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明治~昭和? リノベーション記  温和な実務家のお節介が、国家をニコニコに変えるまで  作者: ふじやん
第4章 白銀の波濤と、規格の防人

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第6話:大地の血脈と、次代の盾

 明治四十一年(一九〇八年)、秋。

 南国の焼けつくような陽光を全身に浴び、漆黒の鉄の塊が猛烈な白煙を上げて大地をひた走っていた。

 この月、ついに全線開通を果たした「台湾縦貫鉄道」である。その真新しい特別列車の貴賓車には、新たに台湾総督として着任した乃木希典と、民政長官の後藤新平の姿があった。

「総督閣下! 長官! ご覧ください、この滑らかで力強い走り心地を! 我々が血の滲む思いで敷いた鉄路が、ついにこの島の南北を完全に結びつけたのです!」

 鉄道部技師長の長谷川が、車窓の外を指差しながら少年のように目を輝かせ、熱っぽく語っている。

 向かいの席では、瑞長商会代表の瑞月が揺れる車内でも音を立てずに優雅に茶を口に運び、その後ろでは凄腕の護衛である阿長あちょうが、岩細工のように微動だにせず周囲に警戒の眼差しを向けていた。

「見事なものだ。君がかつて語っていた未来図が、現実の血脈となってこの島を駆け巡っているのだな」

 乃木の専属副官として同行している乃木保典(やすすけ)中尉が、窓際に座る十三歳の少年に向かって温かい笑みを向けた。東京での会談の折、父の台湾行きを誰よりも強く後押しした保典は、新城康政の描く途方もないビジョンと、その歳に合わない誠実な人柄に深く心酔している一人だった。

「ええ、保典中尉。ですが、これはまだ始まりの産声に過ぎません。この鉄路が何を運び、その先にどんな国造りが待っているのか……どうかご自身の目で確かめてください」

 康政が静かに微笑み返すと、巨大な機関車は誇り高き汽笛を鳴らし、一路南部へとひた走った。


 三泊四日に及ぶ、台湾全土の視察旅行。台北に残って政財界の根回しを進める父・和也たちに代わり、康政が乃木総督を実務の最前線へと案内する行程である。

 一日目、一行は南部の山間部で下車した。土木技師の八田與一が指揮を執る巨大なダムの建設現場は、天地を揺るがすような発破の音と、無数の人夫たちの活気に満ちていた。

「お待ちしておりました、総督! ここから見下ろすこの深い谷底すべてが、やがて巨大な水瓶となります!」

 泥だらけの作業着姿の八田が、日に焼けた顔に白い歯を見せ、巨大な図面を広げて熱弁を振るう。

「これほどの土木工事……いったいどれほどの水を蓄える気だ。地形そのものを造り変えようというのか」

 乃木が圧倒されて谷底を覗き込むと、八田の横から康政が補足した。

「豊かな水は、不毛の大地を肥沃な穀倉へと変えるだけではありません。あそこに併設する『水力発電所』が生み出す莫大な電力が、これからの台湾の工業を根底から支える巨大な心臓となるのです。水と電力が、この島のすべての歯車を回します」

 その後、一行は財団が運営する『瑞長塾』の農事試験場へと足を運んだ。そこでは、科学的な品種改良と豊かな水脈の恩恵を一身に受けた、大人の顔ほどもある巨大なパイナップルや、黄金色に輝く丸々としたバナナが実を結んでいた。

「なんと甘く、瑞々しい……。これがすべて同じ品質で、一年を通じて収穫できるというのか」

 試食した保典中尉が目を丸くして感嘆の声を漏らす。

「はい。共通化された栽培手法によって大量生産された農作物は、強力な外貨獲得の『弾薬』になります。ここで生み出された莫大な富が、再び鉄路を通じて国全体を潤すのです」

 瑞月の淀みない説明に、乃木と後藤は顔を見合わせ、その循環の美しさに深く頷き合った。


 二日目、一行は再び列車で北上し、台北近郊の工廠こうしょうを訪れた。

 そこでは、職人の長年の勘や手作業に頼らない、「寸分違わぬ互換性を持った部品」が次々と機械で量産されていた。鉄の匂いと機械油の香りが立ち込める中、同じ規格の歯車や筒が川の流れのように生み出されていく。

「驚きました……。これならば、戦場で銃や大砲が破損しても、予備の部品さえあれば、熟練の工兵でなくとも誰でも即座に修理が可能ですな。部隊の継戦能力が飛躍的に跳ね上がります」

 最前線を知る軍人である保典中尉が、その統一された工業の力に戦慄すら覚えたように呟く。

 さらに足を延ばした製薬工場では、白石医師の厳格な管理のもと、あの『琥珀色の薬』の安定した精製が昼夜を問わず続けられていた。無菌室のガラス越しに、純白の粉末が次々と瓶詰めされていく。同時に、次なる課題である『胃酸に耐える経口薬(飲み薬)』や『持続的な効果を生む点滴器具』の研究開発が、日夜不眠不休で進められているという力強い報告を受けた。

