The marriage of Hastur 1
各陣営からの援軍は、わりとさっさと引き揚げてしまった。
これはまあ当然のことである。
長々と居座ると、お互いに痛くもない腹を探られることになるから。
用が済んだら帰るに限る。
具体的には二泊三日。
試合の前日に現地入りして、試合後のパーティーのあと、一泊するような行程だ。
「やっと日常がもどってきたな」
とは、最後に澪を発った稲積たちを見送った暁貴の言葉である。
しっかりと握手を交わしたのちに。
彼にしてみれば息子にも等しいような警察官僚だ。
もう少し一緒にいたいという思いもあるが、陣営を異にする以上、それはただのわがままというものだろう。
「ですね。建造物の損害もほとんどありませんし。人的な損害もなし。最高の幕切れといって良いでしょう」
ノーネクタイのワイシャツの襟元をなんとはなしにいじりながら、高木が応える。
野球場もスキー場も壊してしまうくらいのつもりだったが、そういう結末にはならなかった。
グラウンドがちょっと穴だらけになった程度である。
「ゆーて、金はかかるけどな」
「そこはいまさらですよ」
援軍を出してくれた陣営に対して謝礼はしなくてはならない。
まさか、ただ働きさせるわけにはいかないのだ。
もちろんそれは一万円二万円って話になるはずもないし、個人に対して渡されるようなものでもないから、具体的な数字についてはメディア対策室が各陣営との折衝をおこなうことになる。
「邪神ハスターの問題は、いったんは棚上げで大丈夫ですかね」
「そうは問屋が卸さないよ。高木くん」
皮肉げな言葉を吐きながら副町長室に入ってくるのは、こころと信二。
澪の二大頭脳である。
揃って登場とは珍しいし、なかなか吉兆とは思えないセリフだ。
「なしたよ? おふたりさん」
ありふれた外国産たばこをくわえながら、暁貴が問いかける。
バーナー式のライターが、先端に火をともした。
「ハスターさんからプロポーズされたよ」
こともなげに放り込まれた言葉の爆弾。
高木が持っていた書類を取り落とし、暁貴が猛烈に咳き込む。
「こ、こ、こころちゃん……いまなんて……」
げへげへしながら、なんとか魔王が言葉を絞り出した。
「もう一度言った方が良いのかい? その狼狽ぶりから察するに、私の言葉はちゃんと届いていたと思うけどね」
「いや……いい……」
視線を動かす暁貴。
客用の応接セットへと。
座って話そう、という意思表示だ。
「高木。わりぃけど鉄心と沙樹を呼んでくれ」
「ええ……」
重力の異常を感じさせる足取りで、人面鬼が副町長室を出る。
といっても遠くまで行くわけではない。
秘書の沙樹は前室にいるし、鉄心は隣の町長室を自分好みに改装作業中だから。
九月いっぱいで現町長の任期が終わるため、十月からは暁貴が町長となる。
名実ともに澪のトップになるわけだが、現在の暁貴のポストには鉄心が座ることが決まっているのだ。
で、今の副町長室が町長室に、町長室が副町長室にプレートを変える。
部屋ごと引っ越さないのは、ここに司令部としての機能が集約されているためだ。
各種端末やスクリーン、簡易な会議などをおこなうスペースなど。
全部引っ越すとなると金も時間も人手も必要だから。
「どういうことだい? こころちゃん」
顧問と秘書が揃うのを待ち、魔王が口を開いた。
昨夜の会話と結論を、軍師と知恵者が順をおって説明する。
ハスターが澪に住む人々に対して興味を持っていること。
静観という結論になったのも、ビヤーキーの譲渡も、おそらくは計算のうちであるという予測。
そしてその興味は、監察官更迭の危機を孕んでいること。
回避するために、地球人と恋愛なり結婚なりをするのが効率的だということ。
「ぬう……たしかに新たな監察官が、ヤツほど話せるとは限らないな」
「限らないというより、まずないでしょう。顧問。ハスター氏ほど友好的な人物が派遣されるなら、そもそも更迭なんてしませんよ」
