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雪國の姫君

 エルドラゴ城の城壁から北西にあるアンジェリナの邸宅の二階。部屋にあるベットにはこの館の主が静かに眠っており、その枕元には鞘に収められた愛剣のカラドボルグが置かれている。

 古の邪神、バロールを倒してから意識を失ったアンジェリナは、五郎丸たちの手によって神殿から運び出された。あれから三週間。アンジェリナは意識を取り戻していない。これと言った外傷もなく、至って健康であるにも関わらず、昏睡状態が続いている。力を取り戻したカラドボルグに刻まれた記憶の波がアンジェリナの脳を酷使しているのが原因と思われたが、真相は解っていない。


 バロールを倒した事により、バルドル村を覆っていた闇は取り除かれ、村は元の姿を取り戻していた。闇に飲み込まれていた数時間の間の記憶は村人たちにはなく、平穏な日々を送っている。

 無論、今回の件についてのエルドラゴ王国の公式発表は一切無く、そのような事件があった事すら、一般の国民には知らされていない。ただ、数日前ミュケナイ帝国からエルドラゴ王国に一通の書状が届いた。正式には、エルドラゴ王国にあるギルドに当てた書状だ。書状を受け取ったギルド長の五郎丸はそれを途中まで読み、止めた。この書状を自分より先に読むべき人物が居ることを知っていたからだ。




 アンジェリナの部屋の花瓶の水を替えにやって来たアイリスは三週間目を醒まさない女主人を心配そうに見遣った。もちろん、アンジェリナは食事を摂っていないので、栄養剤を注射して命を繋いでいる。

「ご主人様。このまま目醒めないおつもりなんですか……」

 アイリスが悲しそうに長い両耳を折り曲げて呟くと、玄関の扉が開いて階段を登ってくる足音が聞こえた。ノックをして入ってきたのは五郎丸だ。このギルド長は二日に一回は館に見舞いにやって来ては、アンジェリナの為に買ってきた氷菓子を一人で食べて帰っていく生活を続けている。それでも毎回自分用とアンジェリナ用の二つを買ってくるのは、この男なりの流儀なのだろう。

「よう、アイリス。アンジェリナ殿の具合はどうだ」

 いつもの白いローブを身に纏った五郎丸は声を潜めてアイリスに尋ねた。

「はい。午前中にお医者様がいらして、検診していかれました。目醒めないのが不思議なくらい健康だと、そうおっしゃってました」

 五郎丸に答えるアイリスの声は寂しそうだ。

「そうか、まあ、死んでいる訳ではないからな。そのうち目醒めるだろうよ」

 五郎丸は窓際の椅子に腰掛けると、花瓶に挿されているアヤメに眼をやった。内海から吹き上げてくる風が静かにアヤメの花弁を揺らす。

「ご主人様は、そこの席から庭の花を愛でるのが好きでした」

 アイリスは俯いて、今にも泣き出しそうな声で告げる。

「おいおい、過去形にしてはいかんよ。辛い気持ちは判らんでもないが、一番側に居るお主がしっかりアンジェリナ殿を支えてやらんと」

 五郎丸は見舞いに持ってきた氷菓子を口に含みながら笑ってみせた。

「そうですね。私は皆さんのように、ご一緒に冒険することは出来ませんから、せめてご主人様の帰ってくる場所を整えておかないと」

 五郎丸の言葉でアイリスは少し気が楽になったようだ。


「……ギルド長」

 無心に五郎丸が氷菓子を口に運んでいると、内海からの風に乗って、聞き慣れた声が耳に届いた。アイリスと五郎丸がすぐさまベットに駆け寄る。

「その氷菓子、私の分もありますか」

 アンジェリナは半身をゆっくり起こすと、三週間振りに口を開いた。

「おお、あるある。欲しければいくらでも買ってくるぞ」

 五郎丸は保冷剤の入った袋から氷菓子を取り出すと、匙と一緒にアンジェリナに手渡した。

 アンジェリナはゆっくりとした動作で受け取り、一匙分氷菓子を掬うと口に運んだ。乾いた身体の中に水分が染み込んでいくのが判る。

「アイリスさん。心配をかけました」

 天使の様な微笑で、アンジェリナは自分を一番心配してくれていたであろう使用人の心労に答えた。

「アイリス。何をしている。早くアンジェリナ殿の食事の準備と、アンジェリナ殿が目醒めたことを皆に知らせるのだ」

 ベットの縁にしがみ付いて半べそをかいているアイリスの背中を叩いて、五郎丸が指示を出す。

「お主の仕事だろう」

「あ、はいっ」

 五郎丸の言葉に嬉しそうに頷くと、アイリスは部屋を飛び出していく。


「皆さんも無事だったのですか」

 アイリスが出て行くのを見届けながら、アンジェリナは一匙分しか口を付けていない氷菓子の器を見つめて五郎丸に尋ねた。

「ああ。誰一人欠く事無く帰ってこれたよ。あの神殿のあるミュケナイ帝国からは長い船旅だったけどな。途中からは飛空挺に乗り換えたので、そこからは楽ではあったよ」

「また、ギルドへの請求が貯まりますね」

 アンジェリナはブリギッドの町の能面のように表情を変えない店主の顔を思い出しながら笑った。

「違いない」

 五郎丸はアンジェリナの言葉に微笑んで大きく息を吐き出したが、その瞳には余人には窺い知れない感情が込められているようであった。

「エンプレスの病もこちらに帰ってきて大分善くなってきているし、ウルフの怪我も大したことない。俺の骨折もすっかり直ったしな。流石、無敵無敗の我がギルドだ。経営状態以外は、何の弱点も見当たらんよ」

