第8話 魔法研究機関 ①
カツンカツン、ディアの足音が通路にこだましていた。
どうやら地下道を抜けた先は洞窟となっているようだが、この先が何処に繋がっているかは見当がつかない。
クラウンの話によると、テミリアは何者かによってこの先に連れて行かれたらしい。
政府は禁忌術者を捕らえて処刑をしていた。
その話は本当なのだろうか?
ディアは元騎士団の一員だ、限りなく政府に近い位置づけにいたがそんな話は一度も聞いたことがない。
となれば、秘密裏に行われているとしか思えなかった。
しかし、何の為にそんな事を行っているのだろうか?
そもそも禁忌術者自体、噂程度の存在ではあったし、この目で見るまでは信じられなかった。
だが、エリーの治癒魔法、レッド・プリズナーの炎、非力そうに見えるテミリアがぶち壊した壁、そして高速で飛ばされた火球。
どれも魔法としか説明がつかない、得体のしれない力だ。
「あそこは?」
薄暗い通路の先に差し込んだ僅かな光。
どうやら扉が半開きになっているようだ。
ディアは慎重に扉を開き中の様子を伺う。
そこには見た事のない機械の数々が配置されていた。
「ちょっとっ! 離してっ! アタシは戻りたくないって言ってるでしょっ!?」
奥の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
この声、テミリアのだろうか?
だとすれば、どうやら連れられた先はここで間違いないようだ。
ディアは足音を立てないように部屋へと入ると、物陰から奥を覗きこもうとした。
部屋にはガラクタとしか思えない鉄クズの山。
しかし、何処かこの時代からかけ離れているようにも見える。
そういえば聞いた事がある、この世界に魔法という技術が発展する前から存在していた『古代文明』の事を。
政府はそういった古代文明の遺産を研究する機関をいくつか設けている。
例えば今回騒動となった毒ガスに関しても古代文明の技術から生み出された物だと聞いたことがある。
噂程度にしか耳にしていなかったが、この場所が研究機関である可能性はあり得ない話ではない。
「っと、見ている場合じゃないな」
どれも興味深い物ばかりだが、今はテミリアを救出する事が優先だ。
奥の部屋からテミリアの声が聞こえる。
何者かと話しているようだが、テミリア以外の声は聞こえてこない。
ディアはゆっくりと近づいて行った。
その先はどうやら、牢屋になっているようだ。
見張りに立っているのは黒装束の男二人、テミリアは鉄格子越しから二人にずっと喚き散らしている。
元気そうで何よりだが、見張りの二人は全く見向きもせずに呆然と立っていた。
「相手は二人か」
逃げ道も確保は出来ている、やるなら今しかないとディアは構える。
相手は恐らく禁忌術者だ、魔法を使ってくる可能性は十分に考えられた。
赤眼の剣士のように斬るといった芸当は出来ないが、事前にその情報が頭に入っていれば……十分に対策は出来るはず。
「さてと、やるなら手早くね」
ディアは剣を構えて飛び出した。
見張りの二人はすぐに侵入者に気づき、何やら両手を構え始める。
相手が魔法を使う、その情報があれば容易に避けることが出来る。
そう考えていたが……魔法による一撃は、ディアの予想を簡単に上回った。
「な、なんだ?」
ディアは足を止めていた。
たった今、何か火花のようなものが目の前に通り過ぎたと感じたからだ。
それは気のせいではない、呆けているその顔のすぐ横を一筋の閃光が走り、消える。
直後、耳をつんざく爆発音とほぼ同時にディアは前へと飛び込んだ。
「クッ……魔法ってのは僕が考えるよりもデタラメな力みたいだな」
2人の男達が、魔法をかわされて怯んだ隙に、懐に飛び込んでいたディアは鞘を振るう。
そのまま2人を壁に突き飛ばし無力化させると、牢屋の鍵を取り外しにかかった。
「ア、アンタは?」
「君のお姉さんの知り合いさ、彼女に頼まれて君を助けに来た」
「お姉ちゃんが? 嘘でしょ?」
「お姉さんの名前はエリシア・プラッシェル、そして君の名前はテミリアだね」
「……そうだけど」
どうやらテミリアはエリーの事に気づいていなかったようだ。
あの騒動の最中だ、薄暗い地下道だった事もあってそれどころじゃなかったのだろう。
