2ー2・停滞の終わり
ミラの神々に関する研究をザラに託した後。
その体をずいぶん老化させていたエルクスは、自らを修復しようとはせず、行き先も告げずに、去ってしまった。
ザラは、その気ですぐに探せば、彼を見つけることもできたろうが、そうしようとはしなかった。
なんとなく彼の気持ちはわかっていたから。
エルクス、彼はザラの母ミラの事が、本当に好きだったのだろう。それこそミーケが言うような、恋愛とか興味の対象とか、そういう次元じゃなくて、ただ好きだったのだろう。
だから彼は、ミラの、おそらくは最後の願いを聞いて、いや聞いてなくても知っていて、それを叶えてやろうとした。
つまり、彼女が望んでいたように、その研究を受け継ぐにふさわしい者に、自分が持っているだけの情報を持ってきたのだった。
だが、彼にとってそれは複雑なことでもあった。他の誰よりもミラを尊敬して、ひたすらに彼女を信じ続けていたのに、結局自分は、おそらくは何の役にも立てないと理解できていた。
ザラにはわかっている。
母と同じだ。エルクス、彼も、例え頭の固いわからず屋たちにどう思われていようと、立派な科学者だったのだ。立派な科学者としての誇りを持っていたのだ。だから彼は、自ら姿を消すことに決めたわけである。
"世界樹"にとってではない。おそらくはこの宇宙に生きているあらゆる生物にとって、最も重要なこの研究において、足手まといになるなんてごめんだから。
「まあプライドだよね。わたしも、それが付属してるベクトルは違うだろうけど、わからないでもないわ。それになんだかんだザラだって、お母さんの研究に意味な、じゃなくて、えっと」
「いえ、気を使わなくて結構ですよ。実際その通り、私も母の研究にかなり懐疑的だったわけですから。だからきっとエルクスも複雑だったと思います。結局は母を信じきれてなかった私に研究を託さなければならなかったこと」
元はザラの個人研究所であった人工惑星《アミデラス》の内部の一室。
エルクスに関して話をしながらも、震えながら微妙に回転している球体を、注意深く観察していたザラとスブレット。
球体は真っ白だが、所々に汚れみたいな濃い色がついている。また、もしその内部が空洞だったとするなら、見ていた少女2人が、なんとかそろって内部に入れるだろうくらいには大きい。
「まあ、でもさ。足手まといはちょっと大げさじゃないかな。も~しかしてさ、ザラ、ちょっとばかし威圧感とかあったんじゃない? その頃はまだお姫様気分が抜けてなかったためにさ。それでエルクスさんも、なくさなくてもいい自信まで失くしちゃったとか」
「いや、お姫様気分が抜けてないために威圧感強いって、意味わからないのですけど。だいたいそうだとして、なぜそれで彼の自信がなくなるわけですか?」
「いや、だからさ、無意識にきついこと言っちゃったりとかさ」
「ないですというか、あったとして、わたしなんかに何か言われたくらいで傷つくような、弱い心の持ち主ではありませんよ。あの人は」
そこまで言ったところで、球体に手を伸ばしたザラ。
別に適当だったりはせず、手の平に表示させていたデータを参考にしたタイミング。そして球体に触れるや、少しばかりさするような動作。
球体内部には水があって、様々なパターンの圧力が加えられている。ザラは、その変化具合を確かめていたわけであるが、少しずつの変化が、ある程度ループ状態に陥ってきたので、それを解消するための大きな変化を加えたわけである。
「システム」
ザラとは違い、スブレットは球体内部の水のデータを確認していたわけではない。ただ彼女も、すぐ目の前に小さなモニターを表示させて、また別のデータを確認した。
「問題なし」
その研究のための球体装置の開発者であるスブレットは、変化パターンの急な切り替えにより、発生するかもしれない問題にすぐ対応できるよう、ザラについて来ていたのである。
「標準予測じゃ、次の切り替え推奨タイミングは、8日と13時間後だね」
スブレットが確認した標準予測は、球体装置に備え付けられている専用多機能計算機が、現在の球体内部状況から算出したもの。
水は、現在この(少なくともジオ族の)宇宙において、特異なコントロールなしには、どうしようもなく不安定なpパターン物質の1つ。しかしその中では、構成がかなり単純な方ではあるので、まだ予測計算などは容易なほうである。
