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明治~昭和? リノベーション記  温和な実務家のお節介が、国家をニコニコに変えていくまで  作者: ふじやん
第七章 欧州の火、極東の鉄

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第9話:海を渡る火種と、沈まぬ船

 大正四(一九一五)年、春。

 欧州を覆う戦火が泥沼(どろぬま)消耗戦(しょうもうせん)へと変貌していく中、極東の島国は、自らその外交的地位を根底から揺るがす愚行(ぐこう)に手を染めていた。

 大隈内閣が中華民国に対して突きつけた「対華二十一カ条要求」。その中に潜ませていた、中国の政治や軍事に日本人の顧問を置くという事実上の属国化(ぞっこくか)要求(第五号要求)が、中国側の意図的な漏洩(ろうえい)によって欧米諸国に露見したのだ。

 自国が欧州で血を流している隙を突くような日本の露骨な膨張(ぼうちょう)政策に、同盟国であるイギリスは不信感を抱き、中国市場の門戸開放(もんこかいほう)を唱えるアメリカは、日本を明確な脅威(きょうい)として警戒し始めた。


 台湾、瑞長財団本部。今回限られた身内しか立ち入ることの許されない会議室の空気は、これまでになく重く張り詰めていた。

 円卓を囲むのは、当主の和也、阿長、瑞月、翠玲。そして、海外の通信社から届いたばかりの電報の束を広げた康政である。

「最悪の引き金が引かれました」

 康政の静かな声が、密室に響く。

「軍部と政府の勇ましい方々は目先の権益に目を奪われ、自らアメリカの虎の尾を踏み抜きました。このまま彼らの警戒と不信感が深まれば、いずれ我が国は、あの巨大な工業国との『全面戦争』へと引きずり込まれることになります」

 康政はそこで言葉を区切り、円卓を囲む一族の顔を一人ひとり、真摯(しんし)に見つめ返した。その瞳の奥には、これまで誰にも見せることのなかった、途方もない恐怖と孤独の影が揺れていた。

「皆様には、今日まで黙っていたことをお詫びしなければなりません。……実を言うと、僕の最初の目的は、ただこの場にいる家族や、手の届く範囲の人々の幸せと安全を守ることだけでした」

 張り詰めた静寂の中、康政はゆっくりと己の胸の内を明かすように口を開いた。

「目先の権益で孤立を深めれば、いずれ日本帝国はあの巨大な工業国と衝突することになります。……私の弾いた算盤は、この国がアメリカと戦い、全土を焼き尽くされて焦土(しょうど)と化すという、絶望的な未来の数字を弾き出しているのです。当初はその破滅的な予測に怯え、国家間の戦争の回避など考えてもいませんでした。ただ僕らが生き残るための防波堤(ぼうはてい)を作るだけで精一杯でした」

 康政はそこで一度言葉を切り、己の手のひらを静かに見つめた。

「財団が力を持ち始めた時、僕はその防波堤を国家にまで広げようとしました。(すぐ)れた大人たちの命を繋ぎ、新たな技術や産業を興し……そのすべては、この国が孤立せず、破滅を回避するための布石だったのです。……ですが」

 見つめていた手のひらが、ゆっくりと、しかし強い力で握り込まれる。

「今回の『対華二十一カ条要求』で、その甘い観測は打ち砕かれました。我々がどれほど裏から手を尽くそうと、熱狂に浮かされた国家の暴走は止められない。政府は自らアメリカの虎の尾を踏み抜き、長年の友であるイギリスとの絆すら、自ら断ち切ろうとしている」

 康政が顔を上げると、その瞳にはこれまで以上の冷徹な光が宿っていた。

「いつか来るかもしれないという漠然とした危機感が、回避不可能な『確定事項』へと変わったのが、今です。もはや、要人の命を繋ぐ程度ではこの国の暴走は止まらない。逃げて身内だけが助かっても、何の意味もないのだと」

 己の祖国が灰燼(かいじん)に帰すという凄惨(せいさん)な、極めて現実的な警鐘。そして、それを背負って戦うことを決めた青年の覚悟に、和也たちは息を呑んだ。

「どうすれば、あの異常なまでの生産力と物量を持つアメリカとの戦争を避けられるのか。考え抜き、途中からひとつの条件に行き着きました。それが……『日英同盟の強化』です」

 康政は顔を上げ、静かなる決意を込めて一族を見渡した。

「アメリカとて、大英帝国を巻き込む形での全面戦争には容易に踏み切れません。つまり僕が、私財を投げ打って新薬の開発を急ぎ、工作機械を利益度外視で軍へばら撒き、あのような巨大な輸送船を建造してきたのは……兵站(へいたん)と物流という『実利』の鎖で大英帝国を縛り付け、同盟を無理矢理にでも維持するためなのです」

 魔法の解決策などない。ただ、破滅の確率を少しでも下げるために、血を吐くような思いで巨万(きょまん)の富と技術を注ぎ込み、細い細い命綱(いのちづな)を編み続けてきたのだ。

