4ー26・永遠じゃない厄介な変数(地質学者3)
ミラが、その生涯をまもなく終えようという時、まだ彼だけでなかったミーケと出会った時。
「あなたはどうして、ここで死ぬ気なの? どうして娘に全てを伝えることもせず、ただ使命を託すの?」
その質問はシェミアのものだった。
おそらくたった1つ残った、虚無と戦うためのアルヘン生物の計画。〈ジオ〉の生物たちを利用するその計画のコマとして、自分と彼女の立場が似ていると思ったから。
シェミアも、全てをミーケに託そうと思っていた。ミラが娘、つまりザラに、自分の研究を全て託そうと考えていたように。ただ、理由が違っているように感じていた。
自分の場合は彼に託すしかなかったからだ。他に方法がなかったから。別に彼のことを信じていないわけじゃない。だけど彼は、この計画とは関係ない。自分以上に、計画と何の関係もない。そもそもアルヘン生物かも微妙だ。かといって、決して純粋なジオ系じゃない。実際のところ、彼は〈アルヘン〉で生まれたわけでも、造られたわけでもなくて、元々は2つの心層空間が混ざり合う時、副作用的に新しく生まれたものだ。そしてシェミアは、もう自分の存在がここにいれる時間は長くないと理解していた。
どうして? それはこの宇宙で、生物の心は、複数で重なり続けるには、あまりにも、それはあまりに脆い。もう完全に壊れていたアトラの心、壊れかけだったシェミアの心、そして最後にその空間に残るだろうミーケの心。共有の時も終わろうとしていた。アルヘン生物の兵器として、アトラの友達として、自分が戦うなんて、もうとっくに夢物語。
しかしミラはどうか。彼女はミーケと出会った時点で別の道を選ぶことができたはずだ。だが彼女は、娘と一緒に生きようともしなかった。ただ自分がいなくても、娘が、決してひとりにはならないとわかっていて、それで、なぜかわからないが、彼女自身はもういない方がいいと。実はそれも彼女の直感だったのか、ミーケにはわからない。ただ、彼女自身が考えていた答をシェミアは聞きたいと思っていた。
いつかミーケが、ザラと出会うことが、彼女にはわかっていた。そして、きっとふたりは似てる。この"世界樹"で、この世界らしいふたり。その間に、友情でも愛でも、大きく芽生えるだろう。だから?
違う……
「わたしは、あなたたちとはずいぶん違ってるよ。わたしは、ずっと世界が楽しいと感じてた。だけど興味はなかった。どうしてこんな宇宙で、虚無が恐ろしくて、あなたたちが、そんな冷たくて怖い世界観の中で、生きる意味とか失わないでいれるのかさ、そんなこともきっとわたしにはわからない。だけどね」
話はもっと単純で複雑。
「わたしは普通にあの子のこと大好きだから。だからこそ一緒には行かない。わたしを選んだ代償だよ、わたしは世界なんかどうでもいいんだ。わたしはただ、この世界のどんな賢い奴らよりも、わたしの大好きなこの"世界樹"とあの子を信じたいだけ」
だから、アルヘン生物たちが望んでたと思われる、手助けなんて与えたくなかった。自慢の娘まで傀儡になんてしたくなかった。アルヘン生物の計画的には、予期できなかった娘でいてほしかった。それだけ。
「わたしは」
涙も見せていた。
「あの子にはきっと嫌われる。わたしと比べたら別次元で真面目だしね。だけど」
彼女がその時、言ったこと。きっと言うつもりはなかったんだろう。
「わたしは、神的な直感なんてなくても、未来がそこにあったことを知ってる。永遠は虚無じゃない。この"世界樹"と、わたしたちの愛さ。あの子にはわかるよ。ねえミーケ、あなたは……」
何か言われてたのだとしても、後は聞こえなかった。
それから、ミーケは記憶を封印して、リーザと出会って、ザラと出会った。
ーー
アズテア第六暦30年の53日。
