その八
月京は、男を一人伴って上屋敷に現れた。
夕暮れ時である。伴った男は若い武士で、厳原府中藩士・鈴木庸蔵と名乗った。
「厳原府中ってあれかい? 対馬の」
「御名答。対馬の殿様とは、ちょっとした飲み友達でね。あそこは朝鮮とも繋がっているし、通詞を貸してくれと頼んだら、この鈴木を寄越してくれたんだ」
「へぇ。頼むぜ、鈴木さん。相手はちと面倒だが」
鈴木は緊張気味に頷いた。生きている人間の通詞をするわけではないという事は、どうやら聞いているようだ。
「で、それが陰陽師の戦支度か」
「まぁね」
五芒星の擦文が施された純白の褐衣に、括袴。そして、頭には立烏帽子。腰には太刀を佩いている。
「だが、今回は戦をする気はないよ」
「ほう。相手が女だからか?」
「どうだろうな。兎角、話を聞いてあげるだけさ」
「それだけか」
「ああ、それだけさ」
それであの女を祓えるのか? そう思ったが、ここは月京に任せるしかない。餅は餅屋というものだ。
日が暮れ、夜になった。
蔵。その前で、三人して酒を飲んで待った。酒は屋敷で準備した聚楽酒。肴は干した烏賊である。
月京は平然と飲んでいる。鈴木の盃は重く、かく言う自分も平然を装ってはいるが、緊張はしていた。
それを見透かして、
「ふふふ。そう固くなるな」
と、月京は笑った。
「人間と妖鬼。命があるか否かだけで、余り変わらんさ」
「そう言えるのは、お前が玄人だからだ。俺や鈴木さんの様な素人には、その境地は無理ってもんだ」
「帯刀。例えば、赤の他人に突然馬糞を投げられたらどうする?」
「そりゃ、怒る」
「妖鬼も同じさ。失礼な事をすれば怒り、人を襲う」
「何もしなくても、人間とみりゃ見境なく襲って来る妖鬼もいるんじゃねぇのかい?」
「いるね」
「ほら」
「だが、それは人間も同じだろう。自分の欲望の為に、盗み・犯し・殺す。そうした賊を懲らしめる為に武士がいるように、そうした妖鬼を懲らしめる為に、俺がいる」
「だからって、俺にはまだ納得出来んなぁ」
「何事も経験だな、経験」
暫く盃を交わしていると、女の泣き声が聞こえて来た。
三人は顔を見合わせると頷き、蔵の中に入った。
淡く蒼い光。その中に、女は立っていた。下を向き、顔を抑えて泣いている。
「間違いありません」
と、鈴木が呟いた。
「あの着物は朝鮮のものです」
「やはりそうか」
月京は頷き、帯刀に顔を向けた。
「帯刀は此処で待っていてくれ」
「何故?」
「相手は花も恥じらう乙女。野郎三人で行ったんじゃ、驚いて話もしてくれぬだろうよ」
「おいおい相手は、うん百歳な妖鬼だろう?」
「妖鬼でも女さ」
月京は微笑み、鈴木を伴い女に近付いた。
一言二言ほど言葉を交わした後、三人は腰を下ろし、じっくりと話し込んだ。
帯刀は、ただその様子を眺めるしかなかった。聞こえてくるのは、聞き慣れぬ朝鮮語だけである。月京は鈴木に耳打ちをするので、何と話しているのか全く分からない。
四半刻後、三人は立ち上がると、月京が手招きをした。
「何でぇい。俺を除け者にしやがって」
「そう拗ねるな。それよりこれからがお前の出番だ」
「俺の?」
「力仕事さ」
と、月京は女の足元を指さした。地面は三和土だが、その部分だけが妙に色が違う。
「此処を壊せと?」
「槌も用意している」
いつの間にか、月京の手には大きな木槌が握られていた。
「それも陰陽術ってわけか」
「便利なもんでね」
「しゃらくせぇ」
帯刀は、城門すら壊せそうな木槌を構え、三和土目掛けて何度か打ち据えた。
三和土がひび割れ、その隙間から赤土や砂利が舞う。更に打ち据えると、そこには大きな扉が現れた。