「でも、私のお姉ちゃんは半年前に姿を消しているのよ。 それ、本当でしょうね?」
「なら、君の目で確かめてみるかい?」
「ついてこいって事?」
「その通りさ。 急ごう、気づかれたら面倒な事になる」
ディアの予想が間違ってなければ、ここは政府によって作られた研究機関だ。。
あの黒装束の男が政府と繋がっている可能性もゼロではないし、何より騎士団に気づかれれば面倒な事になる。
ディアはテミリアを連れ去り脱出を図ろうとした、その時。
「なるほど、中央区に潜入したネズミは貴様だったか」
「……お前はっ!」
騎士団の制服を身に纏った長身の男が待ち構えていた。
ディアよりも背が高い銀髪のロングヘアー。
階級の高さを示す赤きマント、そこには騎士団の象徴である獅子が堂々と描かれていた。
そう、彼は正真正銘の騎士団の隊長クラス。
そしてディアはこの男を知っていた。
「久しいな、ディア。 貴様が騎士団を抜けて以来か……私の名を忘れたとは言わせんぞ」
「お前の事は嫌でも覚えてるさ、ツェルム・メリファ」
騎士団の訓練生時代から、この男の事は知っている。
何度も任務で顔を合わせたし、時にはその力を競い合う事もあった。
ツェルム・メリファ。
政府に貢献する為ならば、例え本来守るべき市民の命であったとしても容赦なく斬り捨てる。
権威の前に平伏した、飼い犬のような男。
皮肉だが、騎士団としての適性は十分にあったと言える。
だからこそ、ディアはこの男が嫌いだった。
「フ、聞いたぞディア。 貴様はワーカーに落ちぶれた挙句、毒ガスの事件に関わったそうじゃないか。
ククッ、政府に逆恨みした挙句、お前の大好きな市民さえも巻き添えにしようとしたか?
私は悲しいよ、かつて共に高みを目指し、誇り高き騎士団の一員だった友が道を踏み外してしまったという事実が」
「僕が運んだのは毒ガスではない、その証拠を掴む為にわざわざ中央区へ来ただけさ」
「ほう? だが政府は完全にお前を疑っている。
どんな手を使って中央区へ足を運んだのかは知らぬが、お前がここにいる状況を政府は何と思うかな?」
「クッ……!」
状況は最悪だ、もしディアがこのまま捕まれば処刑は免れない。
禁忌術者であるテミリアも同じ運命を辿るだろう。
だからと言ってツェルムに手を出せば、それは政府への反逆罪だ。
仮にここから無事逃げ出せたとしても、厄介な敵がまた1つ増える事となる。
「どうした? 昔ながらの友と再会できたというのに、随分と浮かない顔だな?
それとも、この私の顔に何かついているかね?」
「何してんのよっ! そんな奴に構ってないでさっさと逃げないのっ!?」
「僕がこいつを足止めする。 君は先に行っててくれ」
「はぁ? アンタ、アタシを助けに来たんでしょ? なのに、勝手に逃げろっつーの?」
ディアはとにかくテミリアを逃がす事だけを考えた。
恐らくこの男と出会ってしまった以上、お互いに無事ではいられないと確信したからだ。
「ふぅむ、毒ガスだけでは飽き足らず……今度は害である禁忌術者に肩を持つと言うのか?」
「害だと? 彼女に何の罪がある?」
「禁忌術者は存在自体が害なのだよ、君にはわからんのかね?」
「そんな理屈、わかってたまるかっ!」
これではっきりとした。
政府が禁忌術者の片っ端から処刑しているという話は事実であったことが。
政府が悪と言えば、それは悪。
そこに疑念の入る余地は全く無かった。
職務に忠実だと言えば聞こえはいい。
だが、この男が今やろうとしている事は、何の変哲もないただ1人の少女を地獄へ追いやろうとしているだけだ。
そこに果たして、相手を一方的に悪と断じる『正義』は存在するのか?
いや、無い。
だからこそ、ディアは騎士団を抜けた。
こんな男が団長を務める今の騎士団と政府は、腐っていると断言できた。
「騎士団としての誇りを忘れたか、ディア。 情けない、かつての友がここまで落ちぶれているとは。
何故政府を信じない? 何故禁忌術者が悪だと気づかない?」
「お前こそ疑問に思わないか? 何故政府の言葉を絶対だと言い切れる?」
「……ふむ、お前の言葉には一理ある」
「何?」
ふと、ツェルムは深く考え込むと目を閉じた。
「私は疑問だった、大した権力も力も何も持たない政府が、何故ここまで増長し始めているのか?
