第7話 交差する運命 ①
「首尾はどうだ?」
「ご覧の有様さ」
ネイルは気難しそうな顔でそうかと呟くと、手元のコーヒーを啜る。
互いに状況は芳しくないと表情で語っていた。
ディアはこれまでの調査結果を交渉人ネイルに報告していた。
レッド・プリズナー襲撃の翌日、ディアはすぐにネイルに呼び出された。
大きな事件に関わった事も理由の一つだが、あくまでもメインとなるのは毒ガス事件の方だ。
当然の如くエリーがこの場にいるのは、彼女自身が一応希望した為ではあるが、正直気が退けている。
「それで、結局私の扱いはどうなるんですか? レッド・プリズナーの脅威は一応去りましたよね?」
「逆だな、むしろ奴が本格的に活動した事によって政府は勿論の事、我々ギルドも動かざるを得なくなった」
エリーは不満そうな顔をするが、とりあえずは納得したのかそれ以上何も言わなかった。
レッド・プリズナーの再来は瞬く間に広まった。
かつてセティアシティで恐怖の象徴とされていたその名は、再び人々を震え上がらせた。
事件から1日後にも関わらず、彼の存在はセティアシティに大きな影響を及ぼす事となったのだ。
今回の事件で死人が一人も出なかったのはギルドの対応が早かった事もあるが、それ以上に彼の名を偽った偽者の活躍もあっただろう。
無論、そんな事は一般市民にはわからないのだが。
「それで、君が言っていた謎の少女についてだが……私の知り合いに匿ってもらうよう依頼はした。
傷は深いようだが、命に別状はない。 ただ、まだ意識が戻らないようだがな」
「助かるよ、彼女は僕達の命の恩人だしね」
「ですが、その恩人は本気で私の命を狙っていたのも事実です。 何故そんな人を助けたのですか?」
「なら君は、傷だらけの彼女を放っておくことができたかい?」
「できます、彼女は私の敵ですから」
エリーははっきりと断言したが、ディアはそうは思えなかった。
もし本当に殺す気があれば、もっと早くエリーの事を狙うことが出来たはず。
しかし、エリーがそう言うのも無理はない。
実際に襲い掛かってきたのは事実だし、ディアも本気で彼女と戦った。
確かに完全に信用できるとは言い難い。
「彼女の身元は不明だ、少なくともワーカーではない。
どんな理由であれどレッド・プリズナーを名乗った以上、我々の監視下においておく必要はあるだろうな」
「彼女については貴方に任せたいと思う。 その間に僕は……目の前にある問題をまず片づけないとね」
「うむ、そうだな」
「エリー、悪いけどここから先は民間人である君は聞けない話だ。 大人しく席を外してくれないかい?」
「……わかりました」
エリーはディアの言う通り席から立ち上がると部屋から立ち去って行った。
それを確認すると、ディアは深くため息をついた。
「賢明な判断だな、しかし彼女もよく素直に聞いたな」
「彼女はただ自分が自由になりたいだけさ、これ以上余計な事件に巻き込ませたくはないしね」
結局、レッド・プリズナーの事件は直接毒ガス事件と結びつく事はなかった。
ネイルでも東区で調査をしていたところ、特に毒ガスが運ばれた形跡は見つからなかったし、入れ替え方法についてもはっきりとわかっていない。
このまま何も進展がなければディアの処刑は免れない、この状況を何とか打破できないかとディアは悩んでいた。
「さて、少し情報を整理しよう。 まず毒ガスの行方だが、事件の前日に依頼人は本来運ぶはずだった人形の数々を荷物審査に出していた。
そこには政府もギルドも関わっている事から、まず偽装は起こりえない」
「それは何故だい? 政府が絡んでいる可能性もあるんじゃないのか?」
「政府がテロ組織に手を貸すような真似はしないだろう。 別の目的があったのかもしれないが、わざわざギルドを通じて運ばせる理由もない。
政府が関係しているのであれば、もっと堂々と毒ガスを運び出す事が出来たはずだろう」
ネイルの言っている事は確かだ。
ディアは政府が関係している可能性を考えたが、わざわざギルドを通じて偽装してまで運ぶ理由はない。
となれば、やはり何者かによって荷物が毒ガスと入れ替えられたとしか思えないが……そんな事が本当に可能だったのか。
「それと、奇妙な点がある。 情報屋を通じて毒ガスが東区に運ばれた形跡があるかどうかを調べたが……結果、誰一人目撃していない。
毒ガスは決して簡単に持ち運びできる物ではない、なのに誰もそれらしき物を見かけていないのは不自然だ」
「口止めされている可能性は?」
「それこそ誰が、何の為に……だな」
結局のところ、捜査に何も進展がない事を思い知らされるとディアは深くため息をついた。
東区は既に調べつくした、しかしここまで何も手掛かりが見つからないとなれば今回の事件は相当入念に準備されていたとしか考えられない。
相当頭の切れる人物が組織単位で人を動かして計画を実行したのだろう。
結果的に失敗に終わっているが、それでも証拠を塵一つ残してくれなかった。
「正直、これ以上東区を調べても時間の無駄だろう。 ならば、調査の範囲を広げるしかあるまい」
「調査範囲を広げる?」
「私が思うに、今回の事件は相当根が深いと踏んでいる。 つまり、事件の裏には様々な何かが動いていたのは間違いないはずだ。
事件は東区だけに限定されていない……むしろ、毒ガスの存在に着眼点を置くべきだろう」
「……毒ガスが何処から東区に運ばれたか。 確かに、まずはそこを調べる必要がありそうだね」
「いや、そうではない。 逆に毒ガスの行方を調べるべきだろうな」
「ん? どうしてだい?」
「実は、回収された毒ガスがどうなったか我々には知らされていないのだよ」
毒ガスの行方が知らされていない?