鬼の頭領に、高木が肩をすくめてみせる。
それは、昨夜こころと信二、楓が至った結論と同じだ。
ハスターを地球に繋ぎ止めておくための、何らかの手段が必要になる。
「それが政略結婚ってわけ?」
やや不機嫌に沙樹が訊ねた。
恋に生きる女は、あまりそういうのを好まない。
やっぱり結婚は恋愛の延長線であるべき。
政略が絡んでるなんて、フケンゼンすぎる。
「判らないんだよ。沙樹さん。私たちがそう読んでいるだけで、ハスターさんには別の思惑があるかもしれないし」
肩をすくめるこころ。
天界一の知恵者をして、ハスターの内心を読み切るのは難しい。
まあ彼女の場合は、もともと人間関係の機微に疎いのだが。
ただし、プロポーズをしてくるくらいだから、大嫌いということはないだろうと付け加える。
「いや、そういうことでなくてね……こころ自身はどう思ってるのよ」
がりがりと蒼銀の魔女が頭を掻く。
「それ、昨夜も信二に訊かれたんだけどさ。私ってあんまり恋愛経験がないんだよね」
右手で下顎を撫でながら、自分がどう思うかなど考えたこともないと応える。
そーだべなー、と、男どもは思った。
怖いから口には出さないけど。
だってさ、こんな幼い外見なのに、知性は魚顔軍師と同レベルだよ?
小学生名探偵よりおっかないわ。
これと付き合いたい男って、そうとうな豪傑だと思うよ。
「暁貴さん、鉄心さん、高木くん。すごい失礼なこと考えてる顔だけどさ」
『うえぇぇっ!?』
読まれてるし。
「べつに私は乙女ってわけじゃない。いままで何人かの男性と交際したことはあるけど、みんな特殊な性的嗜好をもった男で、私の身体が目当てだったってだけの話なんだよ」
『うえぇぇぇっ!?』
きわどいことを言ってるし。
自分の話でもないのに、なんか恥ずかしい。
「ハスターさんがそういう趣味だとは、ちょっと思えないだろ?」
「ううん……」
沙樹が腕を組む。
どうにもこのこころという女性は、男性に対してある種の偏見を持っているようだ。
過去につきあった男だって、なにも身体ばかりが目的だったとは限るまい。
彼女の深い知性に惹かれた可能性だって充分にあるだろう。
なのに、最初から決めてかかっているようなきらいがある。
ふと魔女が視線を動かすと、肩をすくめている信二と目があった。
なんとなくすべてを判ったような魚顔だ。
「信二にはこころの気持ちが判るの?」
訊いてみる。
「俺とこころ嬢は同じですよ。沙樹さん」
小学生のような見た目と、気持ちの悪い魚顔。
ベクトルはだいぶ違うけれども、自分が異性に好意を持たれるとは思えない二人なのである。
だから信二も、楓から向けられる好意がずっと信じられなかった。
あんな美少女が、しかも上流階級の娘が、自分のことを好きになどなってくれるはずがない、と、頑なに思っていた。
いっそ政略とかの方がずっと気楽だった。
変わったのは、東京で実剛から少し話を聞いたときである。
目がふたつに鼻がひとつに口がひとつ。実剛さまと何が違いましょう。
伝聞のかたちではあるが、嬉しかった。
実感できた。
蒙が啓いた気がした。
それがなければ、彼は楓に思いを伝えることなど、とてもできなかっただろう。
ほろ苦い表情の軍師。
「よし。じゃあさ、いっかいデートしてみよう」
魔女がぽんと手を拍つ。
「またそういう思いつきを簡単に口にする……」
「つーかさ、男女の仲なんてフィーリングだって。何回かデートしてダメだったら、結婚したって上手くいかないもんよ」
呆れるこころにたたみかけたりして。
ことは政略の範疇であり、恋愛が絡む要素はないのだと最初から言ってるのに。
「こころは難しく考えすぎなの」
「沙樹さんが簡単に考えすぎなんじゃないかなぁ」
「考えるんじゃない。感じるんだ」
「わけがわからないよ」
知恵者と魔女のやりとりを、ぼーっと眺める男ども。
誰かはやくつっこめよ、とか思いながら。