むしろ問題は、それを長時間観察できるような環境を、無理やりに用意するためのコントロールの難しさだ。スブレットは少し前に、ザラの要望を受け、見事な水安定装置を設計、開発したのだが、それでも少しの操作ミスで、コントロールシステム自体が、大きなダメージを受けてしまうことがありうる。
もっとも今回のように、自身の装置を知り尽くしているスブレットが近くにいさえすれば、多少のミスが発生したとしても、取り返しがつかなくなる前にそれなりの対処は出来る。
「それにしても、なんか意外、でもないのかな」
「何がですか?」
「あなたはさ、多分ミラさんと同じくらいに、そのエルクスさんて人も尊敬してるんだなあって」
そんな印象をスブレットは受けていた。
「それはもちろんですよ。わたしたちが一緒に過ごした時間は少しだったし、わたしはあの人から何か直接的に教えを受けたわけではありません。ですけど、それでもあの人は、今もわたしの大先生です」
それはザラの、素直な気持ちだった。
「それなら、さ」
笑みを浮かべるスブレット。
「今のわたしたちの活躍の話、届いてるといいね。どこかで隠居してるんだろう、その大先生に」
「ですね。そうだと、わたしは嬉しいです」
ザラも、笑みを返した。
かつて存在した、宇宙のさまざまな領域を跨ぐことができたと考えられる、それ自体も謎の生命体である神々を滅ぼした、恐ろしき敵、《虚無を歩く者》。ミラが始めたそれに関する研究は、彼女の生前は、くだらない妄想としてバカにされていた。しかし今や、その研究の重要性は、"世界樹"という銀河フィラメント全体で、しっかりと認識されている。
実際にこの領域の、ザラたちの前に現れた《虚無を歩く者》を、ザラたちの頼れる仲間である規格外軍人少女リーザが、一時的にではあろうが、見事返り討ちにしてから1年ほどが経っていた。
その後は、全ての生物にとって重要であろう研究のために、各国ごとの枠を越えて一致団結した"世界樹"。ザラたちは今も、その最前線にいる。
「取り込み中? 大丈夫?」と、その場に姿を見せたミーケ。
「全然大丈夫、てか、かなりちょうどいい感じだよ、ミーケ」
すぐにそう言ったスブレット。
「ですね。普通の流れなら、これからあなたを呼ぼうって話になるとこだったと思います」
ザラもそんなふうに言う。
「どういうこと?」
「こういうことです」
そしてザラは、先ほど切り替えたばかりの水の変化パターンの、今得られるだけのデータを、ミーケが指につけていた、指輪型コンピューターへと送った。
「あ、切り替えしたのか」
だいたい8ヶ月ぐらい前からだ。
ミーケは、とにかく時間ができるたび、その指輪型コンピューターのメモリーに、水に関連する様々な本の情報を記録してきた。
そして、水に関する研究はこれまでも普通に行われてきたし、特別に安定状態にされたそれの変化の観察も、別にミーケらが初めてというわけではない。
観察するパターンが新しいものに変わった時。すでに既存の記録に、同じ場合のが見られるかをチェックするのは、書物による情報収集と管理を担うミーケの役割であった。
「ダブりなし。今まで収集してきた書物の中にはね」
やはりスブレットが、その情報回路から設計した指輪コンピューターの計算能力をもってすれば、その照合も、ほとんど一瞬である。
「で、ミーケ、別に気まぐれでここに来たってわけじゃないよね? 何かあった?」
スブレットが聞く。
「あったっぽいんだけど、わかんなくてさ。ほら、《アズテア》の王族暗号」
通信波の遮断されているその部屋以外にはしっかり届いていた、ザラの従姉シェアラからの暗号メッセージ。それをミーケは、もちろん自分とは違って読めるであろうザラの前に表示させた。
「あまり期待してなかったことですけど、しかしこうなった以上は急ぎですね」
「何の話なの?」
ミーケと同じく、それがさっぱり読めないスブレット。
「あのですね」
それは、地道に水に関するデータを蓄積するぐらいしか、することもなくなっていた状況でもたらされた、新たな大きな手がかりだった。
「ようするに追跡分析に成功しました。この領域において、《虚無を歩く者》が使ったルートの」