一体どういう事なのだろうかとディアは動揺を隠せなかった。
「君が運んだ荷物が毒ガスであった事を暴いたのは西区滞在のワーカーによる活躍だ。
西区ではその毒ガスが何処で製造されて、何処から運ばれてきたかを隅々まで調べてもらっているはずなのだが……
何故か一向に情報が開示されないのだよ」
「……つまり、西区に何か秘密があると言いたいって事だね」
他に当てがない以上、今はネイルの提案に乗るべきだろうとディアは合意した。
元々西区と東区のギルドは対立関係にあり、非協力的な態度を取るのは珍しくない。
しかし、毒ガスが絡む大きな事件にも関わらず、その情報が一切開示されないのは確かに不自然だと考えた。
「気をつけろ、西区では妙な事件が発生しているという噂を聞いている。 数日前に晴天の空から雷が降ってくる事件もあったそうだ」
「何かの見間違いじゃないのか?」
「さあな」
冗談半分で聞いていたが、ネイルは冗談を言うような人物ではない。
何故そんな奇妙な事件が起きているのかはわからないが、いずれにせよディアは西区へ向かう必要がある。
多少遠回りとなるが、南区か北区を経由していけば中央区を通らなくとも西区へは行けるはずだ。
「あまり時間は残されていないと思え、何度も言うが政府は君を処分する事で全てを片づけようとしているんだ。
何も進展がないと知られればすぐにでもその首が飛ばされると思え」
「わかってるさ、それに政府に捕まってる彼も助けたいしね。 今すぐにでも西区へ向かうさ」
ディアは席を立つと店の外まで出て行った。
「中央区のゲートは未だに封鎖されているようだし、少し遠回りだけど南区を経由するしかないな。
今からだと馬車でもおよそ半日はかかるか……」
「何処へ行くんです?」
「うわっ!?」
ふと店の外から声をかけて来たのかエリーだった。
「な、なんだ君か。 び、ビックリしたよ」
「驚いたのは私です、そんな大きな声を出さないでください」
「悪かったよ。で、君は一体何を?」
「私、仕事をクビにされてしまいました。 半分ぐらい貴方のせいです」
「んなっ!?」
何の前触れもなく衝撃な一言を聞かされてディアは素っ頓狂な声をあげてしまった。
しかし、何故かエリーはあまり動じていないようだ。
「勘違いしないでください、別に私は貴方を責めるつもりはありません。
命を助けてもらったのも事実です、それに元々あの仕事を長く続ける予定もありませんでした」
「意外だね、仕事熱心な人だと思ってたけど」
「というより、そもそも貴方にどうにかしてもらわないと困るんです」
「ど、どうにかするって?」
まさか仕事探しを手伝えとでも言うのだろうか、と嫌な予感が過ぎる。
ただでさえ自分の首がかかってる以上、余計な仕事を振られたくない状態だ。
「決まってます、私を狙っていた偽者です。 もしかしてこのまま放っておくつもりなんですか?」
「ああ、いや……とりあえずはギルドに監視を任せてるはずだけど」
「何も悪い事をしていないのに常に監視されるなんて嫌ですよ。 今すぐ彼女に逢いましょう、彼女の目的をはっきりとさせる必要があります」
「気持ちはわかるけど、彼女はまだ意識を取り戻していないし重傷だ。 仮に目を覚ましたとしても、自由に動ける状態ではない。
逆に言えば、そう言う状態だとわかっていれば君の安全は約束されているはずだ」
「だったら偽者がずっと眠ったままとでも言いたいのですか?
本物のレッド・プリズナーの目的もはっきりしていませんし、私の安全は約束されていません。
それとも、私を守る剣になるという話は嘘だったのですか?」
「……やれやれ、それを言われると参っちゃうな」
確かにエリーの言う通り、彼女の安全が約束された訳でもない。
偽者のレッド・プリズナーはともかくとしても、本物のレッド・プリズナーがエリーを狙っている可能性もゼロではなかった。
それに、確かにディアはエリーと約束した。 今更それを破る訳にはいかない。
誰が為の剣となる、それが師匠の教えなのだから。
「少なくとも彼女の状態を確認する必要はあるんじゃないんですか?