私の騎士団としての姿はいわば仮初の姿、本当の私が信じているモノは、あんなまがい物の政府ではない」
「……ツェルム?」
あれだけ政府を妄信していた男がいきなりどうしたというのか?
あまりにも気味が悪く、ディアは思わず身構える。
ツェルムは何故か涙を流していた。
「ああ、情けない日々だった。 私はあの方と出会うまで気づかなかったのだ。
何が正義で、何が真実で、何が正しいのか……全てを私に教えてくれたよ」
「あの方?」
「そうだ、この世界に必要なのは軟弱な政府ではない。
もっと、絶対的な力を持った『王』が必要だと」
「……お前は何を言っているんだ?」
「見せてやろう、悩める私を真実へと導いた……神をっ!!」
ツェルムはマントを脱ぎすて、鎧をはぎ取ると自らの右肩を晒した。
そこには……赤き翼を生やした獅子の姿があった。
途端、ディアは背筋を凍らせた。
「お前が信じた神は、もしや――」
「クククッ! ディーク・アルド・フォーレ……私の秘密を知ったからには、生かして返さぬぞ」
元々頭がおかしい奴だとは思っていた。
だが、彼の妄信はディアがいない間にもっとこじらされてしまっていたようだ。
この男は、信じている。
邪神『ニビル』などという、得体の知れない『神』を……そして、その力を。
「ば、バッカじゃないのっ!? あいつ、絶対頭おかしいってっ!」
「いや、あの男ならあり得るさ。 奴はとことん『力』という言葉に拘り続けていた
神話で語られた邪神の存在というのは、あの男の心をここまで大きく揺さぶらせたんだろうね」
こんな奴でも、一応はそれなりに長居機関の付き合いがあった相手だ。
だから、ウマが合わないとも関わりたくないとも思っている。
そして同時に、今、一番敵に回したくない相手であるとも。
その実力は、誰よりも自身がよく知っている。
純粋な剣術の腕前も。
そして、卑劣なまでに手段を選ばない事も。
だが、今この場を切り抜けるには――
「剣を抜け、ディアッ! 騎士団時代から続いた貴様との因縁、ここで決着をつけさせてもらうっ!」
「君は僕を情けないと言ったね? その言葉、そっくりそのまま君に返す。
とことん落ちぶれたな……ツェルム」
やはり、戦う他に道はない。 ディアは腹を括った。
この男は、戦いという麻薬に頭をやられた戦闘狂。
そして何より人を殺し、相手を叩き潰し、勝利する事に快楽を覚えた、快楽殺人鬼だ。
『禁忌術者の排除』という名目で行われた市民の大量虐殺。
模擬戦だろうと、相手が悲鳴をあげるまで嬲るのをやめない、残虐非道なまでの行為。
この男はやってのけた。 何一つ、疑問を抱かずに。
全ては自分の快楽の為。そしてそんな自分を重宝してくれる政府という飼い主の為。
こんな奴に負ける訳にはいかない。 自分自身の為にも。
「君は僕に構わず逃げてくれ」
「だ、大丈夫なの? あの男、普通じゃないわよ」
「奴の目的は僕との決闘だ、君の事は眼中にない。 それに、もたもたしてたら増援が来てしまう」
「アンタ、無事で戻る気あるんでしょうね?」
「勿論さ。 奴を討ち、奴が妄信している『邪神』について洗いざらい吐かせてやるつもりだ。
それに、僕を妙な事件に巻き込んだのは……奴の雇い主が大きく関係してそうだしね」
肩に刻まれた邪神のタトゥー。
ディアはこれまでに何度も同じ印を目の当たりにした。
偶然とは思えない。 恐らくあの印を刻んだ者達は、何らかの形で繋がっている。
そして、何者かが束ねているとディアは結論付けた。
「お別れの挨拶は済んだかね?」
「余計なお世話さ」
「ならば、死ねぇぇぇいっ!」
ツェルムの横薙ぎの一撃へ合わせるように、ディアは逆袈裟に居合を放つ。
剣戟が互いの刃を弾き、ディアもツェルムも、その衝撃で後退した。
ムラクモ流の『居合』の一撃は、ディア自身がよく知っている。
それに謙遜ない剣捌きを見せる、ツェルムの技術。
やはり、この男はただものではない。
しかし、常識はずれの相手とやり合うのは、さほど珍しい事でもない。
ディアとて、修羅場を潜って生き延びてきたのだから。
「ふぅむ、まさか私の一撃を受け切れるとは思わなかったよ。
