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神々のガラクタ船 ーWater alchemist and the Worldtree’s landsー  作者: 猫隼
Ch4・いくつもの生命世界をこえて
128/142

4ー24・変わらないもの。変わるもの

 すでに真っ暗な宇宙空間。実は何重にも重なってるような闇の層(レイヤー)の中に、まさに虚無の生物が潜んでいるとしても、あまり不思議には感じられないような。

 真っ暗であるのは、光を放つ様々な物質から離れているからでなく、周囲に情報を漏らさないようにするための、彼女が持っていた装置の副次的な効果。

 それが何度目の再会だったかは不明。だけどエクエスが彼女、妹のリウェリィと言葉を交わしたのが、その時が最後だったことは、ほとんど間違いない。そう、繋がりはそれで最後だった。虚無と重なっていない彼女との。


「兄貴」

 その姿だけでなく、声の質も昔のまま。もちろん波動の測定で、はっきりとパターンが重なるのを捉えたとかではない。ただ、エクエスは、後に彼自身が作ることになるレトギナの教え(というか解釈)によるところの、霊魂によってそれを感じていた。

 知っているつもりだった。例え何度間違ったって、何度忘れてしまってたって。

「久しぶりね」

「リウェリィ」

 エクエスにとっては、彼女の出現は予想外すぎた。

 "世界樹"の設立よりはかなり前だが、『水文学会』よりはかなり後だ。ただ、エクエスはこの頃、虚無を知っていて、いくつかの別の宇宙、〈アルヘン〉も〈エルレード〉も知っていた。そしてリウェリィと会うことは二度とないと考えていた。

「本物?」

 そう考えるのも当然。

 エクエスは疲れていた。記憶が正しければ、ただ目標もなく、歩くだけのその旅に出る前。もうクリエイター単位で、つまり銀河フィラメントの生成と消滅時間を基準にしても数字が1を越えるくらいに、彼は独りでいたから。

 寂しくて、悲しくて、だけどただ使命感だけで、生き続けていた。もう誰も生きていないから。虚無じゃないけれど、たくさんのことを覚えている者はもう自分だけだろうから。この〈ジオ〉において。

 虚無じゃないけれど。

「やっぱりいい、答えなくても」

 リウェリィに答える気があるのかもわからなかったが、エクエスとしては、目の前の妹が本物でも、幻想でも、どうでもいいことだ。よく考えるとそんな結論。

「何か用?」

 そう、彼女が本物でも偽物でも、それが重要なことだ。彼女が、今さら現れた理由。

 実のところ、最初に彼女がこの故郷の宇宙を去ってから、いつの再会でも、探していたのはエクエスの方。だから、もう彼女を二度と探さないと決めた時から……

「もうこうして近くにいるなんて、夢でもないって思ってたのに」

「エクエス」

 それは多分願望。エクエスには一瞬だけ、彼女も悲しそうに見えた。

「わたしはあなたに警告に来たの」

「は?」

 別に駆け引きとかではなく、言われたことの意味が本気でわからなかった。

「別に、おれは何もしようとしてないぞ。それとも、虚無に未来の話でも聞いたか?」

 少なくとも、その時は虚無から離れている感じではあった。エクエスは、緑液系としての自らを改造していて、存在できない物質に対する感覚は非常に鋭い。リウェリィはただ、もう緑液系ですらない、普通の人間に見えた。

 しかし彼女が、虚無から永遠に離れたのだとは考えにくかった。その時には多くのことを思い出していた。虚無についての研究、全ては妹を取り戻すため、ただそれだけのために、そしてソレが有する物質世界における無限の変化は、一度捉えた心を決して逃がさないでいれることも、もう理解できていた。そもそもエクエスがソレに憑かれた妹を諦めた理由は、全てが無駄なことだと悟ったからだ。決して叶えられない願いだったのだ、生物には。

 いずれにせよ、警告というのは謎だ。実際にエクエスには心当たりがない。ただ1つ受かんだ可能性が、虚無には不確定の未来を知ることのできる特殊な方法があって、それによって、未来でエクエスが行う何かを問題だと考えた、というパターン。

