その九
「これだな」
月京が言うと、朝鮮女が何やら呟いた。
「左様でございます」
と、鈴木が間髪入れず訳した。
三和土から現れた扉は鉄製で、更に呪符で封印されている。
「何やら禍々しいな」
肩で息をしている帯刀が、汗を拭いながら言った。
「並みの封印ではないな、これは。強力だ」
「どうする?」
「どうするって、このまま帰れぬだろう」
月京が楽しそうに嗤った。そして下がるように命じた。
「てっきり、扉を開けろと言われるかと思ったぜ」
「助っ人を呼んでる」
すると、水干の男と背の高い甲冑武者が蔵に入って来た。
水干の男は櫛橋邸で見た、執事の藤九郎だ。甲冑武者は、初めて見る。褌一丁の素肌の上に、漆黒の鎧。半月を描いた凛々しい兜を被り、顔は面頬で隠されているが、野太い眉と大きな目だけは確認する事が出来た。
異装だ。この泰平のご時世に、甲冑を纏う者などいない。この状況でなければ、大いに笑い飛ばしていた所だ。
「あの甲冑武者が、お前の式鬼って奴かい?」
「さて、どうかな」
「答えねぇのか?」
「その問いは無粋だね」
月京は質問を躱すと、鈴木に目を向けた。
「大丈夫か?」
「え、ええ」
「気をしっかり持てよ。妖鬼は、人の弱気を巧妙に嗅ぎ分ける」
「大丈夫です」
そう返事をしたものの、鈴木の表情は硬い。
月京が二人に扉の取っ手を持つように命じると、何やら右手人差し指を口の前で立て、呪文を唱え始めた。
その言葉の意味は分からない。しかし、呪符は風もないのに大きく揺れ出していた。そして、勢いよく弾け飛んだ時、
「今だ」
と、月京が叫んだ。
藤九郎と甲冑武者が、扉を引き開ける。錆。軋む音。少しずつ開いていくと、硫黄臭とも腐臭とも表現できぬ悪臭が吹き上げて来た。
「瘴気だ。吸い過ぎるなよ」
そう月京に言われ、帯刀は慌てて鼻を塞いだ。鈴木は目すら閉じているが、朝鮮女は平然としている。人間ではないのだ。瘴気など慣れたものだろう。一方の月京は、扇を広げ口を隠している程度だ。
「気を付けろ」
月京が言った。
「どうした?」
「罠を仕掛けてやがった」
扉が全て開いた、その刹那だった。
赤い肌で野太い腕が扉の奥から伸びるやいなや、側にいた藤九郎を掴み上げたのだ。
掴んだ手に、力が入る。骨が軋み、折れる嫌な音が蔵の中に響く。そして目・鼻・耳・口から血が噴き出し、藤九郎の身体は開いた扉の奥へと腕と共に消えた。
「藤九郎」
咄嗟に軍荼利左文字に手を伸ばし、前に出ようとしたが、それを月京が右手を出して止めた。
「帯刀、妖鬼退治は俺の領分だ。手出しは無用」
「餅は餅屋か」
月京は頷き、甲冑武者を一瞥した。
「太兵衛。始末して来い」
「御意」
低く呻くような声で太兵衛という名の甲冑武者は頷き、その身形から想像出来ぬ身軽さで、扉の奥へ飛び込んだ。
「月京よ。あいつで大丈夫なのか?」
帯刀が月京に歩み寄って耳打ちした。鈴木は相変わらず、目を閉じて耳を塞いでいる。朝鮮女は無表情で突っ立っている。
「九割はな」
「藤九郎には悪い事をした。葬式諸々は夜須が持つぜ」
「気にするな。三日もすれば、また元気に元通りだ」
「どういう事だ」
月京がほくそ笑んだ。
「扉を開く時に言ったろう? 『人間じゃ無理』だと。つまりそういう事だ」
式鬼か。あんな歳を重ねた小男が式鬼だとは思えないが、月京が言うのだからそうなのだろう。
「お、おおお」
不意に、足元が揺れた。それは地震のような、下から突き上げてくる揺れで、それは一頻り続いた。
「と、止まった」
腰を抜かした鈴木が言った。まだ目を閉じ、鼻を摘まんでいる。それを見て、月京は瘴気は止んだ事を告げた。
「心配無用。太兵衛が暴れていただけだ。それに、もう終わった」
太兵衛と呼ばれた甲冑武者が、一躍して地下室から出て来た。
全身に返り血を浴び、左手には短刀。そして右手には、その刀で掻き獲ったであろう生首。しかし、人の首ではない。肌は赤く、目の数は左右に二つずつ。更に額には、角のような瘤があった。
「鬼か」
「そうだ。鬼は誇り高い妖鬼。姓名だけでなく諱まで名乗り、無暗に人間を襲わない。自らを高尚な者と自認しているからな。下等な人間は相手にせぬのだ。それがこの地下に罠として捕らえられて、封印を破る者を襲うように仕掛けられていた。どうやら、これを作った奴は強力な術者だな。そして下衆でもある」
「それだけの事情があるって事か」
「そうみたいだな。どうだ、下に行くか?」
「勿論」
「怖くないのか?」
「滅多に見れねぇものだ。勿体ねぇよ」
「よかろう」
灯りを手に、下に降りた。
先頭は月京で、次に朝鮮女。帯刀の後ろにまだ震えている鈴木だった。太兵衛は上で待っている。
まず、藤九郎や鬼の骸を探した。しかし、何もない。ただ埃っぽいだけだ。
「おい、来てみろ」
月京が帯刀を呼び、灯りを翳した。
そこには、白骨化した骸骨が横たわっていた。
「酷いな、こりゃ」
帯刀は、思わず声を出していた。
その骸骨の両手両足、そして首に禍々しい鎖と枷で戒められ、それが壁に繋がれていたのだ。何がどうして、このような事をしなければならないのか。
「人間って、怖いですね」
鈴木が言った。
「ここまでするって、激しい憎しみがあるからでしょう。妖鬼にも驚きましたが、私はこの光景の方が恐ろしく思えます」
月京が鈴木に顔を向け、軽く笑んだ。
「その通りだ」
と、答えたかのような笑みだった。
それから鎖を外した。もう錆びて腐食し、簡単に断ち切る事が出来た。
「カムサハムニダ」
ふと、朝鮮女が口を開いた。両眼には大粒の涙を浮かべている。が、それは今までの涙と種類が違う。何故か帯刀は、そう感じた。
「ナヌン イジェ トラガムニダ」
すぐに鈴木が訳す。故郷に帰るそうだ。月京が頷く。朝鮮女の身体が淡い光を放ち、薄くなっていく。その顔は穏やかで、美しくもある。
「おい」
帯刀は何か思いついたように、名を訊けと鈴木を小突いた。
「キダリョ! ソンハミ オットケテセヨ?」
すると、女は涙を一筋零した後、
「ソヨン」
と、微笑みながら消えた。




