メモ5 出てきた銀貨
出てきた銀貨は、きれいに二枚だった。
乾いた地面の上で、ちりん、と軽い音を立てて転がる。昼の光を受けて、その銀色だけがやけに白く浮いて見えた。
レオンの胃がひやりと縮んだ。
そのすぐあと、荷袋の口から葉包みが落ちた。ほどけた葉のあいだから、黒ずんだ土くれのようなものがのぞく。甘く、濃く、胸の奥にまとわりつく嫌な匂いがふっと広がった。
沢のそばの馬が、ぶるりと首を振る。
「……何で、お前の荷から出るんだろうな」
ロッサムの声は静かだった。
からかう時の軽さがない。だからこそ、その一言だけで場の空気が冷えた。
レオンは地面の銀貨を見た。
二枚。
村から消えた分と、同じ数だ。
「僕のじゃありません」
乾いた喉から、どうにか声を押し出す。
「袋から出たのは今見ました。でも、入れたのは――」 「じゃあ誰が入れた」
ガイゼルが一歩前へ出る。
怒鳴りはしない。ただ、面倒の元を切り捨てる目だけがある。
「お前、昨夜、荷車のところへ行ったな」 「……行きました」 「薬箱も開けた」 「はい。でも」 「そのあとで、報酬の残り二枚と、妙な包みが自分の荷から出てきた」
そこで言葉を切り、ガイゼルは村の者たちへ視線を向けた。
「話は単純だ」
その一言で、みなの顔つきが変わるのが分かった。
薬箱を抱えた村の女が、ひっ、と短く息を呑む。次の瞬間には、包みを胸に引き寄せていた。守るような仕草だった。
「違います」
レオンはもう一度言った。自分でも驚くほど硬い声だった。
「銀貨は知りません。その包みは――」
そこで言葉が詰まる。
今朝、街道脇で老人から渡されたものだ。黒い袋と同じ匂いがすると確かめ、そのまま追いつくために荷袋へ押し込んだ。靴の中には紙がある。両手を空けるには、それしかなかった。
けれど、その説明を今ここでして、誰が信じる。
ためらった、その一拍だけで十分だった。
ロッサムが小さく肩をすくめる。
「ほら。言えないだろ」 「違う、言えないんじゃなくて――」 「じゃあ何だよ」
柔らかい声なのに、逃げ道だけが消えていく。
村の女が、おそるおそる口を開いた。
「その包み……まさか、牙獣を寄せるようなものじゃないですよね」 「そんなこと、僕は」 「でも、村の金まで出たんでしょう?」
責める強さより、怯えの方が大きい声だった。
その怯えが、ひどく刺さる。
村は金を絞って依頼を出した。薬も足りない。牙獣も増えた。その上で、今、自分の荷から銀貨と妙な包みが出た。
誰だって、分かりやすい犯人を見たくなる。
「レオン」
ガイゼルの声が落ちる。
「弁解はあるか」 「……あります」
胃の奥がきゅっと縮んだ。
ここで黙れば、本当に終わる。
「その銀貨は僕のものじゃありません。包みも、僕が作ったものじゃない。昨夜、薬箱の中に隠されていたのを見ました」 「ほう」
ガイゼルは薄く目を細めた。
「見たのに、その場で言わなかった?」 「言っても消されると思ったからです」 「消される?」
ロッサムが笑う。
「便利な言葉だな、それ」 「実際に、紙が一枚なくなりました」 「またそれか」
隊員のひとりが露骨に顔をしかめる。
「なくなった、見た、覚えてる。お前の話、証拠がないんだよ」
胸の奥が冷えた。
正しいかどうかじゃない。
信じられる形になっているかどうかだ。
《記録》で覚えていても、紙がなければ押し切られる。昨日まで喉に刺さっていた違和感が、今はもう刃になってこちらへ向いていた。
だが同時に、別のことも分かっていた。
銀貨の数を覚えていたから、ここまで来た。
薬箱の並びを覚えていたから、黒い袋に気づいた。
紙を抜かれてもなお相手が安心しきれないのは、頭の中の記録までは奪えないからだ。
だから今、ここまで露骨な濡れ衣が必要になっている。
ロッサムが、葉包みをつまみ上げる。
「匂いも変だしな、これ」
鼻先へ寄せるふりをして、すぐに離した。
「獣が寄りそうな匂いだ」 「よせ」 隊員のひとりが顔をしかめる。馬もまた、小さく鼻を鳴らす。
ロッサムは眉を上げた。
「街道近くで牙獣が増えた。村は困ってた。そこへ調査隊が来る。誰かがこっそりこんなものを使ってたら、そりゃ騒ぎにもなるよな」 「何が言いたい」 ガイゼルが低く問う。
「別に」
ロッサムはすぐ笑った。
「この子、余計なことをよく覚えてるみたいだから。目立ちたかったのかもしれないし、金が欲しかったのかもしれない。俺には分かりませんけどね」
決めつけない。
なのに、一番悪く見える形だけが場に残る。
たまらなく嫌なやり方だった。
「違います!」
思わず声が強くなる。沢の音の上に、自分の声だけが跳ねた。
「僕はそんなことしてない。銀貨だって知らないし、包みは――」 「じゃあ何で、お前の荷から出た」
ガイゼルの声は低いままだった。怒鳴っていないのに、逆らえない重さがある。
レオンは口を開く。
でも、その先が続かない。
街道脇で拾った、と老人は言った。
自分もその匂いを確かめた。
だが今ここで老人の名を出せば、巻き込むだけだ。しかも、その老人が証人になる保証もない。
昨夜、こっそり荷車を見に行ったのは事実だ。
薬箱を開けたのも事実だ。
抜かれた紙も、書き直した紙も、今は表に出せない。
何も消えていないのに、消したことにされる。
違うのに、違わないことにされる。
祝福の日から何度も味わった感覚が、胸の奥で鈍く疼いた。
「……答えられないなら、それで十分だ」
ガイゼルがそう言った時、隊員の誰かが小さく舌打ちした。
味方でも同情でもない。
ただ、「面倒なことになった」という苛立ちだった。
村の女が、震える声で言った。
「隊長さん、その子……本当に村の金を?」 「まだ決めるのは早い」
ガイゼルは表向きそう言った。
だが、次の言葉はもう切り捨てる側のものだった。
「だが、金が出たのは事実だ。包みもあった。このまま歩かせるわけにはいかん」
喉がからからに乾く。
ここで終わるわけにはいかない。
靴の中にある。
今朝書き直した紙が、まだ残っている。
それを出せば、昨日のことをもう一度並べられる。報酬のことも、黒い袋のことも、隊員の言葉も。
けれど今ここで靴を触れば、中に何か隠していると自分から言うようなものだった。
迷いが一瞬、指先を止めた。
その遅れを、ロッサムは見逃さなかった。
「……なあ、隊長」
軽い声で言う。
「袋だけじゃなくて、ちゃんと全部見た方がよくないですか」 「全部?」 ガイゼルが問う。
「服の中とか、靴の中とか。金ってのは、思ったより入る場所ありますからね」
心臓がどくんと鳴った。
足の裏が急にじっとり熱くなる。
やめろ、と喉まで出かかった。
けれど、その一言すら言えば、もう終わる。
ガイゼルがレオンを見る。
冷たい目だった。疑っているというより、処理する手順を決めた目だ。
「靴を脱げ」
足裏が一気に熱を持った。
中敷きの下に隠した紙が、焼けた鉄みたいに存在を主張した。