何処で修行したのか知らぬが、妙な剣術を身に着けているようだな」
「互いに腕を上げているという事さ。 前の僕と同じと思わない方がいい」
「ならば、受けて見よっ!」
ツェルムは鞘へと剣を戻し、深く腰を落とす。
抜刀術だ。ムラクモ流のそれに似ているようで、また違う流派のものか。
そんな事が一瞬、脳裏に浮かんだ時だ。
ツェルムが、その構えのままこちらへ突進し、距離を一瞬にして詰めてきたのは。
風を切る音が聞こえたか、聞こえなかったか。
ディアはほぼ直感で、刀を振るっていた。
先ほどの一撃よりも遥かに重たい。
剣がへし折れてしまうのではないかと思うほどの衝撃をその手に受けながら、
ディアは背後にあった壁へと叩きつけられた。
「グッ……何だ今のは?」
「どうした? まだ終わっていないぞ」
ツェルムの猛攻は止まらない。
息も絶え絶えのこちらに向け、再びその手の剣を向ける。
そう、向けただけだった。ディアにはそうとしか取れなかった。
だが次の瞬間、ディアは反射的に防御姿勢を取っていた。
ツェルムの斬撃が来る。
思考は否定していても、勘がそう告げた。
そして、その判断は当たっていた。
目を血走らせた魔物のような形相のツェルムと、いつの間にか目の前で鍔迫り合いを繰り広げていたからだ。
「ねぇ、アンタっ! あいつの力、見たでしょ? 明らかに異常よ、逃げた方がいいっ!」
「君はまだ逃げていなかったのか?」
「あんなヤバそうな奴前にしてアンタを置き去りになんてできないわっ!」
テミリアの言う通りだった。
ツェルムが見せた今の戦い、明らかに異常だ。
認めたくはないが……今のディアの腕が通用するような相手とは思えなかった。
「どうした、怖気づいたかディア? 私はまだ本気を出していない、それは貴様自身も同じだろう?」
「……クッ」
ディアは、今のこの状況をかつて相対した『赤眼の剣士』との戦いに重ねていた。
あの時、ディアは無謀だと分かっていながらもその剣を振るう事をやめなかったあの時。
しかし、と、ディアは高ぶっていた自らの気持ちを抑える。
今は違う。 かつての時と違い、守るべきものがあるのだ。
だが、どうやって逃げる?
壁に追い詰められている以上、目の前に立ち塞がるツェルムをどうにかしなければ、このまま斬り捨てられるのを待つばかりだ。
幸いツェルムの目的はテミリアではなく、ディア自身に定めている事がまだ救いだ。
彼女は禁忌術者だ、この場で再び捕まるようなことがあれば命はない。
注意がそれてる今、彼女だけでも逃がせないかと考えた時――ふと、ディアは何かを閃いた。
「テミリアッ!」
ディアは叫んだ。
その一言で全てを悟ったか、直後ツェルムはディアから剣を抜き、横へと飛び退く。
直後、ディアの目の前に爆竹を鳴らしたかのような火花が飛び散る。
ディアを巻き添えにしない考慮か、随分と小規模な魔法であったが、県政には十分だ。
ディアはツェルムには目もくれず、テミリアの手を取って研究所の出口へと走る。
「貴様っ! 敵である私に背を向けるとは……戦いを侮辱するつもりかっ!?」
「君との決闘ならいくらでも付き合ってやるさ、でも……今はその時じゃない」
「逃げるのか、貴様ぁぁぁっ!!」
せっかく見つけた獲物に逃げられるわけにはいかないと、ツェルムは猛獣のように追撃してくる。
失敗したか。
諦めて再び臨戦態勢に入ろうとしたところへ、テミリアが割って入ってきた。
その瞬間、青い閃光がツェルムに向かって走る。
バチィンッ! と激しく火花が散ると、ツェルムは吹き飛ばされていった。
「よ、よかった……どっかの剣士みたいに斬られたりしないで」
「斬られる?」
「何でもない、それよりも逃げるのが先でしょ?」
「あ、ああ。 すまない、助かったよ」
助けるつもりが逆に助けられて複雑な気分になるが、ディアは先陣を切って脱出ルートへと向かう。
さきほどの魔法であの男を倒せたのであれば、これ以上ない幸運だろう。
しかし、恐らくそうは行かない、あの男は相当しぶとい。
どこかでまた戦う事になる。
確証などないが、ディアはそう思っていた。
そんな矢先だ。
通ってきたはずの道が、堅い鉄格子の扉で防がれてしまっていたのは。




