第三章 権力、暴力(4)
事務所は二階建てのモジュール式ビルで、その隣に同じくモジュール式の倉庫がある。長いパイルを収容する都合もあるために、事務所そのものよりも屋根が高くなっている。
その事務所と倉庫の間に、ちょうど人が一人通り抜けられる程度の隙間がある。実のところ、外壁メンテナンスのためにやむを得ず設けられた隙間ではあったが、ディーンとエレナにとっては、これが唯一逃げ込める隠れ家となった。
二人は、ただ息を潜めた。
話し合いたいこと、確認しあいたいことは山のようにあった。
より実質的な話から、自らの不安を取り除くためだけのことも含めて。
だが、結局、息を潜めているしかなかった。
ひそかに迫っているかもしれない追っ手。
自分の呼吸音さえ、それを察知する邪魔になるように思えた。だから、息を殺して、気配を探り続けた。
この港湾に逃げ込んだことは、敵は気づいている。むしろ、ここに追い込もうと網を張っていたように思える。ぎりぎりのところで逃亡する可能性まで考慮して、大通りの両脇を固め、複雑な街路の絡む市街地への出口をふさぎ、逃げ場の無い埠頭に追い詰めようとしていたように見える。
とすれば、実のところ、ディーンに関係の深いこの事務所の敷地内は、もっとも危険な場所かもしれない。
彼はその失敗を噛み締めながらも、今は少なくとも夜が明けるのを待つしかない、と考えていた。夜が明ければ事態が好転するとも言い切れなかったが、白昼の元でおおっぴらに行動できないからこその夜襲だろう、という結論に達するだけの冷静さはあった。
しかし、結局は、待つだけの戦術はいくつかの足音によって終わりを告げられた。
突如、目もくらむほどのフラッシュライトを浴びる。同時に、罵声も。
「出て来い、そこにいるのは分かっている! この裏切り者め!」
裏切り者、という言葉に心当たりはなかった。
とすれば、もしや、このエレナという少女のことなのか。
この襲撃は、エレナを狙ったものなのか。
そんな思いが湧いてくる。
「さっさと出て来い! エミリア臣民として恥ずかしくないのか!」
しかし、続く罵倒で、その対象が自分であることをディーンは再認識する。宇宙船で飛来したエレナに、エミリア臣民という呼称はあたらない。
まぶしい光を向けられて良く見えないが、時折光の中に見える影には、なにか警棒のようなものが見える。ただの警棒であればよいが、もしかすると神経警棒かもしれない。打たれたものを一瞬で昏倒させる、一般市民の所持が禁止された武器。
痛い思いをすることもあるまい、と、ディーンは観念する。
「……エレナ、伏せていろ。君がいると気づいていなければ、僕が出て行く間に逃げられる」
そう言って出ようとしたディーンを、エレナは引き留めた。
「敵は八人。大丈夫」
「……え?」
ディーンは場違いな声をあげてしまった。
見ると、エレナは鋭くフラッシュライトを見つめている。
同じように目がくらんでいてもおかしくないのに、その瞳は、小刻みに動いて、敵の動きを察知しようとしているように見える。
「……銃器無し。神経警棒は二。他はただの警棒と……二人がナイフを携行。ジャケットの内側? 素人ね、そんなんじゃすぐに抜けない」
とエレナはぶつぶつとつぶやき、
「ディーン、少しだけ頭を下げてて。自棄になった奴がきっとナイフを投げてくる」
そう言ったかと思うと、ネコ科の猛獣を思わせるしなやかな動きで敵前に飛び出すエレナ。
「なんだおまっ、同居人か! おい、やつはこいつを囮に逃げるぞ、周りに注意!」
エレナが囮として飛び出したものと思ったリーダーらしき男は、急いで周囲に指示を飛ばす。
それはそうだろう。
動きは確かにアスリートのそれだが、丸腰の若い女が一人で飛び出したのだから。
二、三人で囲んでしまえばなすすべもなくねじ伏せられる。
なんなら、げんこつの一発くらい受けながらでも倒せるだろう。