「保典。お前たちをあの地獄から連れ戻した奇跡の薬が、今やこれほどの規模で創られ、さらに進化しようとしているのだな……」

 乃木は深く目を閉じた。脳裏に蘇るのは、二〇三高地をはじめとする絶望的な戦場で、見えない銃弾の前に流れた夥しい血だ。

(共通化された部品による兵器の再生と、命を直接繋ぎ止める薬。これらすべてが、国家と兵士を守る『見えない盾』になるのだな……)


 そして三日目。一行は北の玄関口である基隆キールン港の巨大ドックに立っていた。

 荒金源三が荒くれ者の人夫たちに怒号を飛ばし、見上げるような鉄の巨船を組み上げている。特筆すべきは、その船尾の特殊な構造だった。船の内部に向かって、巨大な軌道レールが敷設されようとしているのだ。

「康政君! あれはまさか……!」

 長谷川が興奮に声を震わせた。港でいちいち荷を下ろさず、物資を積んだ貨車ごと船の腹に飲み込んで海を渡る――かつて康政が語った、次世代の運搬体系の姿がそこにあった。

 だが、その圧倒的な光景の前で、康政はふいに長谷川に向き直り、深く、深く頭を下げた。

「長谷川さん。以前、この台湾の地でお約束した『内地と台湾を結ぶ鉄道連絡船』ですが……申し訳ありません。現在の我々の造船技術では、外洋の荒波に耐えうる重心の設計がどうしても不可能でした。無念ですが、台湾航路は断念せざるを得ません」

 その潔く、痛切な謝罪に、場が静まり返る。長谷川は少し驚いた顔をしたが、康政はすぐに顔を上げ、力強い瞳でまっすぐに長谷川を見据えた。

「ですが、この船は絶対に無駄にはしません。波の穏やかな内地の海峡……青函や下関へと回し、日本の国内を完全に繋ぐ物流として運用します。台湾の富は、別の安全な大型貨物船で内地へ運び、そこから先はこの連絡船が日本中へと一気に届けます」

 一瞬の沈黙の後、長谷川は腹の底から愉快そうに大笑いした。

「あっはっは! 構わん、構わんよ康政君! 己の技術の限界を正しく知り、即座により確実で巨大な次善の策を打つ。君は本当に、末恐ろしい実務家だ!」

 その光景を見ていた保典中尉は、父・乃木と顔を見合わせて静かに微笑んだ。己の見通しの甘さを素直に認め、それでもなお国家の血脈を繋ごうと頭を下げる十三歳の背中。この少年になら、生涯を懸けて仕え、支える価値がある。保典は改めてそう確信した。


 その時、港に鋭い汽笛が鳴り響いた。

 内地からの軍用輸送船がゆっくりと入港し、重厚なタラップが下ろされる。そこから真っ直ぐに歩み寄ってきた軍服の男が、乃木総督の前で踵を鳴らし、一切の隙もない完璧な敬礼を見せた。

たちばな少佐、只今、台湾工廠守備隊長として着任いたしました!」

「うむ。遠路ご苦労であった。大儀である」

 乃木への着任報告を終えた橘少佐は、ふと、その傍らに立つ十三歳の少年に目を留めた。歴戦の将校の顔が、わずかに驚き、そして深い感慨に染まる。

 橘少佐は康政に向き直ると、先ほどの総督への敬礼と同じ――いや、それ以上に深く、真摯な最敬礼を捧げた。

「康政殿。日露の開戦前、我が家でお会いして以来ですね。再びこの地でお会いできる日を、ずっと心待ちにしておりました」

「お久しぶりです、橘少佐。ご無事で何よりです」

 康政が微笑み返すと、橘少佐は噛み締めるように言った。

「ええ。あの二〇三高地の地獄で死にかけた私の命を繋ぎ止めたのは、高柳中尉の率いる機動医療班……そして、彼らが持っていた瑞長商会の『琥珀色の薬』でした。私のこの命は、あなたが創り上げた見えない盾に救われたのです」

 二〇三高地――その血塗られた言葉に、同じく出征していた保典がハッと息を呑む。歴戦の将校が、十三歳の少年に深い感謝と敬意を捧げている。

「台北の学校に通っている姪の響子きょうこからも、あなたの規格外な活躍は手紙で嫌というほど聞かされております。あの情報収集の癖は、どうやら私譲りでしてね。今後とも、姪ともどもよろしくお願いいたします」

 命の恩義、実務の力、そして受け継がれる世代。すべての縁が、この台湾の港で太い一本の線となって美しく繋がった瞬間だった。


「私は、この台湾の地に『最高学府』を創る」

 四日目。台北の総督府執務室に帰還した乃木は、出迎えた新城和也たちを前に、長旅の疲れも見せずに力強く宣言した。

「農業、エネルギー、工業、そして物流。この島で芽吹いた規格外の富を維持し、次代の日本国防構想へと繋げるためには、物理・化学・兵站を統合して教え込む大学が絶対に必要だ。同時に、若き才能を早期から鍛え上げる『特設幼年部』も併設する!」

