慶喜の弟2
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「喜徳を…水戸家に返したい…だと?」
昭武の細い眉がピクリと跳ね上がった。
「はぁ…松平家の使いの言上は大体のところが左様なことを申しておりましたが…」
「貸せっ!」
「ヒッ!!」
今朝早く、目黒の会津松平家からもたらされた手紙はここ江東に居を構える水戸徳川家を継いだばかりの若い主人にとってあまりいい知らせではなかった。恐る恐る預かった書状を差し出した水戸家の老家令はある程度予想はしたものの、まるで夜叉のような表情になった昭武にそれをひったくられて思わず声をあげてしまった。
水戸徳川家にその人生のほとんどを捧げてきた老家令は昭武が生まれた時からずっと見てきたゆえに元来の彼がこんなに居丈高な態度を取ることなどないのを知っていた。幼い頃から手に負えない腕白坊主ではあったが、その一方で自分より目下の者達に対する気遣いは不思議と細やかな若様で、決して自分の機嫌で人に当たったりすることのない性格だったのだがー。つまりこの手紙の内容は昭武にとっていい知らせどころか、それほど腹に据えかねる問題だったのである。
『まぁ余九麿様のことゆえ仕方のないこと』
老家令がそう納得してしまうのも無理からぬことではあった。何しろ昭武は水戸で養育されていた幼い頃からこの同じ年の異母弟を、同母の兄弟達よりも大事にしていたのである。幕末、自らの身もどうなるかわからなかったフランス留学からの帰国に際しても、途中立ち寄った上海で日本人に会うなり、戊辰戦争中最も凄惨を極めた会津戦争の真っ只中にいた余九麿ー喜徳の身を案じて真っ先にその消息を尋ね、覚えたてのフランス語で次のように日記に記していたのである。
"不幸にして、会津の公子は完全に駄目のようだ…"
帰国直後に水戸家の当主となってからも昭武の心労は続いた。蟄居中である慶喜にも会うことはできなかったが、兄に対する心配と喜徳に対するそれは決定的に違っていた。
『兄上は大人だ。ましてや稀代の才子と薩長にも恐れられたほどの方。身の処し方をこの昭武が心配申し上げては却っておこがましいというもの。しかし余九麿は…』
昭武は薄い唇を噛みしめた。
『余九麿はまだ子供だ。しかも武士事には一番似つかわしくない、ひっそりとおとなしい性格なのに…』
"会津の公子"とはいうものの、喜徳はわずか半年余りだが新政府に恭順の姿勢を示し藩主の座を退いていた容保の後を継いで、形ばかりではあったが会津の10代藩主となっていたのである。
『もしかしたら余九麿は薩長に殺されるやもしれぬ』
薩長、特に長州は幕末に"禁門の変"で会津に煮え湯を飲まされて以来、幕府よりも会津憎しの一念で凝り固まっているという。そんな者達が、子供とはいえ藩主の座についた喜徳を生かしておくとは思えなかった。現にその当時、喜徳は容保と離されて筑後久留米藩に幽閉中の身だった。
近親者からの助命嘆願はかえって新政府を刺激する恐れがあった為下手に動けず、昭武は焦がれる思いで事の成り行きを見守り続けたのだった。そして明治3年ー新政府は容保と喜徳の幽閉を解き、明治元年に生まれていた容保の実子である慶三郎(のちの容大ーかたはる)を藩主に、青森の地に斗南藩の再興の許可を出したのだった。ところがー。
昭武がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。元来が豊かな穀倉地帯の会津である。ここから移住した民達は故郷とあまりにも違う貧しい土地を生かし切れずに極寒の地での大不作にあえぐ事態に陥ったのだった。それでも何とか3年、喜徳は北海道の開拓事業を政府から請け負っていた昭武に時折技術や情報の助言を求めながら、義父である容保や重臣達を手伝って藩の経営を軌道に乗せようと励んでいた。その矢先のこの話だったのである。