指示を受けた五人が周囲を囲むようにさっと開き、リーダーと二人がエレナの前に立ちはだかる。
もう一度、強力なサーチライトを浴びせて目をくらませてやろうと左手を持ち上げ、光の輪をエレナの顔付近に当てようと思ったときには、もうそこには暗闇しかなかった。
走り出したエレナは、何度か、右、左にステップを踏んで、男たちの視線を誘導していた。遠近法の錯覚を利用して、エレナが一定の速さで走っているように見せていたが、そこには実は大きな緩急があった。
だから、ここにエレナの姿があるだろうと思ったときに、その予想を外すために一歩を大きく踏み込み、身体を伏せて見せることで、エレナが消えたように見えてしまうのだ。
そして、エレナが右下方から男の右手首、神経警棒を持つ手首を捕まえたのはその直後だ。
警棒をふるうために振りかぶろうとする腕がエレナの体重に引かれて動かせず、と思うと、その腕を逆に押されて後ろに体重が移ってしまう。
まずい、と踏ん張ったところで、エレナに掴まれた右腕が引き込まれ、くるりと天地が反転したかと思うと、背中から地面に落ちて、肺の空気を全て吐き出していた。
エレナはすぐに落ちた男の神経警棒を奪って、三度ほど、妙な角度でひねって見せる。途端に、神経警棒はバラバラになって落ちる。本来そんなに簡単に分解できるようなものではない。にもかかわらず、特定の方向にひねったときだけ外れてしまうツメ、直後に特定の方向に押し込んだ時だけ一本のねじに全負荷が集中する設計ミス、そうしたものを熟知した彼女は、力を何倍にも倍増させる梃子の要領でその一本のねじを弾けさせ、次いで脆弱になったほかのねじをほとんど力業でちぎるようにして分解して見せたのである。
しかしそれを見ていた両脇の男から見れば、驚愕でしかない。ちょっとした打撃くらいでは決して壊れないようにできている神経警棒を素手でバラしたのだから。
視線がこちらを向いてないと確信した男が、ふっ、と小さな息をつきながら、エレナに襲い掛かる。
しかし、後ろ向きのはずのエレナは、軽くかがんで男の腕をかわすと、そこから伸び上がる動きで男ののどぼとけに掌で打撃を与える。
ぐっ、と小さい声をあげて男が軽く目を回したところで膝の横から回し蹴りを入れて体勢を崩し、トン、と胸を突いて仰向けに倒した。
最後に、エレナに向けて神経警棒を油断なく構える男に対して、エレナは真っすぐに身体を出す。
そのあまりに予想しやすい動きに困惑した男は、神経警棒を突き出して神経刺激を見舞ってやろうとするが、エレナはまたも右、左とステップを踏んで錯覚を誘発し、するりと警棒を潜り抜けて、一人目の男が倒されたシーンを完全に再現して見せた。
周囲を囲もうとしていた男たちもエレナの動きを見て危機感を覚え、一斉にエレナにかかろうとしたが、彼女はすぐに左側に目標を定め、走り出す。
一人目。
振り下ろされた警棒の側面を、軽くトンと弾いて軌道を変えかわすと、駆け抜ける勢いで肘を鼻柱に叩き込み、悶絶させる。
二人目。
一人目の戦闘を見て警戒し警棒を振り下ろさず上段に構えたまま待つ男にに対し、その呼吸を読み、振り下ろすタイミングの半拍子前にリーチの長い回し蹴りをこめかみに叩き込む。
これで左翼は制圧完了。
蹴りの反動で右にぶれる体を無理に戻そうとせず、一度前転して立ち上がったところで、残る三人に向き直る。
ほぼ同時に至近距離にかかってきた二人に対し、今度は上下の視線誘導で錯覚を作ると、左の男を足払いで転がしつつ、右の男の膝裏を右手で刈ってバランスを崩した。
すぐに、倒れた左の男の顔面へ蹴りを叩き込む。
右の男はバランスを整えようと腕を伸ばすが、エレナはそれを見もせずに背中越しに掴んで、逆手にとって引き倒した。
ぐしゃりとうつむきに倒れた男にようやく目を向けたエレナは、その後頭部を踏みつけて顔面を血塗れにする。
余りの戦闘速度にディーンはぼうっとしていたが、ふいに最後に残った男の手元で街灯の光が反射したことに気づいて、頭を下げる。
