2ー6・平らな世界
事前にエクエスから聞かされていた通り、ゲートをくぐっての、その領域間での移動は、それこそ、本当は何もなかったかのように、一瞬で済んだ。
しかし、何もなかったということがありえないことは明らかだった。〈ジオ〉ではない、 別の宇宙。別の宇宙だと定義できる領域に自分たちがやってきたことは、船に乗っていた4人共、すぐに自覚できた。
周囲の光学的情報を可視化したモニターを見ればいい。 それだけで明らかだったから。
それは信じられない光景にも思えた。〈ジオ〉の領域であるなら、視界が開けている限り、必ずどこかに確認できるものが、どこにも確認できない世界がそこにはあった。
暗闇がないようだったのだ。より厳密に言うなら、人に認識できないレベルでの低エネルギー環境が見られない。それはエネルギーがかなり平らな宇宙空間だった。
単純に視覚的に表現するなら、そこは大なり小なり、空間に配置されているすべてが光を放っている領域。
「暗闇にまで色が塗られてる世界みたいだ」
ミーケはそう表現した。
それは言い得て妙だろう。
確かにそれは、いろいろな、ただし薄い色ばかりで、宇宙の暗闇部分を塗りたくったようだった。
「でも、これは規則性があるね、生物か、あるいは工学的産物かも」
最初に、スブレットがそうだと気づく。
「みたいですね、局所的な質量がないわけではなさそうです。完全に平らな世界でもないようですね」
目視で推測したスブレットとは違い、コンピューターによる解析でそれを完全に明らかにしたザラ。
「ですけど、凄い、多分どこまでもですね。ここは均衡状態の場と見て間違いなさそうです」
ザラは自分で、それが信じられないことであるかのように驚いていた。
「どこまでもみたいなの? そんなに広すぎるの?」とミーケ。
「ですね。そう考えるのが妥当なくらいに」
まだ驚きを抑えられない様子で、まるで自分に言い聞かせてるようだったザラ。
実際、物理的均衡状態だと言えるような場は、そのスケールを大きくするほど安定を失っていく。確認できるその場がひたすらに大きければ大きいほど、宇宙空間全てがその状態である可能性も高まっていく。
「すでにサーチシステムが捉えてるこの場のスケールは、一個の銀河フィラメント級ですよ。ここが1つの領域だとするなら、これほど大規模での均衡状態を安定させるパターンなんて、やはりひとつしかないでしょう。つまりどこも、この状態ということです」
「どこもって、その、均衡状態が?」
ルカが聞く。
「あるいは、そっちの方がちょっと考えにくいような気もするのですが、この領域の大きさが、〈ジオ〉よりも遥かに大きいか」
しかし考えにくいと言っても、別にザラも根拠とかはなかった。
宇宙の各領域の大きさが、それぞれどのようになっているのかということに関しては、信頼できるシュミレーションの結果などもない。そのために最も必要な情報が〈ジオ〉にはないから。おそらく全領域にないものだろう。神々も知らなかったことだろうし、《虚無を歩く者》すら知らないことに違いない。
つまり、この唯一の宇宙の、本当の始まりの時の情報。
「ですが、これはおそらく、あくまでこの世界が生命体の世界であったことの名残ですね」
そしてザラは、五角形の各辺に三角をつけたような、いわゆる五芒星形の巨大物質が繋がりあった網のようになっていて、さらにその間の各隙間内で、ある程度一定のエネルギーがひたすらループしているような、そういう構造のイメージを表示させた。
「これはこの領域の部分的な3次元投影イメージですけど、網のようになっている構造体は多分生物ですよ。我々の言葉で言うなら、植物と言った方が近いかもですが」
"世界樹"の基準においては、植物は、いくつかの特殊な条件下での自律的行動をシステムとして有しない生物のこと。また、それ以外の生物はヒトも含めて、基本的に動物と定義されている。
「これが生物なら、棘皮動物のヒトデに似てる」
そう言ってミーケは、[非ヒト動物の研究] という本の134ページに描かれている、そのヒトデなる生物のイメージを、構造体イメージの隣に表示させる。
確かにそれらは、見ため的にはよく似ていた。
「わたしも、この動物のことは知らないのですけど、何か少しでも関係ありそうではありますか?」
ザラは非ヒト生物学に関しては完全な素人である。
「うん、このヒトデってどういう生物なの?」
スブレットもそれは同じ。
「見た目以外は何もかも謎。ただ、この生物が存在した時代には、天使生命体と呼ばれてた種の1つだったそうだから、宗教的に重要視されてた時期があるんだと思う」