 五郎丸は胸を張って威張ってみせた。

「そうですか。良かった」

 アンジェリナはほっとしたように一つ息を吐き出した。今回の件でギルドに多大な迷惑を掛けたのは間違いない。それを謝罪したい気持ちでいっぱいだったが、きっとこの男はそんな言葉を望んではいないと言う事をアンジェリナは解っていた。いつかこのギルドに自分の力で恩を返せる時がくるかも知れない。その時まで借りにしておこう。アンジェリナはそう心に決めて、それ以上何も言わなかった。


「アンジェリナ殿。目醒めたばかりで申し訳ないが、急ぎ確認したい事がある。実はミュケナイ帝国から書状が届いてな。今回の件を受けて、銀狼公国、紅鷲公国の領主として、アンジェリナ殿を迎え入れたいとの申し出があった。付け加えると、俺たちギルドの全員も近衛騎士団として公国で召抱えたいとの事だ。これがその書状だ」

 五郎丸は懐から書状を取り出すと、アンジェリナに手渡した。

「まあ、帝国としては当然の選択だろう。帝国内の一つの公国は術士に洗脳された傀儡政治が取られていたし、もう一つの公国は皇子だったアンジェリナ殿の兄上が亡くなった。そして、公国の皇女であり、この件を治めたアンジェリナ殿が生存している。アグディクティスもエルクワールも銀狼公国の人間である事を語っていただけだからな。あいつらはアンジェリナ殿の手からカラドボルグを奪う機会を窺っていたのさ。使えもしない祈祷魔法なんてものを、護符を使ってまで発動させて我らに近づいてきた勤勉な奴らではあったがね」

 五郎丸は懐から半分が消し炭になっている護符を取り出して、肩を竦めて笑ってみせた。結局このギルド長は最初から全てお見通しだったと言う事になる。自分もこの男の掌で踊らされていただけかも知れないとアンジェリナは思ったが、何故か悪い気はしなかった。

「帝国としては領主を空位のままにしておきたく無いのだろう。アンジェリナ殿であれば、領主としての資格は充分だ。誰も文句は言わんだろう。俺もそこまでしか読んでいない。その先は帝国の公式文書として、アンジェリナ殿が正式な領主の血を引いている事を証明する文書になっているようだ。アンジェリナ殿の父上、母上や兄上の事、そしてアンジェリナ殿自身の事が書かれていると思う」

 五郎丸の言葉を聞いて、アンジェリナは書状を読むのを止め畳んだ。そして右手で畳んだ書状を持ち、左手の指先で炎の魔法を作ると、書状を燃やしてしまった。紙が爆ぜる音と焦げ臭い匂いが部屋に溢れた。

「アンジェリナ殿……」

 五郎丸は絶句した。自分の目の前で行われている事が理解できない様子だ。


「私は何処から来たものなのか。それが知りたい一心で、この依頼を受けました。だからそれが解っただけで、今は充分です。両親の事、兄の事、皇女だった私の事。全ては過去の事です。自分が今何処にいたいのか。自分が将来何処に行くべきなのか、それは今の自分が決めたいのです。私はアンジェリナ。この国の冒険者です。他の名前は要りません。ここには私が一緒に居たいと想う仲間が居て、その仲間もこんな私をまだ必要としてくれている。それだけでは、いけませんか」

 自分の居場所を見つけたかも知れない。少しだけそう思い、アンジェリナは優しく微笑んだ。

「そうだな。我がギルドとしてはそれで充分だ。まあ、国が欲しくなったら言ってくれ。アンジェリナ殿に相応しい国くらい、俺たちの力で造ってやるさ」

 欲の無いアンジェリナらしい言葉に、一つ息を吐き出すと五郎丸も笑って答えた。

「ありがとうございます。その時は宜しくお願いします」

 つい先程まで、雪國の姫君になる権利を持っていたアンジェリナは溶け始めた氷菓子を口に運びながら水平線の彼方にある遠い祖国に想いを馳せた。


「さよなら、父上、兄上……」

 アンジェリナは誰にも聞こえない声で、記憶の中の肉親に別れを告げた。

 その言葉に、二十年前に別れ際に父から託され、兄と分け合った愛剣カラドボルグが反応し、ベッドの枕元で一瞬だけ輝いた。

 そんな、気がした。


 二階の部屋から見える庭の色取り取りのアヤメは、アンジェリナの心も知らずに、鮮やかに咲き誇って静かに揺れていた。

 自己満で書いてきたこのお話も今回で最終話です。最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございます。

 実はまだ続きのお話があったりします。そちらは以前のところでも完結していない話なので、少しずつ進めていければと思っております。ご興味を持って頂けたら、続編の方も読んで頂けると、作者、出演者ともに、これ以上の幸せはありません。


 大人が読む、古き良きファンタジーを目指しています。

 ご意見、ご感想などありましたら、真摯に受け止め、今後の参考にさせていただきたいので、お気軽にお書き下さい。

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