「虚無じゃない。わたしが知ってる。わたしが確信してること」

「言っとくけど、おれは虚無とは何も関係ない。関わりを持ったこともない、大事なおまえを取られた以外は。おれは虚無に対して無力な存在だ。これからもずっとな」

 それは当時のエクエスには確信。実際、彼がこれまで生きてきてたほとんどの時間も、これから生き続けていくであろうほとんどの時間も、そもそもある1つの、自分に与えた大切な任務のため。たった1つだけ、つまり記録係。ジオという宇宙の、ただそれだけの。

 戦いには興味がない。虚無がこの宇宙をどうするにせよ、たとえ滅ぼすにせよ、どうでもいいこと。それをどうにかできるなら、自分のような存在はおそらくいらない。ただエクエスは、いつまでも残したかった。生物にはそれしかないと知っていたから。思い出しかないのだと。最終的には思い出しか残らない。だから、たった1つ残せるものとして、いつまでも長生きの自分の思い出として。ただそれだけ。

「わたしは」

 皮肉な話かもしれない。

「わたしはそうは思わない」

 実際、彼女が正しかったと言える。兄は、変わってしまって取られてしまった妹を、取り返したいとずっと考えていたつもり。だけどその妹は、ずっと、ずっと兄のことを、兄自身よりもちゃんとわかっていたのだ。

「エクエス、あなたは変わるわ。あなたはこれからも、永遠に変わり続けるの。わたしは知ってる、あなたは、どんな人間よりも長く生きた。そしてこれからも長く生きていく。それは結局あなたのためじゃない、わたしはそれを知っているの」

「おまえがおれの何を知ってる?」

 こうなっては好奇心もあった。

「今のおれの何を知ってる?」

 確かに生物は、生き続ける限り変わり続けるしかない。それはこの宇宙の環境が、決して安定しないため。それでもエクエスは、虚無と戦う選択なんて、自分には絶対ありえないことと思っていた。

「いつでもおれがおまえに勝ってるものは何だった? それは今も変わらない。この宇宙のことも、生物のことも、人間のことも、おれの方がよく理解できてるさ」

「そうね、でもあんたのことは違うわ。ずっとそうだったよ」

 わかっていてもどうしようもできないことがある。それが人間のような感情を持つ生物の弱さ。エクエスの場合は、もう遠くに離れすぎているはずの、それでも今近くにいてすぐには消えてくれない妹の、懐かしい表情が、声が、言い回しが、ただ愛しいと感じていたあらゆる個体情報が、エクエスの心層空間ネットワークのあちこちに、いくつもの思い出を映す。

 だから、逃げられもしない。

「わたしは、もともとのあんたを知ってるの。そこからどんな道を歩いてたって関係ない。そうよ、確かに生物は変わり続ける構造を持つもの。でも今は、わたしだって知ってる、あんたも本当はそうなんでしょう。わたしたちのここには」

 自身の胸の辺りを指さすが、もちろん物理体の胸という部分のことを言ってるわけではない。彼女が言いたかったのは、つまり心のこと。

「いつまでも変えられないものもある。あなたがあなたを続ける限りね。そしてあなたは、いつまでも生き続けるでしょう。生き続けるつもりでしょう。目的は何でもいい、重要なのは、ずっと未来にもあなたがまだいるだろうこと」

「おれは虚無と戦う気はない。約束なら信じられないか? おれはおまえとの約束は必ず守る。それもわかってるだろ」

「いいえ、あなたにはわたしとの約束よりも優先するものがある。いつか出会う」

「それはわからない。だけど質問を変える。仮に、おれがまた愚かな決意をしたとして、それがおまえに関係あるのか? この宇宙の中で、おれはあまりにちっぽけな存在だ。塵の1つが少し動いたところで何か変わるか? おまえが恐れるものが、恐れることが起こりうるか?」