今は通常、自然下で発生することはないとされているヒト型以外の生物も、かつて、つまり水が失われてしまう前の時代には、普通に発生していたという説がある。
説というか、『水文学会』のレコード記録にもあったように、それは真実なのであろう。
「天使生命体は、脊椎動物の名称だったって説もあるんだけど、エクエスによると可能性は低いみたい」
それもなぜかは不明だが、大災害前のジオ族、というか人には、脊椎という生態構造部品に対する妙な信仰心があって、その情報の保存は優先されていたようなのである。そういう事情だから、現在に生物構造としてのそれの情報が完全に残っていないということは、つまり脊椎を持たない動物、非脊椎動物の可能性が高いと、エクエスは考えている訳である。
「『水文学会』の研究記録からして、〈ワートグゥ〉は『フローデル』の時代には、普通に知的生命体の領域だったはず。普通に考えるなら、今のこの状態は大災害の影響ということは間違いないでしょうね」
〈ワートグゥ〉。この領域は、水が失われた時、おそらくは〈ジオ〉とは違い、それに対する対策を立てていなかったか、間に合わなかった。おそらくは水が失われた事自体よりも、その時に発生した全ての物質への(おそらく神々の敵の敵の誰かが起こした)意図的な大規模変異が、わずかな痕跡だけを残して、その生命体世界を消してしまった。そしてその残された痕跡が、長い時間をかけて領域全てを埋めつくした。というようにザラも推測した。
「ようするにさ、水を消した大災害の影響で、ここは見た目が変わらない光景がひたすら続くだけみたいな領域になっちゃった?」
そういうふうに理解はできたが、なぜそうなるのかに関してはまるで想像が追いつかなかったルカ。
「完全に平らではないけど平らっぽい。もしかして重力が弱くなったとか?」と一応、彼なりに推測もしてみる。
重力。物質同士がその質量に応じて引き付けあう力。
「そういうわけでもありませんよ。少なくとも、無造作に分子構造体がばらけるのを防い」
言葉を止めたザラだけでなく、全員が息を呑んだ。
サーチシステムが新たに、均衡状態の中における、明らかな異質を捉えたのである。即座に、ミーケの本のヒトデのさらに横に表示されたそのイメージは、どう見ても知的生命体が作ったのであろう、いくつもの人工惑星がかなり密集した星系であった。
「それからじゃないですね。いえ、それからなのですけど、正確にはそれを通した別の何かからのようです」
もうスペースもなくなってきていたので、自分が表示させた領域構造と、ミーケが表示させたヒトデは消して、煙に包まれているようなミズガラクタ号のイメージを表示させたザラ。
「これ、いったい?」
ルカがすぐ聞く。
「ちょっと特殊なエネルギー場だけど、これは」
「コントロールが荒いね。大した文明ではないのかも」
ミーケやスブレットはすぐにそういう印象を持った。
「どうも招待状です、多分捕獲のつもりでしょうが。あの人工星系に強制転移させるつもりのようです」
ザラも同じ。
コンピューター解析によって、その空間転移に関する何もかも、簡単に予測もできた。
「どうする? 逃げるなら、簡単に逃げれるけど」とスブレット。
「いえ、ここは素直に誘いを受けましょう。いったいどなたさんか気になりますしね。いいですか?」
ザラの言葉に、ミーケもルカもすぐ頷いた。
ーー
その誘いをかけた宇宙船の1室。
「確かに未知の素材だね。でもやっぱり〈ネーデ〉でも〈ロキリナ〉でもないと思う。結局これも〈ジオ〉の可能性が高いよ。特有の遊び心も見られるし」
黒いローブのような服を着た、見た目的には人の少年であるような何者かが、巨大イカのような何者かにそう伝えた。
それは、「波動域が違う」とも表現される、つまりはジオ族が基本的に利用しない音により、まず普通には聞くことすら不可能である声。もちろん聞こえたところで、〈ジオ〉では全く知られていない言語を使っているため、理解は容易ではないだろう。
そして人の方はアミアルン、イカの方はエルディクという名前を持つ。
アミアルンはキルル族、エルディクはケロウ族という、どちらも〈ネーデ〉という領域の生物種である。
「ジオ系の未知の宇宙船。このまますんなり捕らえれたとして、本当にそれでいいだろうか」
「大丈夫だとは思う。多分逃げも攻撃もしてこないのは、目的が単に好奇心だからだ。そう考えるのが一番説明がつくよ」
表情にこそそういうものが現れないが、声の微妙な変化は、エルディクが怯えていること、アミアルンはそれほどでもないことを示していた。




