第1話「始まり」
一体、なんでこんなことになったんだろう。
目の前に広がる光景を見ながら、僕は何度目か分からないその疑問を、心の中でもう一度繰り返していた。
氷。
どこを見ても氷だった。
道路も。
建物も。
視界に映るそのすべてが白銀に覆われている。
だが、僕の目の前にあるものはその中でも特に異質だった。
巨大な城塞。
氷で造られた、という言葉だけでは足りない。
まるで大地そのものを凍らせ、そこから無理やり城を削り出したかのような巨大さだった。
幾重にも重なった城壁。
天を突く尖塔。
巨大な門。
そして城塞の至るところから伸びる、鋭利な氷の柱。
その規模は、もはや一人の能力者が作り出したものとは思えない。
空まで白い。
雲までもが凍りついたように見える。
吐いた息が白くなるどころか、口元から零れた瞬間に細かな氷の粒へ変わっていく。
寒い。
いや寒いなんて言葉では足りない。
身体の芯まで凍らされているような感覚だった。
そんな場所に、僕は一人で立っていた。
いや。
一人ではない。
城塞の向こう側。
巨大な氷の階段の最上段に、一人の少女が立っている。
水色と銀。
その中間を思わせる髪が、冷たい風に揺れていた。
長い髪の隙間から覗く瞳は、普段の彼女からは想像できないほど冷たい。
こちらを見下ろすその姿は、まるで――
女王だった。
氷雪を従え。
この白銀の世界そのものを支配する女王。
高嶺涼那。
僕の知っている彼女も、確かにこんな髪色だった。
そしてこんな目でこんな顔。
けれど。
今、目の前にいる彼女を見ていると、とても同じ人物には思えない。
彼女が一歩、階段を下りた。
コツ。
硬質な音が響く。
その瞬間。
彼女の足元から、薄い氷の膜が一気に広がった。
僕のいる場所まで。
一直線に。
反射的に一歩下がる。
靴の底が凍りついた。
「……っ」
まずい。
本能がそう告げていた。
冗談じゃない。
これ、本当にまずいやつだ。
僕は努めて平静を装いながら、目の前の少女を見つめ返した。
表情を崩してはいけない。
焦っていることを悟られてはいけない。
こういう時こそ、堂々としていなければならない。
だから僕は、口元だけを少し持ち上げた。
余裕があるように。
何も問題なんてないように。
「……あの時の続きを始めるとしようか」
言ってみた。
言ってから。
心の中で頭を抱えた。
何を言ってるんだ僕は!
別に始めたくない。
全然始めたくない。
できることなら、今すぐ帰りたい。
そもそも絶っ対にあの時の続きなんてしたくもない。
でも、もう言ってしまったものは仕方がない。
僕は笑顔を維持した。
涼那は何も答えない。
ただ、じっと僕を見ている。
その視線が怖い。
昔からそうだった。
彼女はあまり感情を表に出さない。
だからこそ、何を考えているのか分からない。
今も同じだ。
怒っているのか。
悲しんでいるのか。
それとも――
何も考えていないのか。
分からない。
ただ一つ分かることがある。
彼女の周囲に浮かんでいる無数の氷片。
それだけは、冗談ではない純然たる事実だ。
氷片がゆっくりと回転する。
一つ。
二つ。
三つ。
数える気にもならない。
それらすべてが、まるで意思を持っているかのように僕へと向けられていく。
「……高嶺さん」
呼びかけてみる。
返事はない。
「ちょっと話し合わない?」
沈黙。
「やっぱりダメか....」
僕は笑顔のまま、ほんの少しだけ後退した。
足元で氷が軋む。
涼那が顔を上げる。
その瞬間。
空気が変わった。
冷気が爆発する。
「――っ!」
地面から氷の柱が突き出した。
僕は横へ飛ぶ。
ほんの一瞬前まで僕の立っていた場所を、巨大な氷槍が貫いた。
轟音。
砕け散った氷の破片が舞い上がる。
僕は着地すると同時に、思わず息を呑んだ。
……本気だ。
冗談でも威嚇でもない。
高嶺涼那は。
僕を、本気で攻撃している。
「いやいやいや……」
思わず声が漏れた。
どうして。
どうしてこんなことになった。
僕はただ今回の任務を――
そこから先を考えるより早く。
涼那の姿が視界から消えた。
「――え?」
次の瞬間。
背後。
ぞくりと背筋が凍った。
振り向く。
そこにいたのは。
氷の女王。
高嶺涼那だった。
そして、その瞳には一切の迷いがなかった。




