天国男のお仕事1
2025年。4月1日。午前2時3分。栃木県西那須野町大和中央病院。一般病棟3階西側フロア。
好球必打、新井時人!そう書かれた応援タオルを巻いた男が木製バットを握り締め、深夜の病院を徘徊していた。
その男が上半身に羽織っているのは、白地に真っピンクな太めのストライプが入った野球のユニフォーム。栃木県宇都宮市を本拠地とするプロ野球チーム。北関東ビクトリーズのホームユニフォームだ。
背中にある番号は4。それとARAIの文字。チームの看板選手。彼の最推し。彼が相当な野球好きであることは言うまでもないかもしれない。
問題なのは、どうしてそんな格好で深夜の病院を彷徨いているのかということ。しかもバット片手に。
本来ならば即通報ものではあるが、彼は仕事中。病院の上層部、経営陣から託された依頼の為、彼はこの場所を訪れていた。
今、このフロアは人払いされており、不気味な程静まり返っている。それが彼の感覚を研ぎ澄まさせる。
深夜、病院、ちょうど1年前のとある交通事故。
コツコツコツ。何もない。誰も居ないはずの空間から足音がする。
それを聞いた彼は足を止め、お札がびっしりと貼られた木製バットを握り直した。
「ハヤク、ハヤク、ケンオンハジメ⋯⋯ナクッチャ⋯⋯」
彼は対峙する。町の噂になっていた悪霊と。その姿は、真っ白なナース服を身を包んだ若く可愛らしい女性であった。
「やあ、仲川あさひさん」
彼はその悪霊に声を掛けた。
その声に反応する。
「えっと、あなたは⋯⋯」
「俺は天地霊人。君を迎えにきた」
「私を迎えに?どういうことですか。申し訳ないですが、業務中ですので⋯⋯」
「もういいんだよ。仲川さん。君がここで働くことは出来ないんだ」
「言っている意味が分かりません!人を、人を呼びますよ!?」
彼女はそう声を荒げた。もうその時点で、先ほどまでの可愛らしい表情はない。彼女の華奢な身体から、禍々しい気が溢れ出す。周りの天井や壁に設置されたいくつかの照明が壊れたように何度も不規則な点滅を繰り返す。
近くの窓枠が揺れ、床が軋む。彼のみを映す防犯カメラの映像も不自然な膨張が起こったり、不気味なノイズが入り混じる。
「残念だけど、君の声が届く人間は、俺を除いてこの世界には他にいないんだ。⋯⋯君も覚えているはずだ。一瞬で、一瞬で君の命を奪ったあの事故を⋯⋯」
「そんなはずない!そんなはずはない!あれは夢!!私は死んでなんかいないんだ!!」
彼女がそう口にする度、自分では抑えきれない悪に満ちた霊力が彼女の表に出てくる。
若干21歳だった新人ナース。色白で華奢な体型、若干少女のような雰囲気のある女性。
そんな彼女の身体が膨れ上がり、何本もの腕が生え、宙を浮き、影が床を飲み込んだ。
ゴポゴポゴポゴポという悪い霊力が湧き上がる独特の音が霊人の耳に届いた。
「ワタシハ、ワタシハ、シンデナンカナイ!リッパナ、イチニンマエノ⋯⋯カンゴシニナルンダアァァッ!!」
もう純白のなんて印象はない。霊人が手にするバットよりも巨大な注射器を持った腕が彼の頭上から振り下ろされる。
「くっ!!」
霊人は左側へ飛び込む。さながら、ピッチャーからの牽制球をヘッドスライディングで凌ぐように。寸でのところでなんとか交わした。
「落ち着け!皆川さん!!こんなことをしてはいけない!この病棟にいる患者さんにも被害が出ているんだ!」
「ウルサイ、ウルサイ!!オマエニナニガワカル!!カンジャサンハ⋯⋯ワタシガ⋯⋯ワタシガミル!!ジャマスルナラドコカニイケ!!」
霊人の言葉など到底届かない。異形の怪物と成り果てた彼女は、わけも分からず霊人に危害を加えようとするのみ。
伸縮うる腕が次々に霊人に襲い掛かる。
「こうなったら⋯⋯」
霊人は意を決した。立ち上がり、バットを構える。彼女に対して左肩を向けるようにして半身の体勢を取る。
並んだ後ろ足。つまり右足を1足分程後ろに引いた体勢で、左手はバットのグリップ。グリップエンドから数センチ開けてしっかり握る。右手はバットの芯のやや下。バットを水平よりも先を僅かに高くし、バットと目線が近くなるように自然に腰を落とした。