 実際に、その言葉を聞いているのだろう妹に問いかけているつもりはなかった。その質問は完全に、虚無に対するもの。

「ぼくは」

 絶対確実ではないが、ほぼ確実に虚無はそこにいない。しかし彼女は虚無の代わりに、その言葉を伝えてきたつもりだったに違いない。エクエスはそう確信している。

「いくつもの宇宙を越えてきた。生命世界を超えてきた。エクエス、きみはいつか、その足跡をたどることになると思う」

「だから、それが何か問題あるのか?」

 もう好奇心しかなかった。いったいどういうことなのか。例えば仮に、虚無がエクエスの何かを恐れてるのだとして、それならなぜさっさと彼を殺しに来ないのか。

 それは絶対に簡単なはずだ。エクエスはただの長生きの人間。そして長く独りでいる。虚無が、本当に、この宇宙そのものを、全ての生物から奪おうとしているような、そんな存在であるなら、簡単なこと。彼を永遠に殺すことなんて。

「教えてあげる。どうせきみはいつか気づくから」

 正確には、その時まで止まっている。ミラがいても、ミーケがいても、エクエスが目覚める時まで計画は止まっている。言ってしまえば彼は予備スイッチ。 

「宇宙は1つしかない」

「1つ、やっぱりそっか」

 信じていいかわからなかった。エクエスに確信はなかった。宇宙が本当に1つしかないのか。

「あなたは複雑系の鍵。ぼくも、今はまだあなたを殺せない。見失う訳にはいかないから。これは、ぼくをテクノロジーで無理やり止めた奴らが」

「〈アルヘン〉と〈エルレード〉」

 エクエスが、それら2つの宇宙文明の、ジオの言葉における名前を知っていたのは、リウェリィの残していた研究記録のおかげ。ただし、虚無と敵対している、そのような2つの強力な科学文明の存在は、別の研究でも発見していた。

「そう、あいつらはぼくを殺すことはできなかった。だけど、ぼくを無力化する方法を見つけたんだ。この宇宙に存在する限りは」

「だけど、虚無には虚無の領域がある。この宇宙にずっといなくてもいい。そうなんだろ」

 結局のところ、この宇宙で、この宇宙の生物がとることのできるどんな対抗策も、時間稼ぎにしかならないのはそのため。

「加速が続いてるんだ、この宇宙では。複雑系の変化の加速だ。〈エルレード〉、だった。あの機械生物たちが仕組んだ。アルヘン生物も知らなかったろうさ。あの機械たちは総体ネットワークが全部分の支配的でない生物系統は」

 つまり、おそらくは宇宙生物であり、1つの宇宙領域そのものであり、1つの宇宙コンピューター、それも各ポイントが(実質的に無限なのだろう)交差と連鎖がおりなす高次元幾何閉鎖系の各面であるコンピューターネットワークそのものである(というような存在らしい)、エルレード生物以外の全ての生物系。

「ぼくとの戦いではどうしても信頼できないと考えた。実際それは正しいだろうさ。だけど神々がそうであったように、機械ではぼくに勝てないとも考えていた。実際はぼくも知らない。だけどあいつらはぼくよりもずっと賢い。きっとそれも正しいのだと思う」

「機械の複雑性。機械では勝てない。それなら、これは」

 自分の手を見るエクエス。厳密には手じゃなくて、自身の身体を構成している粒子。スフィア粒子だ。そして、緑色の液体。生物に機械より上の複雑構造の可能性を与えるための。


「わたしは」

 いつの間にか、虚無ではなく、彼女に戻っていた。

「そう結論して、虚無に伝えようとした。これは最初からアルヘン生物の計画じゃない。このジオ宇宙で起きていることは、エルレード生物の計画。おそらく、アルヘン生物の計画の一部を、それを破壊しない程度に利用して」

 つまり緑液系とは、エルレード生物が、虚無に対抗するための生物構造として開発したもの?

