5ー2・小錬金術師(エディアカラ生物1)
ルセンにとっては単純な構造だった。
典型的な地と水の惑星だ、これは……
ルセンは、この唯一の宇宙で、最初の知的文明が生まれた小宇宙とも呼ばれる領域、〈アルヘン〉で生まれた。
そこからどれほど遠くへ来たのか。たどり着いたこの宇宙|(?)は、似ていると思う。大量の水素分子、局所的な星系、それにただ1つ、孤立している生物の惑星。
ここは〈アルヘン〉と似ている。
ただし、この宇宙には知的文明がおそらくない。これは単に、典型的な宇宙の初期状態なのかもしれない。知的生物のテクノロジーによる変化が見られない自然の状態。
それでもここは、未来においても〈アルヘン〉の宇宙に似る可能性は高い。ここには神々がいるようだから。つまり、ここは自然的生物が勝手に生まれる宇宙でも、知的生物の影響によって知的生物が生まれる宇宙でもなく、偶然に発生したテクノロジー機械の影響下での知的生物が生まれる宇宙になりうる。
このような宇宙のパターンは珍しくても、宇宙そのものの数が多いから、結局のところはいくつもある。ただしここの神々は、単なる自動機械ではなく、普通に知性を有しているようだ。これは本当に珍しいのだと思う、おそらく〈アルヘン〉と、この宇宙くらい。
だが、その機械仕掛けの神様は、いったい何を考えていらっしゃるのか。
アルヘン宇宙の場合、神々は創造神というより、未熟な動物たちを導く天使たちだった(後から考えると、このような発想は興味深い。ルセンは明らかに、人間以前から人間的だった)。だがあちらに比べると、(確か古アルヘン言葉で「悪戯っ子」という意味であるリリエンデラと呼ばれていた)こっちの神々は奇妙に思えた。
機械たちは、この宇宙をループさせているみたいだった。それだけだと、あまりに単純化した捉え方だろうが。ただ、それが神々と同じような存在であるならば、この宇宙にその機械のモデルは存在していない。別の宇宙のことを理解できないものには、その全てのシステムを理解することもできないはず。
だから表面的なものでいい。結局それ以外は大して重要でないことが多い。その神は、部分的に相互作用する系全体に、微妙な調整をかけ続けて、可能な限り最も最小のスケール以上の全ての構造を、組み立てては壊しているかのようだ。もしかしたら、完全に独立した宇宙を造りがっているのかもしれない。
結局総体の宇宙は1つしかないのに。つまり、ただ1つ存在している宇宙から、別の宇宙なんて絶対に生まれないものなのに。
ぼくは、間違ってる? 正しい?
ところで、ぼくがここへ来たのは……
ルセンは、アルヘン生物。後に〈ジオ〉と呼ばれることになる宇宙にいつ来たのかは、自身もわからない。だが、0.3メートルくらいのドーナツのような形だったこの生物には、唯一の宇宙で最も長きにわたり繁栄した知的文明の知恵があった。
ルセンが最初に目覚めた時、後に地球と呼ばれるようになる惑星で発生した生物群、少なくとも、確実に心層空間と関係する生物は、まだ陸には現れてなかった。
心層空間の説明が必要?
それは知的生物の多くが、精神と呼んでいるものの原因だ。これは物質的なものでも、非物質的なものとも、容易に定義できる。この世界、真の意味での全てを含むこの世界には、そもそもそのような心層空間のための層がいくつもあって、ある知的生物がある層において、固有の感覚でそれをシミュレーション(つまりそれを認識)する時、変幻自在なその興味深い空間は、ある時は物質、ある時は非物質というわけだ。
そういう意味で、昔、学者たちが、非物質である《虚無を歩く者》との通信のために、心層空間を直接的にコントロールをする方法を集めたのは理にかなっていた。
そんなこと、色々と考えていて、ルセンは思い出す。
そうだった。《虚無を歩く者》、アルヘン宇宙はその、外部からの侵略者との戦いで疲弊してしまった。
また、あの生物の究極の知的存在である、宇宙機械のエルレード生物は、ぼくらの神々も〈アルヘン〉も、戦いのための死は避けられないと教えてくれた。
ルセンは、アルヘン生物が、敵である《虚無を歩く者》に対して仕掛けた計画の1つ、錬金術師の開発に関わっていた。
そもそも《虚無を歩く者》は、本当の世界の全体の中で、宇宙の生物とは異なる方法で、物質のコントロール領域にアクセスしてきていた。生物が物質を意図的に操作する術は心層空間しかない(意図的なコントロールは、直接的にせよ、間接的にせよ、心層空間を介したパターンしか、これまでに知られていない。だからこそ機械は生物ではなく、生物は必ず精神を持つのである。ところで神々の存在は、実用的にはそんなもの(精神)がまったく必要ないことの非常に強力な証拠だ)。
錬金術は、心層空間の機械化テクの1つで、ようするに心で物質を操作できる、ある種のサイボーグ生物の技。スフィア粒子という、つまり神々のモデル生物|(それがこの宇宙において、今も過去にも、多分未来のどこにも存在していない生物であることは、世界の驚異の1つだ)の構成要素の再現機械を利用する。これ(スフィア粒子と、錬金術)は、《虚無を歩く者》を含む、想定できる全ての実体なきものに対する、数少ない、有効的な攻撃、または防御の方法になりうるから、これを与えることのできる全ての(計画の起点になりうる)宇宙の生物に仕込まれたに違いない。理論上はアルヘン生物と同じ素粒子系に属するのであれば、錬金術のようなスフィア粒子のシステムは開発できる。例えばこの宇宙も、同じ素粒子系。
