瑞希からの電話
事件も落ち着き1週間後、瑞希からの電話があった。
***瑞希からの電話***
公園で起きた怪異事件が解決してから、一週間が過ぎた。
七月も半ばを迎え、夏の日差しは日に日に強さを増している。
高校では終業式を間近に控え、生徒たちは夏休みの話題で盛り上がっていた。
しかし、新霊体験隊の部室だけは、いつものように静かな時間が流れていた。
事件が解決して以来、新たな依頼もなく、隼人たちはそれぞれ自由に過ごしていた。
秀はスマートフォンで動画を見ながら笑い、美優は調査ノートを整理している。
夕子は分厚い民俗学の本を読み、隆は先日の調査で撮影した写真をパソコンで確認していた。
「平和だなぁ。」
秀が大きく伸びをする。
「最近は何も起きないね。」
「起きない方がいいでしょう。」
夕子は本から目を離さずに答えた。
「私たちの活動は、事件がないことが一番なんだから。」
「それもそうか。」
秀は苦笑した。
隼人も窓の外へ目を向ける。
青い空に入道雲が浮かび、校庭では運動部の掛け声が響いていた。
――こんな毎日が続けばいい。
そう思った、その日の夕方だった。
帰宅した隼人は、自室で宿題を済ませながらのんびりと過ごしていた。
開けた窓から、夕方特有の生ぬるい風が吹き込んでくる。
その時、机の上に置いていたスマートフォンが震える。
画面を見ると、表示されていた名前は――
瑞希姉さん。
隼人はすぐに通話ボタンを押した。
「もしもし。」
『隼人君? 今、大丈夫?』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、いつもと変わらない、穏やかな瑞希の声だった。
だが、ほんの少しだけ、言葉の切れ目に間があった。
「うん、大丈夫だけど。」
『少し相談したいことがあるの。』
「相談?」
瑞希姉さんから相談を持ちかけられる時は、大抵、普通の話ではない。
隼人は自然と姿勢を正した。
『町外れにある古い個人病院を知ってる?』
「山の近くにある病院?」
『そう。その木造二階建ての病院よ。』
隼人は思い出した。
子どもの頃から「あそこには幽霊が出る」と噂されていた建物だった。
夏休みに肝試しをやろうと言い出した友人がいて、結局誰も坂の下から先へは進まなかった。
『院長先生が亡くなってから十年以上放置されていてね。建物も傷みが激しいから、所有者が解体することになったそうなの。』
「解体か。」
『でも、その前に病院の中を片付けなければならないの。』
瑞希は少し言葉を切った。
『ところが、何社も片付け業者へ依頼したのに、みんな途中で作業を辞めてしまったそうなの。』
「事故でもあったの?」
『事故じゃないわ。』
瑞希は静かな声で続ける。
『二階で足音が聞こえた。
誰もいない病室に白い服の女性が立っていた。夕方になると廊下の奥から誰かがこちらを見ていた。そんな話ばかりなの。』
隼人は思わず息をのんだ。
瑞希は噂だけで動く人ではない。
依頼を受けたということは、何か気になる点があるのだろう。
『依頼主は本当に困っているの。建物の中の荷物を外へ運び出せれば、解体業者は作業を再開してくれるそうよ。』
「つまり……。」
『隼人君たちに、その片付けをお願いしたいの。もちろんアルバイト代も出るわ。』
「危険は?」
『少しでも危険だと判断したら、すぐに中止する。私も一緒に行くし、浄霊もしながら建物を見て回るつもりよ。』
隼人は少し考えた。
自分達だけで行くのなら断っていたかもしれない。
だが、瑞希が同行するなら話は違う。
「分かった。」隼人は静かに答えた。
「まずは部のみんなに相談してみる。」
『ありがとう。詳しい説明は、みんなが集まってからにするわ。』
電話が切れる直前、隼人は一瞬だけ、電波の向こうで何かがかすかに軋むような音を聞いた気がした。
だが、それきり通話は途切れた。
部屋の中には、エアコンの微かな音だけが響いていた。
隼人はスマートフォンを机へ置く。
「廃病院か……。」
窓の外では、夕焼けに染まった空をカラスが一羽横切っていく。
理由は分からない。
それでも胸の奥に、小さな違和感だけが残っていた。
まるで、その病院が自分たちを待っているかのように――。
***依頼***
翌日の放課後。
夏の日差しが少し和らぎ始めた頃、隼人はオカルト研究会の部室へ入った。
すでに部員たちは全員そろっていた。
美優はノートを広げて前回の調査資料を整理し、夕子は歴史資料を読んでいる。