 乃木が自らの目で見て、実感し、辿り着いた確固たる決意。しかし、その壮大な構想に、現実を知る後藤新平が頭を抱えて呻いた。

「総督……お言葉ですが、縦貫鉄道や港湾整備で台湾の予算は完全に底を突いています。帝都の文部省も、軍閥も、台湾に独自のアカデミーを創るなど絶対に首を縦には振りませんぞ」

 重苦しい沈黙が落ちる会議室。そこで、康政が音もなく立ち上がった。

「長官。ならば我々、瑞長財団が校舎の建設から当面の運営費まで、全額寄付いたしましょう」

「康政様、正気でございますか」

 同席していた商会の金庫番・翠玲スイレイが、血の気の引いた青白い顔で声を絞り出した。やがて来るであろう世界的な動乱を見据え、戦略物資である鉄資源を世界中から裏で買い集めるため、血を吐くような資金繰りに奔走している彼女からすれば、これ以上の莫大な出費はまさに死活問題だった。

「我が財団の金庫も打ち出の小槌ではございません。巨大堰堤に船渠(ドッグ)に、極秘の鉄屑(潜水艇)買い付けだけでも膨大な資金が動いているというのに、大学の校舎まで建てる現金などどこを探しても……っ」

「翠玲さん、落ち着きなさい」

 蒼白になる翠玲を片手で制し、法務顧問の霧島誠一郎が冷徹な声で告げた。

「長官。我々が全額負担する代わり、大学の敷地となる広大な官有地を『無償』で提供していただきます。さらに、我々がこれまで立て替えてきた港湾等の基盤の初期投資を、総督府が『台湾事業公債』を発行して買い取ってください」

「国庫の現金を直接動かさず、公債という形で我々に資金を還流させる。この条件さえ呑んでいただければ、来年の春までに立派な煉瓦の学び舎をお見せいたしますわ」

 瑞月が優雅に微笑み、実務の楔を打ち込む。

 後藤新平が「貴様ら、台湾の土地と教育を金で私物化する気か」と凄みを効かせて睨みつけた。

 その時、今まで黙って静観していた新城和也が、ゆっくりと口を開いた。

「私物化ではありませんよ、長官。これは次代の国家防衛のための『投資』です」

 和也の落ち着き払った、しかし有無を言わせぬ響きに、後藤が鋭い視線を向ける。

「和也殿……貴方まで子供の暴走に乗るおつもりか」

「暴走ではありません。長官……私が帝都を発つ前、児玉閣下はこう仰られていました」

「なに……?」

「『乃木が台湾の土を踏み、あの島で躍動する実務と限界を自らの目で見れば、奴は必ず「次代の頭脳が必要だ」と言い出すはずだ。その時は総督府の予算など当てにせず、新城の全霊をもって奴の覚悟を支えてやれ』……と」

「……っ!」

 後藤が絶句する中、和也は乃木を見据えて静かに微笑んだ。

「これは、東京におられる児玉閣下が、親友である乃木総督の決断を完璧に予期し、あらかじめ我々に託されていた『全面支援の約束』なのです。……退ける理由は、どこにもないはずですが」

 生ける巨星、児玉源太郎の恐るべき先読みと、深い絆。東京から台湾を睨むその圧倒的な威光の前に、後藤新平は「……完敗だよ」と深くため息をつき、乃木と保典は腹の底から愉快そうに大笑いした。


 大人たちの激しい政治的決着がついた頃。

 大学と幼年部が建つ予定の、まだ何もない台北の広場では、心地よい秋風の中で子供たちの明るい声が響いていた。

「よし、次は俺の打番だ! 来い、康政!」

 御子柴烈が白木のバットを構え、マウンドに立つ康政を挑発する。乃木総督の『指導者たる者、頑強な肉体を作れ』という教えもあり、彼らにとってこのアメリカ発祥の『野球ベースボール』は、すっかり放課後の日課となっていた。

「いくよ、烈!」

 康政が大きく振りかぶって白球を投げ込む。烈のフルスイングがボールを捉え、快音が青空に吸い込まれていく。

「ああっ、また打たれた!」

「康政くん、球の回転に捻りがまったく足りてませんわ!」

「相変わらず、頭は回るが体の方はからっきしだな!」

 記録係として帳面をつける橘響子が冷静で的確な指摘を飛ばし、二塁上で久世景秀がニヤリと笑う。野次を飛ばす高木や、笑い転げるアリスたち。いつもの光景、いつものやり取り。身分も性格も違う彼らが、同じ荒野で白球を追いかけ、泥だらけになって笑い合っている。

 夕日に照らされた彼らの笑顔は、間違いなく日本の未来を背負う『次代の盾』の輝きに満ちていた。

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