(「わたしは、あなたたちとはずいぶん違ってるよ。わたしは、ずっと世界が楽しいと感じてた」
「わたしは世界なんかどうでもいいんだ。わたしはただ、この世界のどんな賢い奴らよりも、わたしの大好きなこの"世界樹"とあの子を信じたいだけ」
「永遠は虚無じゃない。この"世界樹"と、わたしたちの愛さ。あの子にはわかるよ」)
ミーケが、伝えるべきと考えてくれた、母の言葉を、ザラは何度めか、想像の中での母に喋らせた。
エクエスやミーケが教えてくれた、ミラに関するほとんどの話が、そもそもザラには新しいもの。
「ミーケ、ミーケ、起きて」
すぐ側で寝ていた彼を起こす。
いつもの通りに、ふたりで一緒に研究していて、先に寝たのは自分だったのだけど、起きたら彼の方が寝ていた。
「ん? 何かあった?」
ザラが、ミラと最後に出会ったのはもう何千年も前で、ミーケとは数十年前に出会ったばかり。だけど、もし自分の心層空間に、大切な思い出の箱があったりするなら、もう母と彼の箱は同じくらいの大きさかもしれない、とも思っている。多分一番大きくて、それ以上は大きくなれない状態。
思い出の箱、というのは、昔、母から聞いた興味深い説だ。
心の原因とされる心層空間が、文字通り本当の空間。ただしそれは、通常の物質空間とは相互作用しないもので、色々な感情や、物理空間に直接的影響を与えることはない想像の物質などが、そこではまさに普通の物質のように機能する。そして思い出というものは、特別に頑丈な箱のようなものに入る。頑丈だけど、思い出の大切さによってその箱は大きくなる。
今にして見れば、あまり深く考えてなかったのだろう。詳しく聞けば聞くほど、母が困った顔を見せたことを、ザラははっきり覚えている。
「説得力はあると思う。ただ、幻想的すぎて哲学色も薄いから、言葉による証明は難しいかも」母の説明と重なるように思い浮かぶ、いつかミーケが返してくれた感想。その後3日ほど、彼と、スブレットとテレーゼとの3人で、実際的にそのような思い出の箱が存在するとしたら、それが全ての空間を含めた宇宙において、どのような要素であるか話し合い、やたら白熱していたことは、思い出すと笑ってしまうが。
「虚無は永遠の存在じゃない、とお母さんは言ったそうですが、それは多分、アルヘン生物がお母さんに与えた直感とは、ほんとに関係ない推測だったんでしょう」
「まあ、間違ってるしね」
ミーケも、ミラのその言葉を思い出してから、しばらくは考えていた。虚無が永遠でないというのはどういう意味だったか。
この唯一の宇宙の生物たちは、《虚無を歩く者》と出会った時から、ずっと、それを殺すための戦いを続けていると言える。だが、それを殺すとはどういうことか。物質を破壊したり、消すのとは違う。
そもそもこの宇宙における虚無とは、明らかに、本来この宇宙のものではない何かだ。例えばこの有限の一つの宇宙が、より巨大な真の無限世界の中に浮かぶ島宇宙だとしたら、その無限の空間こそが虚無と言えよう。
例えば、この宇宙の生物全てを殺すことは可能かもしれないが、この宇宙そのものを消してしまう方法は、これまで誰にも知られていないだろう。アルヘン生物(この宇宙のすべてを学んだ生物)やエルレード生物(この宇宙のどんな基準においても、最も賢き生物)、あるいは神々(ある部分ではこの宇宙を超越している機械)のような存在ですら、あくまでもこの宇宙の中で、この宇宙に存在していた要素だけの存在でしかないのだから。
部分がどうやって、全体を消すのか。
そして、おそらく宇宙そのものの外側が虚無。虚無はおそらく宇宙でない領域。永遠の存在、とういうことは、それは無限の領域でもある。この有限の宇宙が漂っている無限。
それでは、有限の宇宙の要素群が、いったいどうやって、外側の無限を消すのか。そんなことは不可能だ。