貴方の言葉を借りると、仮にも私達の命の恩人ですよね?」
「わかったよ、まずは彼女の様子を見に行こう。 君もそうしたいんだろう?」
「そうですね、なら案内をお願いします」
エリーを放っておくこともできず、ディアは結局二人で例の少女の様子を見に行くことにした。
30分後、ディアとエリーは例の少女が匿われている病院へと辿り着いた。
人目にあまりつかない小さな施設だ、個人が経営している小さな病院なのだろう。
これも得体のしれない少女を預かる事による、ネイルの配慮によるものだ。
受付で彼女との面会を希望したが、やはり目を覚ましていない状態だと言う。
それでも一応様子だけ見に行こうと、ディア達は病室へと足を運んでいた。
「なんだかんだいって、君は彼女のお見舞いをしたかったのかい?」
「いえ、少し確かめたい事もあるので」
「確かめる?」
「何でもありません、忘れてください」
一体何を確かめるというのか、ディアはエリーの真意がよくわからずにいた。
思えばエリーはところどころ不自然な行動を取る事が多いように見える。
彼女は本当にただの一般人なのだろうかと少し疑問にも思った。
「確かこの部屋だと聞いたけど……」
ディアは一応ノックをするが、当然反応は帰ってこない。
遠慮がちにドアをゆっくり開くと――
「……これは?」
そこは、もぬけの殻だった。
窓が開いている、小さな建物と言えどここは2階だ。
飛び降りるにしてもそれなりの高さはあるはずだと、ディアは窓を覗きこむ。
同時にエリーは空となったベッドを調べていた。
「彼女は重傷だと聞いていたけど……逃げ出せる余裕はあったとはね」
「まだ温かいですね、もしかすると近くにいるかもしれません」
これがギルドに知られたら大事となるはずだ。
仮にもレッド・プリズナーを名乗っていた少女だ、いくら恩人と言えどこのまま黙って自由の身にさせる気はない。
外に飛び出そうとすると、コンッとディアの頭に何かがぶつかった。
「な、何だ?」
明らかに外から何かを投げられた。
ディアは外を確認する前に頭にぶつかった紙の塊を拾い上げた。
「これは、メッセージか?」
ディアはくしゃくしゃになった紙を広げると、そこにはこう書かれていた。
『私に構わず、貴方は事件を追って。 事件を追っていれば、すぐにでも私と逢う事になる』
「どういう、事だ?」
このメッセージ、偽者がディアにあてたものなのだろうか?
だとすればあの偽者は、ディアが何の事件を追っているかを知っている事になる。
もしや同じワーカーなのだろうか?
「追わないのですか?」
「仮にも暗殺者を名乗っていたぐらいだ、簡単に捕まえる事はできないだろう」
メッセージをエリーに知られないよう、ディアはポケットに紙切れを隠した。
「この件についてはギルドに報告する。 君はこのまま支部へと戻ってくれないか?
彼女は僕が何とかする、それまではギルドに保護してもらってくれ」
「私を一人にしてどうするつもりですか? もしかすると、あの子が襲い掛かってくるかもしれません」
「なら支部まで君を送る。 悪いけど僕はすぐにでも向かわなければいけないところがあるんだ」
「西区へ向かうのですか?」
「な、何故それを?」
「何となくわかります、貴方が追っている事件は推測できますから」
ディアの口から事件について話した事はないのだが、どうやら察してしまったようだ。
こう見えても彼女は意外と洞察力が高い。
ディアが何の事件を追っていたかを察してしまったのだろう。
「私も行きます、あの人が逃げ出した以上……私には護衛が必要なはずです」
「いいのかい、僕はワーカーだ。 僕の行くところは決して安全が約束されているとは限らない、むしろ君を危険な目に逢わせてしまう事も」
「構いません、危険は承知ですから。 このまま私を連れて行ってください」
心なしかどこかエリーに焦りが見えていた。
西区へ行かなければならない理由があるのか?
それとも単純に偽者のレッド・プリズナーが逃げ出した事により動揺しているのか。
恐らく後者であるが、それだったらギルドに保護してもらった方がよほど安全だ。
しかし、彼女はそれを拒んだ。
「……状況が状況だ、仕方ないね」
あまり気が乗らなかったが、ディアはエリーと共に行動する事となった。
少女の意図はわからないが、少なくともあの少女はディアが何の事件を追っているのか知っている。
事件と無関係と思っていたレッド・プリズナーの襲撃。
もしかしたら、何処かで毒ガス事件と繋がっている可能性が高い。
ネイルの言う通り、ディアが追っている事件は想像以上に根が深い事件なのだろうと改めて思い知らせた。