「伝えようとした、だけ? どうして」

 その問いに答はなかったけど、実は当時から、ある程度推測はできていた。

 虚無の本来の世界が虚無であって、この1つの宇宙が物質と呼ばれるもの、生物と呼ばれる存在の宇宙なのだとする。そして虚無がこの宇宙に現れる時、複雑システムのために、どうあっても全てをコントロールできないとするならどうか。もし(後から考えると実際その通りなのだろう)、虚無には心層空間がなくて、ただこの宇宙で、どうやってか用意した感情だけがその物理的動作の核となっているのならどうか。いつからそうなのかはわからない、がエルレート生物が仕組んだのなら、それ以降は間違いなくそのはずだろう。この宇宙の複雑すぎる複雑さの原因の1つは、テクノロジーによる改造だ。それをどうにかするのに、虚無も他の方法を知らないのかもしれない。つまり、テクノロジーしかない。だが心層空間を持たず、生物ではない虚無は、この宇宙において直接的には何も開発できない。生物のネットワークに直接は乗れない。〈エルレード〉の機械生成物の壁を壊すことができない。

 虚無の最終的な目的が何にせよ、そのためにこの宇宙を残す必要があるというのなら、一方で生物を全て滅ぼすつもりなら、リウェリィが虚無でなく、道を違えた(それでも、彼女が知る限り、この宇宙で最も、虚無にとって危険な存在らしい)兄に警告を伝えに来たというのは、ある程度納得できる話ではある。


 途中の内容には曖昧な部分がある。だけど彼女の、最後の言葉だけははっきり思い出せる。

「ごめんね兄貴。兄妹ごっこはこれで終わり。これからは」

 実用的に忘れない方がいいと思っていた。妹が意図していたことかどうかは不明。だけどその言葉が、自分への最も重要な鼓舞になるとエクエスは考えた。

「戦いよ。この宇宙をかけて。あなたはいつまでも人間でいればいい。わたしがそれでも人間であるように。この宇宙が好きなんでしょう、わたしが好きだったこの宇宙が。わたしにも思い出がある。あなたが大切にしてる思い出と同じように。だからわたしはここに来たの」

「リウェリィ」

「さよなら」


ーー

 

 アズテア第五暦599(ザラとエルクスの出会いより、1201年前)


 ミラの死から4日後。

 まだ記憶を失う前のミーケは、かつて"暗い太陽"という銀河フィラメントに存在した、人間のための住居で唯一残っていた、つまりエクエスの昔の家に来ていた。そして、かつての家主が一時的に帰ってきたのは、その少し後。

 もともとの形を保っていないのは確かだ。エクエスの記憶にあったものよりもかなり小さい。立方体の形で、三角の屋根がついていて、古くさいものばっかりだが、全体で1つの光学ネットコンピューターを構成している様々な(それぞれの周囲で、様々な方法で歪められている空間場と、微粒子のダンスを無視するならば、平べったい鉄の板みたいなものばかりに見えるだろう)カラクリ群。

 それは"世界樹"にあって、エクエスにその気がなくても、彼を尊敬する多くの学者たちが、ずっと残してきたもの。

 彼にとっては、作られた正義を盲信していた少女、テレーゼと出会う少し前のこと。

 誰かがそこを訪れたことはわかっていた。正確にはいつかそこに誰かが来るはずと。自分の痕跡がそこにあるから。そこに来るのは、虚無か、妹か、妹と同じように虚無と手をつないだ者か、あるいは古い誰か。実際はその最後のパターン。


〔「エクエス博士」〕

 立体映像で姿を見せた、このしばらく後に、そうする必要があると考えた全ての記憶を封印することになるミーケ

「おまえ、アルヘン生物だな。しかも作られた、機械生物だ。どう見ても人間みたいな姿だけど、この宇宙にもともと来る気はなかったんじゃないのか?」

〔「簡潔に言うなら、おれは、調査と足止めを任せられた特殊能力者の部隊の生き残りです」〕

「虚無は、まだ生きてるのか?」

 エクエスは、リウェリィのあの最後の警告の後、彼には言葉で説明できない、ただ確かに、妹が言っていたように変わってしまった。科学の世界と武力の世界。つまりは"世界樹"と《ヴァルキュス》の成立のために尽力し、どちらの世界でも、緑液系が深く理解され、利用できる状態を安定させた。