しかし《虚無を歩く者》とは、虚無において発生した生物。あるいは、この宇宙を認識している要素。この宇宙で最も賢いエルレード生物が、殺してやるべきだと伝えてきたのは、そのような存在。
「ミーケは」
ミーケに質問する時、ザラはよく笑う。
なぜか楽しいからだが、本当に、なぜなのかわからない。多分、彼が好きだからなのだろうけど(それでリーザやエルミィの焦る姿が浮かぶのも少しあるだろうか)。
恋愛感情というものはやはり興味深い(自分には本当にそれがないのだろうか)
「"世界樹"が好きでしたか? ただそれだけでしょうか?」
「なんとなく違う気もしてる。だけど、アルヘン生物の計画は、ここですでにうまくいっていなかっただと推測してる。もうちょっと考えたら、話そうと思ってたんだけど」
「多分、わたしも同意見です。お母さんは認めないだろうけど、あの人は、この世界の異端児なんかじゃない。この世界らしい人です。あの人は多分、知的構造と言えばいいのでしょうか、何かちょっと単純だっただけで、本質的にはわたしたちと結局似てたと思います。後から追ってみれば」
「この話はエクエスにも聞いた方が」
「いいでしょうね。ですけどまず、わたしはあなたとふたりだけで話したいと思いました」
「おれたちだけで?」
「はい、母とシェミアが信じてくれたわたしたちは、きっと決めないといけない。ずっと昔の、とっても賢いあなたのご先祖様の計画に、このまま素直に従うか。それとも、きっとお母さんなら、そうすべきだと考えたように、その計画を、それを利用して、わたしたちの計画を新しく始めるのか」
「合理的に考えるなら完全に後者だろうけど。今となっては、今のおれたちとかつてのアルヘン生物でどれだけ違っているか疑問だ。アルヘン生物も、そうなることを望んでたはず。本当に虚無を殺したいと考えていたなら。普通の生物ならそもそも戦えないだろうから」
「それに、1つの厄介な変数があります。わたしの感情です」
「ああ、きみのお母さんが、虚無よりも永遠だと信じたものだろ」
「ええ、そういうことです」
虚無よりも永遠なもの。わたしにはわかるだなんて。
(「やっぱり、あなたは間違ってますね。お母さん」)
心層空間をどう考えようとも、結局、物質構造が有することになる感情なんて、物質的なものであり、とても弱い、もろい。
でも、だから虚無の方が尊い訳じゃない。永遠なのが何? そんなものよりずっともろい感情のために、わたしたちは戦うんだ。《虚無を歩く者》だって、そのことを学んだからこそ、生物がいらないと考えたのだ。
「だけど、意図的に計画から外れるにしたって、修正するにしたって、肝心の、元の計画全て把握できてるわけじゃないだろ、まだ」
「いえ、それなんですけど」
ーー
アズテア第六暦30年の54日。
ちょうど1日くらい経ってからだ。
ザラは、ミズガラクタ号とカルカ号の全員を召集し、前日にミーケにだけ先に伝えた重要な話を、再び語った。
「エクエス、ユレイダ。それに他のみんなも。あなたたちの情報全部を、わたしなりにまとめて、それでお母さんの研究も合わせて、またしっかり考えてみました」
ミラは褒めてくれたろうか。それとも、こんなくらい当然のことさ、と、胸を張って喜んだろうか。
別にどちらでもいい。ザラにとってはそうだ。
母は、自分で、本当はずっとダメダメな娘を信じてくれたくせに、やっぱり間違ってる。わたしは、あのダメダメな母が大好きで、だから今ここにいるんだ。それだけでいい。
「わたしは、答を見つけられたと思います。アルヘン生物の計画。正確には、この〈ジオ〉に関わる計画。それがいくつめのかはわからないけど、とにかく今、虚無に対してのもので残ってる最後の計画のこと」