ウィリアム・リルコット
この世で一番の美男子はといえば、真っ先に名が上がるのはウィリアム・リルコットだろう。
この国で一番賢い者はと聞かれれば、これもまたウィリアム・リルコットの名が浮かぶだろう。
そんな、才色兼備にあふれるウィリアム・リルコットに、唯一ないものはというと、
――そう、“運”である。
彼は、とにかく運が悪い。
ウィリアムが生まれた日は酷い嵐だったという。リルコット夫人が息んでいた部屋のちょうど真上の屋根がめくれ、雨風にさらされながら彼は生まれ落ちた。
幸いなことに、ウィリアムもリルコット夫人も命に別状はなく、出産に立ち会ったリルコット伯爵も、雨風に濡れながら安堵した。その後、少しだけ風邪を召されたという。
それからも、彼の運の悪さは続いたというが、極めつけは、彼の領地が豪雨と大地震に洪水に干ばつと立て続けに見舞われたことである。
これにより、リルコット伯爵家は困窮し、あわや爵位を返上するか、ウィリアムを大貴族の未亡人に召し上げるかという自体に陥った。
しかし、リルコット家は建国時から存在する、数少ない古い貴族。これが途絶えるのは国の威信に関わるということで、財力を誇るヘルデ伯爵――じゃなかった、アルディーヌ伯爵家に白羽の矢が当たった。
そして私、アルディーヌ伯爵令嬢たるアイリス・ヘルデが、ウィリアム・リルコットの婚約者となったのである。
「ああ、お可哀想なウィリアムさま。お金のために、お前みたいな娘と結婚しなければならないなんて」
口元を扇子で隠し、柳眉をひそめて私を見下ろすのは、確か、中位の伯爵令嬢だ。アルディーヌは上位と格上ではあるが、ウィリアムと婚約を結ぶまでは下位にいた。
ホームルーム終わりに日誌を提出し、裏庭に敷かれた渡り廊下を歩いていると、すれ違いざまに声をかけられたのである。
深い楓蜜色の髪を複雑に結い、繊細なアンティークの髪飾りが控えめに揺れている。あれは、ガーネットかな。赤が深くて、きらきらしていて、すごく綺麗。
「聞いているの?」
紅茶色の瞳に睨まれ、ハッとする。
「あ、ええ、ごめんなさい……」
まさか返答を求められてるとは思わず、とは言えない私は、少し困ったように微笑んだ。なんて答えればいいんだ。
可哀想。確かに可哀想かもしれない。リルコットの領地で不幸な災害さえ続かなければ、もっといい人と――彼の地位と容器をもってすれば他国のお姫さまとだって――婚約できただろうに。
とはいえ、私にどうこう言ったところでって感じなんだけど。
だって貴族だもの。お家のための婚約なんて、珍しくもなんともない。
「可哀想だなんてとんでもない」
答えあぐねていると、甘いミルクティーのような声が割り込んでくる。口を閉ざして振り返ると、そこには何故か全身びしょ濡れのウィリアムさまが。
髪や袖からはぽたぽたと雫が落ち、濡れた制服のシャツが体に張り付いているのがわかる。うーん、すごい色気。
「ウィ、ウィリアムさま!?」
突然現れた色気ムンムンのウィリアムに、伯爵令嬢は顔を赤く染め、それから青ざめた。なんて器用な。
「アルディーヌ伯爵が我が家を助けてくれなければ、俺は今頃どうなっていたことか」
美しい顔に憂いを浮かべる彼は、いっそ投獄してしまえと思うほど色気が増す。アイリスはもう色々と慣れていたが、耐性のないご令嬢には刺激が強すぎたようで気絶しかけている。可哀想に。
とはいえ、王家からの命とはいえ、リルコット家への援助をしなければ、今頃彼は何処ぞの変態に売られていたかもしれないのだ。
「しっ……、しっ……」
「……しっ?」
ウィリアムさまがその端正な顔を傾けた瞬間、伯爵令嬢はハンカチで顔をおさえて駆け出した。
「しちゅっ……失礼しま……しまひっ……っ!」
動揺の余り言葉になっていないが、訂正する余裕もないようで、一目散に駆け抜けていってしまった。
その後ろ姿を不思議そうに見つめるウィリアムさま。ああ、なんて罪深き美貌。私は思わず息を吐く。
「ウィリアムさま、なぜそんなに濡れているのですか?」
「ああ、これ?」
ウィリアムさまは濡れた髪をかきあげながら、苦笑する。どうしてこの人は、仕草一つ一つが色っぽいのか。貴族らしいゆったりとした動きが、無駄に色っぽく感じさせるのかもしれない。
「中庭を歩いていたら、庭師がまいていた水をかぶってしまって」
ああ、なんて不運。
私は、こんなこともあろうかといつも持ち歩いているタオルを鞄から出して、頭から拭いてやる。前に手渡そうとして、何度かカラスにひったくられてから、こうして拭いてやるようになったのだ。
ウィリアムさまも、拭きやすいように頭を下げてくれる。伏せられたまつ毛は、まるで水晶のように輝いていた。通った鼻筋も、薄い唇も、直線的な頬も、まるで神様が丹精込めて作った作品のようだ。
こんなに美しい人が自分の婚約者になるなんて、つくづく運命とは不思議で、残酷なものだなと思う。
「職員室に用でもありましたか?」
こんなびしょ濡れの状態で行ったら、きっと先生達を驚かせてしまうだろう。それとも、ああまたかと呆れるかもしれない。
もし用があるなら代わりに行ってあげようと思っていると、伏せがちだった目が私を見た。宝石商でも容易には手に入らないだろう美しい瞳が至近距離で私を見て、柔らかく笑む。
私は、思わず息を止めた。
うっ……、うっ……、美しい……!
「君を迎えに来たんだ。アイリス、一緒に帰ろう」
「え、ええ……」
息も絶え絶えに頷く。
この人は、これを全部計算でやっているのだろうか。それとも天然? 前者ならタチが悪いし、後者なら末恐ろしいわ……。
「でもその前に、保健室で着替えましょう。そのままだと風邪を引いてしまいます」
あと、目に毒なので。と心の中で続けるも、そんなことは露知らないウィリアムさまはこくりと頷いた。
「ああ……。それに、馬車を汚してしまうね」
歩いてきた渡り廊下をウィリアムさまと共に戻り、乾いた制服に着替えた彼と共にロータリーへ向かう。
そこへ行くまでに豪奢な噴水と美しい庭の間を通るのだが、なんだか嫌な予感がしたため、鞄に入れていた少し大きめの日傘を差す。
傘を庭の方へ傾けながら歩いていると……案の定、ザーッと細かな水が勢いよく傘にかかった。
「あっ、……も、申し訳ございません!」
傘を下げると、可哀想なほど真っ白な顔をした庭師の姿があった。アイリスは安心させるようににっこり笑う。
「お気になさらず」
そう言いながら、反射的に傘を噴水側へ向けた。次の瞬間、手に感じる確かな重み。次いで、「キャーッ!」と悲鳴があがる。
「噴水が暴走しているぞ!」
どういうわけか、魔晶石でできた噴水が大暴走して、あちこちに水を噴射しているらしい。
警備員やら教師やらがわらわらと集まってくる。ウィリアムさまがこの場を去れば、ある程度状況は落ち着くだろうと、私は彼の腕を引いてそそくさとその場を去った。