 だけど、このジオ宇宙の外に関しては、ある意味で以前以上に何も知らなかった。新しい情報は得られず、昔知ったことのほとんどはもう忘れてしまっていたから。

 心層空間を可能な限り拡張して、最も細かい方法で利用しても、この宇宙自体が有限な世界である限りは、情報容量には必ず限界がつきまとう。だから、必要なこと、覚えておくことは絞る必要があった。他の誰かに頼ることができないことでもあった。エルレード生物が教えてくれたことを忘れられないから。アルヘン生物(虚無が実際に敵と認識した、おそらく唯一の生物文明)ですら、信じることができなかったのだ。実際に、最も深くでそれと戦った錬金術師は、生物を裏切ったと聞いた。

 宇宙のどこでも安全でない。実際に、錬金術師の健在を悟られた時、虚無はすぐにこの宇宙に来ることになった。そういうことが起こりうるということは常にあった。そして、武力国家の怪物娘がソレを撃退できたのは、入念な秘密の準備のおかげだ。

 だが何にせよ、この時エクエスは、虚無と生物の戦いがどうなっているのかを、全然知らなかった。

〔「殺すことができたかもしれない方法は、もうすでに失われた。すべて」〕


 ありふれた水を媒介にして、虚無と繋がった、かつて彼女の仲間だった水の錬金術師。彼女は生物を裏切った彼の体を奪って、取り替えた心層空間では不安定らしく、役に立つかもわからないその力を持ったまま、このジオ宇宙まで来たのだと教えてくれた。

 ただし後からの推測も多い。彼は、アトラとシェミア、どちらの心層空間が得た思い出も持っているが、失われた部分があまりに多い。


〔「〈ジオ〉を使う計画はあった。多分あなたが気づいたように、本当はエルレード生物の計画だったのかもしれないけど。でも、あなたは確かに頼み事をされたのかも。気づいていたかどうかわからないけど、あの賢い生物たちから」〕

「"世界樹"と、3フィラメントの国家は、あれらも最初の計画の中に含まれてるのか?」

〔「その計画は、地球が、地球生物の世界の全てであった頃から、もう始まってたはずだよ。ただ」〕

 ミーケとしては、組織的なものはともかく、緑液系のような背景システムまで最初の計画からあったなんてとても信じられないことだった。ジオ(というかテクノロジーの発達が遅れていた1つの宇宙領域)内部で、全てが完結するもの。例えば科学者たちの組織とか、そういうものはわかる。だけど緑液はこの領域だけで開発できるものじゃない。アルヘン宇宙の中だけでも無理だったろう。あれは、生物のネットワークが生み出した、おそらく機械宇宙そのもの(エルレード)に次ぐほどの、驚異的なテクノロジーであって、その発明をコントロールすることは絶対にできないはずと。

〔「それにアトラが虚無と出会った時、もうこのジオ宇宙は、あちこちでジオ生物が生きている時代だったんだ。だけど、おれたちはまだ虚無についてほとんど何も知らなかった。いや肝心なことは、それが心層空間を持たない生物として存在できるものと知らなかった。緑液が有効なのは、そのためだったはず」〕

 ようするに、それが有効であると、ジオの計画が始まった時には知られていなかった。普通に考えるなら、人間がそれに適した生物であったというのは、ただ運がよかっただけ。

「いくつも計画があって、虚無がそういう存在である場合の計画が、このジオ宇宙を使ったものだったという可能性はないのか?」

〔「この宇宙、〈ジオ〉はよく知られてた。ここは、神々を除けば、唯一制作者のいない機械生物文明が存在した宇宙だったんだ。そして神々は、虚無がそれを最初に滅ぼすほどに恐れていた存在。この宇宙を利用する計画が、ファーストからそれほど離れたものだったなんて、どう考えてもおかしい」〕

