は呆れた風に言うと、そのまま出て行った。

俺は何をしていたんだっけ?

……そうだ。

確か、魔物に憑かれた麻由を助けるために麻由の精神世界に入り込んだんじゃなかったか?

じゃあ、ここが麻由の精神世界?

あまりにも日常的な光景に、軽く混乱する。

今までの魔物騒動は、すべて夢だったのだろうか。

そう考えたほうが納得がいく。

とりあえずリビングに向かった。

「おはよー、お兄ちゃん」

「おはよう」

「紅茶淹れるけど、飲む?」

「ああ、もらうよ」

いつもとなんら変わらない。

変わらな過ぎて気味が悪い。

「紅茶にはやっぱこれだよねー」

そう言って麻由ははちみつを取り出す。

それをスプーンですくってカップにたらす。

同じ動作を3回繰り返し、かき混ぜる。

「お兄ちゃん、なんで私服なの?学校に行くんだから、制服でしょ?」

かき混ぜながら麻由が言う。

言われて気づいた。

俺の服は、麻由の精神世界に入るときに着ていた服だ。

魔物騒動は本当だった?

もう、何が正しいのかわからなくなってきた。

「うーん、そうだな」

適当に相槌を打ちながら、麻由に対してどこか違和感を覚えていた。

平日の朝でも、時間に余裕のあるときはこうして優雅なティータイムとなることがある。

そういうとき、多くの場合麻由ははちみつを紅茶に入れる。

どこも不自然なところはないのに、どこかおかしい。

違和感を拭い去れぬまま、俺は麻由と一緒に登校した。

 

登校中、終始麻由は俺にべたべたしてきた。

手をつないだり、腕を組んだりと、知らない人が見たらバカップルに見えただろう。

俺は俺であまり強くは言えず、周囲の視線が痛かった。

 

教室に入り、席に着くと藤原さんが話しかけてきた。

「どう?」

「どうって、何が?」

藤原さんが話しかけてくるってことは、魔物騒動は夢じゃなかったということだ。

少し残念な気持ちになった。

「ここは麻由さんの中。当然、ヤツもこの世界のどこかにいるはず。居場所の見当はついた?」

「いや、さっぱりだ」

「そう……」

ついさっきまで、現実世界との区別もついていなかったのだから当然だ。

「この中では、ヤツは何でもできるわ。だから、誰かに扮していると思うの」

「誰かに、か……」

真っ先に麻由の顔が浮かぶ。

藤原さんもそうだったのではないだろうか。

それでも「誰かに」と言ったのは、確証がないからか、俺に気を使ったのか。

「そういえば麻由のやつ、朝からなんか変だったな」

「…………」

「麻由に扮してるんじゃないか?」

「…………確証は、ある?」

「いや、ないけど。とりあえず、試してみれば……」

「そんな生易しいものじゃないの」

俺の言葉を切って藤原さんが言う。

口調こそいつもどおり静かだったが、その言葉には強さがあった。

「この世界での麻由さんは、麻由さんの精神そのものなの。それに傷をつければ、麻由さんは心に傷を負う。もし死ぬようなことがあったら……」

恐ろしかった。

その先は聞きたくなかった。

耳を塞いでしまえれば、どんなに楽だっただろう。

「……廃人になるわ」

精神が死に、肉体だけが生き続ける抜け殻。

麻由をそんなものにはさせられない。

俺は自分の考えの甘さを思い知った。

「100%ニセモノだ、という確証が必要なわけか……」

ニセモノがいるということは、麻由の格好をした人間が二人いるということだ。

「二人がどこにいるか、まずは探さないとな」

「もう一人なら私服で公園を散歩してたけど、どうするの?」

「二人を集めて、麻由にしかわからない質問をする、とかは?」

「麻由さんとヤツは半分繋がっているのよ?リアルタイムで思考を読み取られたら意味がないわ」

「じゃあ、麻由しか持ってないものを出させる、ってのは?」

「精神世界内では、物はイメージするだけで手に入るわ。二人とも同じものを取り出せるでしょうね」

ほかに方法が思いつかない。

打つ手なし、なのか?

どうすればいいんだ……?

「……無意識の行動を見る、というのはどうかしら?」

藤原さんが思いついたように言う。

その瞬間、朝の麻由が脳裏を過ぎった。

そういえば、紅茶にははちみつをスプーンに2杯とちょっと、というこだわりを持つ麻由が、今朝に限って3杯入れていた。

「そうか、それだっ!」

「きゃっ!」

思わず掴みかかってしまった。

「朝の違和感はそれだったんだ!制服を着た麻由がニセモノだ!」

 

「やっと捕まえたぞ、麻由。……いや、吸血鬼」

「え……?ちょ、ちょっと、お兄ちゃん、なに言ってるの……?」

外見では本物の麻由と見分けがつかない。

もし、間違っていたら…………

緊張で手が震える。

左手で石を握り締めて震えを止め、右手を吸血鬼へ向ける。

「か、覚悟しやがれ!」

「待ってよ、お兄ちゃん!なんか怖いよ……」

「う……」

この麻由は本当にニセモノなのか?