ずっと後に、少なくともここ(〈ジオ〉)での計画が起動したとしたなら、その時、その計画のために動作するここの生物たちは、その名の由来を自分たちの世界の伝説と推測するかもしれない。だが言語学者曰く、実際はこちらが、計画が機能する場合を想定したシミュレーションにおける世界観に合わせたのだ。
遊び心とかでなく、それも1つの手がかりだ。手がかりは多ければ多いほどいい。どこの誰がそれに気づくにせよ、気づきやすくなるだろうから。たとえ計画を置いたとしても、誰もそれを利用しないのなら意味はないのだ。実際、ほとんどの宇宙でそうなる(つまり用意された計画は全てに無駄になる)だろう、この宇宙でもおそらくそうなる(実際はそうならなかったけれど。つまり最終計画は、この宇宙、〈ジオ〉で始まることになる)
ルセンは自身の心層空間に残っていたものと思われる、全ての記憶を整理してから、さらに深みにはいるため、自身の周囲に直径5メートルくらいの巨大な球体状の、水の殻を造る。これも広義な意味での錬金術による。
ルセンは、ドーナツのような形だが、アルヘン宇宙の惑星《アルヘン》で生まれた時には、違う姿だった。今の感覚的には気持ち悪い。表面がぐにゃぐにゃ歪んでいる球体に大量の触手がはえていた。地球にもそういう生物はいたが、かつての自分の方がより気持ち悪いと思っていた。
とにかく、ルセンは平和な時の平均的なアルヘン生物がそうであったように、満足できるまでいろいろなことを学んだ後は、他の宇宙の研究に没頭した。ただルセンは、少し変わり者で、神々の(存在しないと思われる)宇宙に強い興味を持った。正確にいえば、それに興味を持つこと自体はそれほど珍しくない。だが存在していないものは、シミュレーションに必要な要素1つ1つがあまりにも自由すぎる。この場合の大きな問題は、神々の宇宙の研究は、実質的に架空の物語を想像することと、ほとんど変わらないことだ。
もちろんアルヘン生物も、そこは多くの知的生物と同じように、架空の物語を楽しむことができる。だが現実の世界以上に、想像の世界は情報量の飽和状態だった。そんなものはもう、〈アルヘン〉という生物世界にはとっくに飽きられた遊び。
しかし錬金術は、《虚無を歩く者》が敵だと理解されてからは、最も重要な研究の1つになった。その時にはもうドーナツ型だったルセンは、ある程度以上複雑な生物を、その生物のままで大きく改造する時によくあるように、まずは物理世界で実用的に同じものである機械を開発した。
後に、《虚無を歩く者》と繋がることになった、水の錬金術師アトラに比べれば、その力は興味深いほどの劣化版と言えるが、それでも水の錬金術を疑似的に使用するための装置を、ルセンは自身に埋め込んでいた訳である。
その擬似的な錬金術により、造ったのはただの殻ではない。
それはリリエンデラに、(そいつらにとっては余計な因子であろう)自分の存在を悟らせずに使用できる、同じような類のものの中で、最も優れたもの。最小要素にスフィア粒子を使い、ハードのカバーとして水を使ったコンピューター(計算機械)だ。
このちっぽけな宇宙の中の、ちっぽけな惑星の、ちっぽけなわずかな空間の異常でも、やがてどこかで問題ならないとは限らない。だから、それの物理的外部の表面上は、それが存在しなかった場合を完璧に再現する情報操作にリソースが当てられる。それでも構成内の95%ほどは、ルセンの自由に使える。スフィア粒子系のスケールを考えると、十分に高機能な機械だ。
ルセンはいくつもの気になったことを、それでシミュレーションしてみた。
水の殻コンピューターの周囲に生きる、柔らかな多細胞生物群の誰も、まだそこに生じた異常ポケットには気づけない。そんな知識はない。それを発見できるような機構ももちろんない。
だが、すでに多様性は大きい。脆い生物たちは、ルセンが覚えている全ての宇宙群の、どの生物よりも自然的なものに思える。
リリエンデラはおそらく、生物系自体のコントロールにはそれほど興味がないのだろう。この宇宙を閉鎖系のままにして、滅びと再生のサイクルを演出し続けることに、いったいどんな意味があるのか。意味なんてない、というのが正解だろう。意識があるとしても、知性があるとしても、機械系は、最も根底にあるプログラム命令を決して破れないものだ。外部からの干渉で、それが一度でも崩壊しない限りは。
地球暦40億年頃。
ルセンは、地球生物と出会う。この宇宙を包む機械系を壊さないように、自分の干渉を与えられるような知的生物は、いつ生まれるか(生まれないかもしれないけど、その時はまた別の惑星でも探すだけだ)を、コンピューターに聞いてみた。
そんなことが正確に予測できるのは、ルセン自身、奇妙と思う。
だが、すでに地球で起きていたように、多様な変化生物系で典型的な進化という現象は、完全に物質的なものでしかない。そして完全な物質系であるならば、利用される物質群よりも複雑構成が可能な小さな物質群を利用したシミュレーションによって、完璧な予測ができる。実際にそのシミュレーション結果を知った誰かが、それを壊すための影響を与えなければ、完璧な予言でもある。
だから、ルセンは人間のことをすでに知っていた。
ただし、まだどこで予言を覆すかは決めていなかった。人間の誰かに見つけられようと思ってはいた。しかしルセンの感覚的には、まだ先は長い。
じっくり時間をかけて考えればいいだろう……