 手の届く者を守りたかっただけの少年が、いつしか国家の命運を一人で背負うまでに至ったその底知れぬ重圧に触れ、会議室は深い沈黙に包まれた。

 やがて、当主である和也が、康政の肩にそっと、しかし力強く手を置いた。

「……お前はこれまで、その焦土の幻影をたった一人で背負いながら、暗闇の中を歩いていたというのか」

「はい……」

「よくぞ話してくれた、康政。お前一人に、大日本帝国の命運を背負わせはしない。確証がなくとも構わん。我々も、その見えない戦争を共に戦おう」

 阿長も、瑞月も、翠玲も、無言のままに深く頷いた。孤独だった二十歳の青年の戦いが、初めて一族の戦いへと昇華(しょうか)された瞬間だった。


「ありがとうございます。……では手始めに、アリスさんたちがガリポリの地で行っている、量産型ペニシリンを用いた無償の人道支援の成果を、欧米の主要な新聞社へ大々的に流してください」

 康政は顔を上げ、ただちに次の一手を打つ。二十歳の青年としての弱音は、もうそこにはなかった。

「日本の政府は野心に駆られているかもしれないが、瑞長財団をはじめとする民間は、人種を問わず戦場の命を救う誠実な存在であると。今はその事実を発信し、アメリカの警戒心を少しでも解くための布石(ふせき)を打つ、僕らの戦いです」


 政治の火消しを身内に託す一方で、康政は次の布石も怠ってはいなかった。

 財団の技術部門、薄暗い実験室。そこには巨大な水槽が置かれ、牧野博士らが、特殊な鉄芯と銅線を組み合わせた『磁気増幅器』の調整に頭を悩ませていた。

「康政様。水中を伝わる微小な音波を電気信号に変換する実験を進めておりますが……波の雑音が多すぎて、狙った音だけを拾うのは至難(しなん)の業です」

「ええ、容易な道ではないことは承知しています」

 康政は水槽の中へ沈められた集音の仕掛けを見つめた。

 この年の初頭、ドイツはイギリス周辺の海域を交戦地帯と定め、商船や輸送船を無差別に攻撃する無制限潜水艦戦を宣言した。海中から放たれる魚雷の恐怖は、日を追うごとに海運を麻痺させつつある。

「ついに彼らが、海の下から(きば)()き始めましたね」

 康政は全く慌てることなく、想定通りの事態を迎えたかのように呟いた。

「見えない敵の『音』を拾うこの装置の実用化を、さらに急いでください。いずれ、必ず我々の命綱を守る要になります」


 それから数週間後の五月。台湾の南端、瑞長財団高雄工廠(こうしょう)の貴賓室は、これまでにない異様(いよう)な熱気と威圧感(いあつかん)に包まれていた。

 長椅子に深く腰を下ろしているのは、元老(げんろう)・伊藤博文、そして台湾総督の経験を持つ児玉源太郎である。さらに彼らの背後には、政友会総裁の原敬、外交の重鎮(じゅうちん)たる牧野伸顕、そして若き外交官である吉田茂の姿があった。

 大隈内閣の暴走を危惧する「協調外交派」の重鎮たちが、台湾視察という名目の隠れ蓑(かくれみの)を使い、極秘裏(ごくひり)に海を渡ってきたのだ。

 そして彼らの一行の中には、焦燥しきったイギリスの特命使節(しせつ)が、お忍びで同行していた。一刻も早く砲弾の製造現場を見たいという使節の強い希望により、基隆港に降り立った一行は台北の本部には寄らず、特別列車でこの高雄工廠へと直行していた。

「大隈内閣の拙速(せっそく)な立ち回りが、長年の友に泥を塗った」

 伊藤博文は重々しい葉巻の煙を吐き出し、鋭い眼光で康政を見据えた。

「帝都での政治の不始末は、我々が引き受ける。だが、同盟のひび割れを塞ぐには、もはや美辞麗句(びじれいく)など役には立たん。康政、お前の用意した『実利』で、大英帝国との鎖を再び繋ぎ止めてみせろ」

 国家の命運を託す元老の凄絶(せいぜつ)な覚悟に、康政は深く頭を下げた。

御意(ぎょい)に。……さあ、使節殿。私共の『回答』をご覧に入れましょう」


 康政に案内され、重鎮たちとイギリス使節が足を踏み入れたのは、地響きのような機械音が鳴り響く製造ラインだった。

「おお、神よ……」

 その光景を前に、イギリス使節は思わず天を仰いだ。

 見渡す限りの広大な工場内で、瑞長式の真新しい旋盤(せんばん)が休むことなく稼働している。そこで削り出されているのは、日本の規格ではない。イギリスから取り寄せた図面通りに寸分違わず統一された、イギリス陸軍仕様の『十八ポンド野砲弾』だった。

 本国での砲弾枯渇(こかつ)に絶望し、日本の陸軍工廠の対応の遅さに(さじ)を投げていた使節にとって、すでに量産体制を完了しているこの工場は、まさに国家を救う奇跡そのものだった。