「おまえは、もともとここの計画とはあまり関わりなくて、自分の方が失敗して、こっちに来てみたんだろう。それで、この宇宙の状態を知って、何かの計画がここでまだ機能していることに気づいた。でもそういうことなら、"世界樹"や3フィラメント国家も、少なくともおまえはもう知ってたっていうことじゃないのか」

「いや、その点に関して、おれの知識はあなたとそんなに変わらないかもしれないよ。ただ、間違いなく異常なことではあっただけ。緑液系のせいじゃない。今、この宇宙の中で、ここは一番、かつての〈アルヘン〉や〈エルレード〉に近い。生物の科学テクノロジーが、ある方向においての限界に達してる。この状態にコントロールなしで達することができた例は、〈アルヘン〉以外に知られてない。テクノロジーの調整によって、こうなった宇宙でも、おそらくここは2つ目だ。〈エルレード〉に続いての」

「それは偶然では」

〔「虚無が存在する、いや発見される以前の宇宙では、そっちの可能性の方が高かったと思う。だけど今は違う。それからこの宇宙にはずっと、生物を超越した影響が続いてるんだ。結果、すでにもう、文明自体が珍しいものとなってしまった」〕


 宇宙のスケール。むしろその(複雑さの原因である)あまりの大きさのために、虚無自身が、今に至るまで、それを完全に支配できていないことを考えると、驚くべきことかもしれない。しかしだからこそ、虚無の影響が、その全てにおいて続くことができている、この現実こそが、ソレがこの宇宙の存在ではなく、外の何かであることを示唆する強い根拠の1つ。


 ただ、虚無は最初から戦っていた。計画を練って実行した。それは、この宇宙において万能の神ではないからだ、明らかに。それどころか物質世界に現れるためには複雑系の一部となるしかなかった。全宇宙という、それでも1つしかない宇宙の生物である限り、おそらく想像することもできないカオスを理解しきれていない、今でも。

 緑液系は、安定のために必要なシステムが最も複雑である生物かもしれない。だからこそ、虚無に対して武器になりうる。


「ミーケ、直接会おう。その必要があると思う。だけど今、1つだけ教えてくれ、シェミア」

 教えてくれるなら、と心の声でつぶやいても、実際に音にはしなかった。それは精一杯で、心にいだいた希望のため。

「どうしておまえは、戦うことを決めた」

〔「アトラは関係ないんだ。ただ、ミーケなら戦うだろうから」〕

 そして、ミーケは消えた。代わりに、1つの場所のデータがそこに浮かんでいた。

 エクエスは、いったいそれがどの場所を指しているのか、すぐに理解して、その表示は消した。そして今度は、自分が持っていた2つの文書データを表示する。どちらも同じ人物が書いた論文。"世界樹"の科学者、ミラ・クートエンデが書いたもの。おそらく彼女自身がすでに失ってしまっている、まさに幻の論文。タイトルは[生物について]


[……情報空間は無限ではない。この宇宙が無限でない限りは。情報圧縮にはパターンがある。無限に物事を小さくできるわけではない。そして全ての情報は、物質ネットワークの上にのる。知的生物でも、知的生物の情報を構築しているとも言える。

もし、虚無が存在するとしたら、ネットワークの存在ではない。ネットワークの存在ならば、永遠の虚無はありえない。それが永遠の生物であるならば……


……感情と意思と、どちらが先なのか。

そこに誰も生物と定義しない物質があったとして、そこに悲しみとか嬉しさとか、そういう感情だけが生じたとする。しかしそこに感情があることに意識的に誰かが気づくことはない。そこに意識は存在しない。逆に、そこに自分がいるという意識があるとして、それが感情を学んでいなければどうなる? 

感情の存在しない意識は存在しうるか、意識のない感情が存在するなら感情のない意識も存在するはず。それがどういうものかを、意識的に感情を理解する者に理解することができるだろうか。

生物は生物を何と定義する?]

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