直後、ディーンの頭部があったあたりを刃が通り抜け、後の壁に当たって高い金属音をあげた。
それは、エレナの予想にあった現象だった。
最後の男は苦し紛れにディーンを仕留めに来たのだ。あるいは、それでエレナの動揺を誘おうとしたのだろう。エレナの予見が無ければ、どうなっていたか分からない。
そんなことを思っているうちに、最後の一人も易々と組み伏せられ、無力化されていた。
大きく肩で息をしたエレナは、足元でうめいている男にさらに一撃を入れて念入りに無力化しながら、ディーンのもとに戻ってくる。
「ディーン、大丈夫?」
「あ、ああ、だが、その、すごいな君は」
「ええ、それなりに」
一体どこで身に着けた技か、と感心するほどの戦闘力。それに、確実に無力化するとどめ。
本当にたかが家出娘だろうか? という疑問も湧くが、しかし、本当の金持ちが本気で娘の護身のための訓練をしたとすれば、街のチンピラごときに遅れをとるような半端な鍛え方はすまい。
おそらく訓練用に用意されたチンピラ役のコーチたちは相当に痛い目に合うだろうし、それなりの報酬も出ていただろうなあ、などと、今考えることでもないことをディーンは考えてしまう。
「すぐに行こう。ここまでもずっと、囲まれてたから、まだ応援が来そう」
エレナのその言葉に、ディーンは自分の置かれた危機的な状況を思い出す。
そうだ、確かに、ここまで追い詰めた『敵』は八人だが、何か所もの路地を閉鎖していた敵は、おそらく二十人、三十人という規模だ。
グズグズしていてさらに敵を呼んでしまうと、さすがのエレナでも対処のしようが無いに違いない。
急いで立ち上がり、ディーンとエレナは敷地の外に向かう。
途中、それでも、と思い、ディーンは、おそろいの真っ黒なコートを来たうちでまだうめいている一人の横で立ち止まる。
「いったい僕が何をしたというんだ」
敵が何をしたいのかが分からないと、これから自分が何を警戒すべきなのかも分からない。少しでも情報を取りたくて、ディーンは男に尋ねた。
「自分の胸に……聞いてみろ……」
「……鉱石か」
「分かっていれば……素直に……」
そこまで男が言ったとき――
「そこまでです」
ディーンがまったく期待していなかった声だった。
それは、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ王女殿下の高く透き通る声だった。
「なんだきさ――でっ、殿下!?」
彼女が現れることは、敵方にとっても意外だったのだろう。彼らの精神に恐慌が押し寄せているのが、ディーンにさえ分かった。
「……だいぶ痛い目にあったようですね。今退くなら、今晩のことは目を瞑りましょう。ですが、これ以上の暴挙に及ぶなら、さすがにこの私にも考えがあります。あなた方が主と仰ぐ方がどなたなのか、よくお考えなさい」
「しっ、しかしこの恩知らずの無礼者は恐れ多くも殿下の――」
「彼は私の友人です! ――衛兵! こいつを捕らえなさい。ほかの者は見逃してかまいません。見せしめは一人で十分です」
彼女の後ろにいた完全武装の衛兵は、あっという間にディーンの前の黒男を捕まえた。
「殿下、見せしめなんて――」
彼を待つ運命のことを思い、ディーンは思わず一歩前に出るが、
「殿、下?」
リーザの気迫に押され、二歩目を思いとどまる。
「……リ、リーザ、さすがに見せしめで罰を与えるなんて……」
「本来なら法にもとづき罰するところです。彼らの主を無用に怒らせず、なおかつ彼らの今後の行動を思慮深くさせるための最良の方法なのです。あなたは口を出さないで。――さあ、慈悲深き王女に最敬礼を。そして、行きなさい」
命じられた残る黒尽くめの男たちは、痛む体を引きずりながら、ひざまずいての最敬礼もそこそこに、あたふたと逃げていった。
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