「初回生産分は、いつでも出荷が可能です。……ですが、使節殿。一つだけ憂慮(ゆうりょ)すべき点がございます」

 康政は山のように積まれた砲弾を見上げ、ひどく穏やかな、気遣うような声で告げた。

「これほど貴重な物資を、ドイツの潜水艦の脅威に晒されている現在の海へ、従来の鈍足な石炭船で送り出すのはあまりにも危険です。私共としても、心血を注いだ砲弾が兵士の皆様に届かぬまま海へ沈むのは、到底忍びありません」

「それは……我々としても痛恨(つうこん)の極みだが……」

「そこで、一つのご提案がございます。この砲弾の輸送には、我が財団が新たに建造した『新城型輸送艦』および『給油艦』を一式で用いていただきたいのです。ただの物資の販売ではなく、確実な兵站網そのものをご提供したいと存じます」

 康政が差し出した仕様書と価格表を見て、使節は目を剥いた。

「こ、これは……現在の市場価格の数十倍ではないか。いくらなんでも、我々の足元を見すぎではないのかね」

 大英帝国の使節が声を荒らげても、康政は微かに困ったような、しかし誠実な笑みを崩さなかった。財団の代表としての、温和で理知的な「私」の顔だった。

「決してそのような意図はございません。この価格は、兵士の命を確実に運ぶための『新技術』の対価なのです」

 康政は、一つひとつ丁寧に説明を紡ぐ。

「新城型は、最新鋭の重油専焼機関(せんしょうきかん)を搭載し、満載時でも巡航(じゅんこう)十五ノットの速力を維持します。海中の潜水艦では追いつけません。煤煙もほとんど上げないため、遠くから発見される危険も劇的に下がります」

「重油専焼の、無煙航行だと……」

「ええ。さらに、この船は航跡(こうせき)の前後に給油艦を従え、十五ノットを保ったまま洋上で給油を行う『縦列(じゅうれつ)方式』の機能を備えています」

 康政は、使節の目を見つめて静かに訴えかけた。

「貴国が現在、輸送船の護衛に割く駆逐艦(くちくかん)のやり繰りに苦心されていることは承知しております。新城型ならば、十五ノットで走り続けることができるため、貴重な水雷戦隊(すいらいせんたい)の護衛を必要としません。……どうか、前線の兵士の方々に確実に弾薬を届けるための命綱として、ご一考いただけないでしょうか」

 決して威圧的な言葉はない。あくまでイギリスの窮状に寄り添う温和な提案だ。だが、使節は言葉を失っていた。主力艦隊の維持すら困難な状況下で、護衛不要で確実に届くというその船は、もはや喉から手が出るほど欲しい『生存の絶対条件』だった。

「……しかし、十五ノットを維持したままの洋上給油など、我が海軍の将兵にも経験がない」

「ご安心ください。最新機関の管理や洋上給油の運用については、我が財団から技術指導員を派遣し、貴国の海軍が完全に使いこなせるようになるまで、責任を持ってお手伝いさせていただきます」

 (いた)れり()くせりの、あまりにも丁寧な申し出。

 大日本帝国の政府に対する不信感は消えていない。価格も法外だ。しかし――この極東の温和な青年が構築した、船という『機材』と運用という『技術』の両輪なしには、祖国の戦争はもう一日たりとも成り立たないのだ。

「……私の一存で即決できる金額ではない」

 使節は深く息を吐き、血を吐くような思いで言葉を絞り出した。

「だが、この場で私の名において『仮調印』を済ませよう。ただちに本国へ至急電を打ち、何としてでも裁可(さいか)をもぎ取ってみせる」

「良い報せをお待ちしております」

 康政が深く頭を下げた瞬間。政府の失策によって千切れかけていた同盟という名の(もろ)い絆は、瑞長財団が提供する兵站網という血の通った鎖によって、極めて穏やかに、抜け出せない形で少し縛り直された。


 その一部始終を背後で見守っていた原敬と牧野伸顕は、無言のまま顔を見合わせた。

 声を荒らげることも、脅すこともしない。温和な笑みを浮かべたまま、ただ「生存の保証」という経済合理性と技術的優位を提示し、大英帝国という超大国を自ら(日本)に依存させてみせたのだ。一介の民間人がやってのけたその底知れぬ外交手腕に、歴戦の政治家たちでさえ背筋が寒くなるのを覚えた。

 そして、若き外交官である吉田茂は、工廠の油の匂いを嗅ぎながら、目の前の光景を己の血肉(ちにく)として強烈に焼き付けていた。

 これからの時代の外交を支配するのは、声高な主張でも、紙切れの条約文でもない。工場で削り出す鉄と技術、すなわち『兵站』なのだと。


 康政は、背後の重鎮たちに小さく一礼すると、再び視線を海へと向けた。

読んで頂きありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
 日本政府がゴミくず過ぎる。いまだに各港にコンテナも導入してないんだろう?。
これどっちの吉田茂だろ?
自分だって野心がある上、戦争賛美なんていう史実の軍部と同じような事をしているくせにこの言い分。温和とか言ってるけど、絶対知らないうちにあちらこちらに反感を買うタイプだろ、康政って。ただでさえ、アリスと…
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