「あまりに酷い仕打ちではないかっ!幕末の折、慶喜兄が容保殿に登城禁止を言い渡したことに対する意趣返しかっ!余九麿には何の罪もないというのに…実子が生まれた途端に今まで健気に務めを果たしてきた余九麿に対して、手のひらを返したようなこの邪魔者扱いじゃ」
『今頃余九麿はどんな想いをしておるか』
昭武の脳裏に瞬間、幼いままの喜徳のはにかんだような笑顔が浮かんだ。もう7年会っていない。最後に会ったのは喜徳が会津に養子に入ってすぐのこと。上京してきた喜徳とほとんど入れ違いに昭武がパリへ出発する前のほんの数日間のことだった。
出発の日の朝、多忙の中、喜徳は時間を縫って二条城まで昭武の見送りに駆けつけた。
「余九麿、来てくれたのか?」
屈託なく笑いかけた昭武に喜徳ははにかんだように頷いて微笑んだ。
「お元気で…余八麿殿ー道中つつがなく過ごされますように。兄上より賜られましたお役目をしっかりとお勤め下さいませ。微力ながら余九麿もこの日の本で兄上や義父上のお役に立つよう努めて参る所存にございまする」
あの日の最後の喜徳の笑みが昭武の胸をえぐった。
「ー喜徳を…取り戻すー」
「殿…?」
昭武の押し殺したような声を聞き取れずに老家令が主人の顔を見ようとしたその瞬間。
「馬を引けっ!目黒の会津松平家へ行く!余九麿をあのような所へ一刻も置いておきとうないっ。会津にとっては憎い将軍の弟で不要のごくつぶしかもしれぬが、この昭武にとってはかけがえのない弟である!」
「殿っ、お待ちくだされっ、殿!!」
足早に飛び出した昭武の後を追って、老家令は転がるように廊下へ出た。
「余八麿…いえ昭武殿、どうかこれ以上のお気遣いはもう…厄介者の居候の身には却って辛うございますからー」
「何を言う。ここはそなたの生まれた家、私はそなたの兄ではないか。何の遠慮がいるものか。しかしそなたが肩身が狭いというのであれば…どこぞ水戸の支藩で空いておる所はない…か…」
その後間もなく会津との話がまとまって、喜徳は生家の水戸家へ復籍した。昭武は腫物を触るような丁重さで喜徳を遇したが、喜徳は言葉少なくその表情は憂いの影を帯びて一向に優れない。昭武は以前にも増して遠慮がちに打ち解けなくなった喜徳の心をなんとか解そうと悪戦苦闘していたが、ふと思いついてポンと膝を打った。
「おおそうじゃ、あったあった…そなたの次の弟…廿一麿が継いだ守山藩だがの?生憎と先年廿一麿が病の為に年若で薨ったであろ?その後空きっぱなしになっておるのだ…な?守山の藩主では嫌かの、余九麿?最も…」
昭武は面白くなさそうな表情で吐き捨てるように呟いた。
「かの地は郡山の少し手前…磐梯山を越えるとすぐに会津だ。そなたを裏切った会津の山河の近くにおるのは良い気持ちはせぬであろうがの…なに、形だけでいいのだ。そなたは守山藩主としてこの水戸家で暮らせばよい。な、余九麿?それくらいのこと、この昭武にさせてくれ。そなたには本当に苦労をかけたのだからー」
「……」
手を取りながら覗き込む昭武に、喜徳はただ困惑したような曖昧な微笑を返すのみだった。
☆
「あの折は本当に容保殿にも失礼いたした。喜徳がこちらに戻ってからもろくなお礼も申し上げないで…私はあれの顔色が優れぬのは会津より受けた仕打ちのせいだと思い込み、おとなしいあれの代わりにその気持を代弁していたつもりだったのですが、それが一層喜徳の心を傷つけていたとはーフランスであのようなことになるまでこの昭武はまったく気づきませなんだ。許してくだされい、容保殿」
あのようなことー昭武の胸に苦い思い出となって染みついているそれは、弟思いの昭武ゆえに一層負い目となって彼自身を苦しめていたのであった。




