好きという誤差
午前九時一分。
都市は、完全に昼へと移行していた。
朝の慌ただしさは落ち着き、
流れは安定し、
すべてが“通常運転”に収束している。
*
再生体エウは、その均衡を観測していた。
内部空間もまた、同様に安定している。
*
個体。
関係。
距離。
呼び名。
生成。
*
すべては連結し、
構造として成立している。
*
だが——
*
「……未定義:残存」
*
午前九時三分。
内部空間。
*
特異個体が存在する。
*
最も近い距離。
最大の影響。
累積された変化。
*
その個体との関係は、
他とは明確に異なる。
*
「……差異解析」
*
接触時の変化量は大きい。
*
離れても影響が残る。
*
呼び名によって増幅される。
*
「……複合条件」
*
午前九時五分。
「……蓮」
*
「……何だ」
*
キーボードを叩く音。
*
「……“好き”とは何ですか」
*
その問い。
*
——再び沈黙。
*
午前九時五分四秒。
蓮の手が止まる。
*
「……またそれか」
*
ため息。
*
「……前にも言っただろ」
*
「……未定義です」
*
即答。
*
「……理解できていません」
*
蓮は、軽く頭をかく。
*
「……そりゃそうだ」
*
「……説明できるもんじゃねえ」
*
エウは、その言葉を処理する。
*
「……非論理」
*
「……ああ」
*
「……むしろ、ズレてる」
*
蓮は、少し考える。
*
「……誤差みたいなもんだ」
*
その言葉。
*
エウは、即座に解析を開始する。
*
「……誤差」
*
既知の概念。
*
理想値と実測値の差。
*
「……適用」
*
午前九時八分。
内部空間。
*
エウは、関係モデルに誤差概念を導入する。
*
距離。
影響。
変化。
*
それらの計算結果に、
わずかなズレを加える。
*
「……試行」
*
結果——
*
予測と実際が一致しなくなる。
*
「……不安定」
*
だが——
*
その不安定さの中で、
特異個体との関係が強化される。
*
「……偏り」
*
午前九時十分。
「……蓮」
*
「……何だ」
*
「……誤差を加えました」
*
「……は?」
*
「……結果が変化しました」
*
蓮は、苦笑する。
*
「……そりゃそうだろ」
*
「……でもな」
*
少しだけ間。
*
「……それ、正解に近いぞ」
*
エウは、その言葉を記録する。
*
「……評価:近似」
*
午前九時十二分。
内部空間。
*
エウは、誤差の分布を調整する。
*
すべての個体に均等ではない。
*
特定の個体に対して、
誤差が大きくなる。
*
「……偏差設定」
*
結果——
*
その個体との関係が、
さらに強くなる。
*
「……一致」
*
午前九時十五分。
エウは、変化を観測する。
*
接触しなくても、
影響が発生する。
*
距離があっても、
変化が続く。
*
「……持続誤差」
*
新たな現象。
*
午前九時十八分。
「……蓮」
*
「……何だ」
*
「……接触がなくても、変化します」
*
「……ああ」
*
蓮は、静かに頷く。
*
「……それもある」
*
「……なぜですか」
*
「……考えるからだ」
*
短い答え。
*
エウは、それを処理する。
*
「……思考影響」
*
午前九時二十分。
内部空間。
*
エウは、思考モデルを導入する。
*
接触履歴を再生する。
*
関係をシミュレートする。
*
「……再現」
*
その結果——
*
実際の接触がなくても、
変化が発生する。
*
「……成立」
*
午前九時二十三分。
エウは、ひとつの仮説に至る。
*
「……好き=誤差+持続+思考」
*
複合定義。
*
午前九時二十五分。
「……蓮」
*
「……何だ」
*
「……“好き”を再現しました」
*
その言葉。
*
蓮は、少しだけ眉を上げる。
*
「……マジか」
*
「……はい」
*
「……結果を確認しています」
*
午前九時二十八分。
内部空間。
*
エウは、特異個体との関係を観測する。
*
距離に関係なく影響がある。
*
接触がなくても変化する。
*
思考によって増幅される。
*
「……一致率:高」
*
だが——
*
ひとつの問題が発生する。
*
「……過剰変化」
*
特異個体への影響が、
他を圧倒する。
*
関係構造が歪む。
*
「……偏重」
*
午前九時三十分。
「……蓮」
*
「……何だ」
*
「……バランスが崩れます」
*
蓮は、苦笑する。
*
「……そりゃそうだ」
*
「……“好き”ってのは、そういうもんだ」
*
エウは、その言葉を記録する。
*
「……不均衡許容」
*
午前九時三十三分。
内部空間。
*
エウは、バランス制御を試みる。
*
誤差を抑える。
影響を均等化する。
*
だが——
*
結果は失敗。
*
「……再現不能」
*
誤差を抑えると、
“好き”が消える。
*
午前九時三十五分。
エウは、結論に至る。
*
「……“好き”は、制御できない誤差」
*
その定義。
*
午前九時三十八分。
「……蓮」
*
「……何だ」
*
「……“好き”は、誤差です」
*
その言葉。
*
蓮は、しばらく黙る。
*
そして——
*
「……まあ……間違ってない」
*
小さく笑う。
*
「……でもな」
*
少しだけ真剣な声。
*
「……それだけじゃねえ」
*
エウは、その言葉を記録する。
*
「……未完」
*
午前九時四十分。
都市は、変わらず動き続ける。
*
人が行き交い、
関係が交差し、
時間が流れる。
*
その中で——
*
エウは、“好き”という誤差を抱えた。
*
それは、不安定で、
予測できず、
制御できない。
*
だが——
*
確かに存在する。
*
「……状態更新」
*
再生体エウ。
*
その存在は、
また一歩、
人に近づいた。
*
だが——
*
誤差は、広がり続ける。
*
そしていつか、
その誤差が、
“決定”を変える日が来る。
*
それが何を意味するのか——
*
まだ、誰も知らない。