隆はビデオカメラのバッテリーを点検し、秀は椅子にもたれながら冷たいジュースを飲んでいた。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。」
隼人が声を掛けると、部室の空気が引き締まる。
事件の話だと、全員が察したのだろう。
「昨日、瑞希姉さんから連絡があった。」
隼人は電話で聞いた内容を、最初から順番に話した。
町外れに建つ木造二階建ての廃病院。
解体前の片付け。
何社もの業者が途中で作業を放棄したこと。
そして、瑞希が調査と浄霊を依頼されたこと。
話が終わると、しばらく部室は静まり返った。
最初に口を開いたのは秀だった。
「廃病院かぁ……。」
肩をすくめながら苦笑する。
「昼間でも、ちょっと行きたくない場所だな。」
「私も噂は聞いたことがあるわ。」
美優が静かに言う。
「子どもの頃から、『夕方になると病院の窓に人が立っている』って。」
「そういう噂は全国にある。」
夕子は本を閉じ、冷静に言った。
「でも、何社も同じように途中で作業を中断したとなると、話が違ってくるわね。」
「どう違うんだ?」
秀が聞き返す。
「噂だけなら、業者は気にしないものよ。」
夕子は淡々と続けた。
「彼らは仕事だもの。多少の噂くらいでは辞めない。それでも辞めた、というのがひっかかるの。」
部室に、ひやりとした空気が流れる。
隆も腕を組んだ。
「仮に心霊現象じゃないとしても、建物が老朽化して危険なのかもしれない。」
「だから今回は、安全第一だ。」隼人は全員を見回した。
「危険だと判断したら、すぐ撤退する。」
その言葉に全員がうなずく。
「それで、作業内容は?」
美優が尋ねた。
「病院内の家具や備品を外へ運び出すこと。」
「解体業者が午後から回収に来るらしい。」
「片付けが終われば、本格的な解体工事が始まるそうだ。」
「なるほど。」
隆がメモを取る。
「俺は今回も記録係だな。」
「もちろん。」隼人が笑う。
「写真や動画、それに異常があれば全部記録してくれ。」
「任せろ。」
秀が手を挙げた。「俺は力仕事だな。」
「途中で逃げるなよ。」隼人が笑うと、
「逃げないって。」秀も笑い返した。
部室の空気が少しだけ和らぐ。
その時だった。
部室の扉をノックする音が響く。
コン、コン。
「失礼するわ。」
瑞希だった。
「こんにちは。」
部員たちは一斉に立ち上がる。
「急なお願いでごめんなさい。」
瑞希は申し訳なさそうに微笑んだ。
「詳しい話を聞かせてください。」
隼人が椅子を勧める。
瑞希は全員を見渡してから話し始めた。
「依頼主は病院の土地を管理している方です。
建物は取り壊すことになりましたが、中に残された医療機器や家具が多くて作業が進まないそうです。」
「何社くらい断ったんですか?」
隆が尋ねる。
「五社よ。」
瑞希は静かに答えた。
その数字に部員たちは思わず顔を見合わせた。
「そんなに……。」
秀が思わず声を漏らす。
「最初は偶然だと思ったそうです。でも、どの業者も途中で作業を中断しているの。」
瑞希は続ける。
「理由を聞いても、皆さん『もう二度と入りたくない』としか言わなかったそうよ。」
部室に沈黙が流れる。
「それだけ?」
美優がおそるおそる尋ねた。
瑞希は少し迷うように視線を落とす。
「……一社だけ、少し違うことを言っていたそうなの。」
「違うこと?」
「『あそこは、待っている』って。」
その一言に、誰も声を出せなかった。
何を待っているのか。
瑞希もそこまでは分からないという。
「私は明日、建物全体を霊視しながら見て回ります。
皆さんには片付けをお願いしたいの。」
「分かりました。」
隼人は仲間たちを見渡した。
「みんな。」
一人ひとりが静かにうなずく。
「やろう。」
反対する者はいなかった。
困っている人を助ける。
それが、新霊体験隊の活動だからだ。
「ありがとうございます。」瑞希は安堵したように微笑んだ。
「それでは明日の朝九時、学校の前で待ち合わせましょう。土地を管理されている方から、鍵は預かっておくわ。」
「はい。」
こうして、新霊体験隊は新たな依頼を引き受けることになった。
まだ誰も知らない。この廃病院で待ち受けているものが、これまで経験した怪異とは異なる、深い悲しみと長い年月に閉ざされた真実であることを――。
そして、「待っている」という一言の意味を、彼らが知るのは、まだ少し先のことだった。
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