判断を間違ってはいないか?

そもそも、なぜニセモノが家にいて、俺を起こした?

ニセモノが学校に来るだろうか?

もう、何を信じればいいのかわからない。

決心が揺らぐ。

このまま、目の前の麻由に呪文を撃っていいのか?

……だめだ、自信がない。

間違えば麻由は廃人になる。

危険な賭けはできない。

俺は、右手を下ろした。

「よかった……お兄ちゃん、私を信じてくれたんだね」

麻由が笑顔になり、俺に駆け寄ろうとする。

「待って、麻由さん」

藤原さんが冷たい声でそれを制した。

「私たち、付き合うことになったの」

「え……」

麻由の顔が一瞬で曇る。

「な、なに言ってるんですか、藤原さん?」

「何って、ただの事実を言っただけよ」

そういいながら、藤原さんが俺に抱きついてくる。

「ちょ、ちょっと、藤原さん……」

突然のことに俺は何がなんだかわからず、そう言うのが精一杯だった。

藤原さんは俺の頬に手を当てると、自分のほうを向かせ、キスしようとする。

「だ、ダメーーーーー!!」

麻由が叫んだ。

「あら、どうして?兄が誰と付き合おうが、妹には関係のないことでしょう?」

藤原さんは冷ややかに言い放った。

「だって、お兄ちゃんは……私は……!」

麻由は俯いていたが、不意に顔を上げた。

「私は、お兄ちゃんのことが好きだから!」

……混乱していた。

何もわからなかった。

ずっと好きだった女の子から告白されたのだ。

幼い頃の初恋。

その気持ちを伝えられぬまま、その子は俺の妹になって。

永遠に隠していこうと思っていた気持ちが、抑えられなくなりそうだった。

「麻……」

「河口君、この麻由さんはニセモノよ」

藤原さんの言葉で、俺は我に返った。

「ど、どうしてニセモノだと……?」

「説明はあと。今はこいつを!」

「くっ……」

俺は再び下ろしていた右手を吸血鬼に向ける。

そして、詠唱を開始した。

「暗雲に迷える天空の光よ、一条に集いて神鳴る裁きとなれ!」

右手から大きなエネルギーの波が放出されるような感覚。

青白い閃光が麻由の体へ向かって伸びる。

ガァン!

轟音とともに、麻由の体が吹っ飛ぶ。

吹っ飛ばされた麻由の体は、いつの間にか黒い霧のようなものになっていて。

タバコの煙が霧散するように、見えなくなった。

 

「う……」

麻由がベッドの上で身じろぎする。

「目が覚めたのか、麻由?」

「……お兄ちゃん?」

麻由は薄っすらと目を開いた。

「あれ……?私、何してたんだっけ?」

どうやら少し混乱しているようだ。

「ああ、公園で魔物と戦ってきたんだ。疲れてたみたいだから、そのまま部屋まで運んできたんだ」

俺は、あったことを麻由に話した。

告白のことは伏せておいたが。

「そっか」

麻由は安心したように呟いた。

……少し元気にしてやろう。

俺は、口の中で呪文を呟いた。

「悪戯好きの妖精よ、我が望むものの影のみを光の下に現せ」

プリンの幻影を作ることに成功した。

「ほら、麻由、大好きなプリンだぞ」

そう言って、幻影を差し出す。

「わぁー、ありがとう、お兄ちゃん」

何も知らない麻由は、それを受け取ろうとするが、

「あ、あれ?」

実体のない幻なので、受け取れるはずがない。

「わははは、それは呪文で作り出した幻だ!」

自慢してみる。

麻由は一瞬ぽかんとしたが、すぐにからかわれたことがわかったらしい。

「こ、こらー!」

途端に元気になった麻由から逃げる。

――麻由さんの本当の気持ち、知りたい?

藤原さんの言葉を思い出す。

だけど、俺にはそんなの必要ない。

麻由のことがずっと好きで、恋人になりたいと思うことも一度や二度ではなかったけど。

俺は、麻由の兄として見守っていくと決めたから。

これから先、何があっても。

麻由の一番近くで、麻由のことを守っていく。

振り返ると、麻由は楽しそうに笑っていて。

願わくは、この笑顔が絶やされることがありませんように。


Fin.

最後までお読みくださり、ありがとうございました。拙い作品ではありますが、お楽しみいただけたなら幸いです。評価や感想もお待ちしております。

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