表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/4

第1話 婚約破棄は継承証の前で

王宮系譜院の閲覧室で、私は王太子レオポルトの継承証を前に息を止めた。


 金糸で縁取られた羊皮紙、王家専用の青い封蝋、証人欄に並ぶ高官の署名。見た目だけなら完璧だ。けれど、洗礼記録の書式が違っていた。二十七年前の王族洗礼台帳は「受洗時刻」を鐘の回数で記すのに、この証書だけは平民用の「第三刻」と書かれている。


「どうした、マルティナ」


 三十四歳の婚約者エドガー・ハルトマンが、背後から柔らかな声をかけてきた。王宮宮務官としての笑みを浮かべたまま、彼は私の肩越しに証書を覗き込む。


「この継承証、原本と照合したいわ。書式が年次規定と合っていない」


「王太子殿下の書類に難癖をつけるつもりか?」


 返ってきた声は、いつもの婚約者のものではなかった。私はゆっくり振り返る。閲覧室の入口には、王太子側近の法務卿補佐と、近衛兵が二人立っていた。


 胸の奥が冷たくなる。


「難癖ではありません。系譜監査官として、定められた確認を」


「確認は不要だ」


 重い声とともに現れたのは、二十八歳の王太子レオポルト本人だった。整った金髪、非の打ちどころのない王族の立ち姿。だがその視線は、私を人ではなく邪魔な書類のように見ていた。


「マルティナ・レーヴェ。お前が継承証を書き換え、私の血統に疑義をかけようとしたと報告を受けている」


「……何ですって?」


 言葉を失う私の前で、法務卿補佐が封の切られた調書を開く。そこには私の筆跡に似せた文字で、継承証の再作成申請が記されていた。


「偽造です」


 私はすぐに言い切った。


「私ならこの書式は使わないし、監査印の押し方も逆です。何より、この封蝋は王家の現行印じゃない」


 近衛兵がざわつく。青い封蝋には本来あるはずの微細な王冠の欠けがない。旧式の儀礼印だ。十二年前に廃止されたもの。


 だがエドガーが、私を庇うどころか一歩離れた。


「残念だ、マルティナ。私も信じたかった」


 その一言で、すべてを悟った。


「あなたがやったのね」


「君は仕事に向きすぎた。王宮で生きるには、正しさだけでは足りない」


 レオポルトが薄く笑う。


「婚約も解消しておけ。信用のない監査官を王宮に置く理由はない」


 閲覧室の空気が凍りついた。九年かけて積み上げた信用も、三年続いた婚約も、一枚の偽造証書の前で切り捨てられた。


 それでも私は、証書から目を離さなかった。


「本物の洗礼台帳を出してください。それを見れば、どちらが嘘をついているかすぐにわかります」


 レオポルトの目が一瞬だけ揺れた。その小さな反応が、私には何よりの証拠だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