4ー19・アトラの報告(3)
誰にも言わないで、気づかれないで、ミーケは奇妙な感覚に見舞われてもいた。
自分は多分アトラ。アルヘン生物に造られた機械(?)のアルヘン生物。水の錬金術師。虚無という、宇宙の生物の敵に対する、ある種の生物兵器。そして、かつて、1つの宇宙を犠牲にして、虚無と出会ったアトラだったのだろう。
だが、決して、ただそれだけではないように思えていた。本当に、それは自分だったのだろうか? 前に《虚無を歩く者》と〈ジオ〉の宇宙で遭遇した時、自分が恐がったのは、かつて出会った虚無だったのだろうか?
[話|(3)「|《虚無を歩く者》について、アトラの結論」
……これから述べるのは、ただぼくが勝手に抱いた理論です。ですが、ぼくがこれまでにこの宇宙で生きた全ての時間をかけて学んできた、ぼくの正義において、これは真実であることを確信してもいます。
生命は、どこかで始まって、そしてこの宇宙の中で、互いに関わりのなかったことは一度もありません。我々の宇宙は1つしかなく、どんな言葉で表すとしても、生命の宇宙でした。生命は途切れることなく、だからこの宇宙には、ずっと生命が存在していました。
虚無はこの宇宙より古いことは確かです。それは宇宙というよりも、背景です。存在が必要ない存在と言ってもいい、ゆえに永遠です。たとえ、この宇宙(生命の宇宙という意味でなく、全てを含む本当の1つの宇宙という意味です)が存在してなくても、それは存在してます。存在するしかないのです。終わることができない、そして始まりなどなかった。
ですが、感情には始まりがありました。それがどこかで生命と出会った時(それがこの宇宙の生命だったのかわかりませんが)、最初に生命と出会った時にそれは感情を学んだ。
かつてエルレード生物は、「アレは殺してやるべき」と語っていたでしょう。そしてぼくもそう考えていました。それはもしかしたら、ただ友達を求めてるだけなのかもしれない。永遠の自分と一緒にいてくれる永遠の生物を探しているのかも。ですが、そんなものは存在しないから、全て滅ぼして、そこからぼくらの理解できない何かを得ようとしているのかもしれないし、あるいは(ゼロからなら可能かもしれない)永遠の生物を作ろうと考えているのかもしれない。それはぼくにもまだわからない。ですが、どんな目的にせよ、それが永遠の存在であるために生物の敵にしかなりえないなら、たとえ殺せないものだとしても、どうにか殺すしかないと。そしてぼくらにはその可能性が見つけることができるとも、エルレード生物は言ってましたね。
でもぼくは、今は違う考えを持っています。
ぼくは、それに直接的に触れたことがあると言えます。おそらく今生きている者の中でぼくだけでしょう。正直に言います。ぼくが理解できたことの中で、本当にぼくにとって重要なことはたった1つだけでした。
その話の前に、ぼくはただ水の、というより同じ物質を同じようにコントロールしたことがきっかけで、それと心層空間が重なったという説を立てています。それはちゃんと報告しておきます。
それで、ぼくにとって重要な1つとは、《虚無を歩く者》は、間違いなく死も知っていたことです。もちろんそれは永遠に生きるものですから死んだことなどありません。ですが。それはただ、永遠に存在してるのでなく、我々には決して理解できない、宇宙とは違う部分を持っている存在でもあるんです。そしてその何かで、彼は生命のすべてもすでに学んでいる。
この宇宙でソレが学べなかったことは、〈エルレード〉の意識樹と、それと関わる発明だけでしょう。わかっています、〈エルレード〉のものは、あの賢き生物が創った、おそらくこの宇宙で唯一の特異性、この宇宙でしか存在しないテクノロジー。虚無は、この宇宙でそれと初めて出会って、そしてそれをちゃんと学ぶにはこの宇宙の時間はおそらく短すぎるから。だけど、これも重要なことです。それも、つまりエルレード生物さえ、結局はこの宇宙と共に消える何かでしかありません。
真の宇宙で尊いのは永遠の存在の方です。虚無から宇宙の一部を奪っているのはぼくらの方です。
ごめんなさい。ぼくにはもう、アレを殺そうなんて思えないです。ぼくらの生きた意味を残すためにも、ぼくらが死ぬべきだと考えます]
そんな考え方が自分のはずがないとミーケは理解している。
たしかにそれは、この物質の宇宙に対する裏切りだ。アトラは、虚無のために、物質の宇宙の犠牲を望んだ。
その感情が、永遠の存在の悲劇に同情して、そして理解していたからだ。決して物質の生物と虚無が共存できないこと。しかしミーケなら、そんな真実を、決して理解できないだろう。たとえ虚無に同情し、その味方にさえなっても、物質の生物である自分は捨てないだろう。「物質の友達よりも虚無が尊い」だなんてことは絶対思わない。おそらく彼の道は2つしかない。虚無が敵のままであるか、共存を望むか。
「感情はそれほど大した問題じゃない。この物質の宇宙を守りたいと考えるなら、どこまでも、虚無を敵として考えることは可能だ。特に、今のおれたちには綠液系がある。コントロールが効くから」
そこで、リーザを見たエクエス。
「ええ、戦えはする。少なくとも、わたしは戦えるし、みんなを戦えるようにしてあげられる」
リーザはそのことを、その場の誰よりも知っている。《ヴァルキュス》という国家は、戦いのために必ず必要だったのだろう。物理的でなく、精神的な強さを必要としていた。例え虚無がどれほどに悲劇的でも、哀れみを持たないでいれるような強さ。
「ぼくらもそうだった」とユレイダ。
「エルレード生物も、アルヘン生物も。アトラの場合は、単に彼が作られた時はまだ、虚無の感情の量が誤解されていただけさ。あれは自然とこの物質の宇宙で初めて感情を学んだのだと考えられていた。実際そうかもしれないけど、それでも、それが遠い昔のことすぎたんだ。ぼくらは、別の物質の宇宙を見逃していたか、あるいはこの宇宙の大きさを間違っていたらしいんだ」
つまり、アトラの心は、ソレと繋がった後も、ソレの敵であり続けられるような心の強さがなかった。それだけといえばそれだけだ。だから彼は、結果的に物質の生物を裏切った。
「どうして彼は、記憶を?」
ミーケは、もうそうした理由がかなりわからなくなっている。
結果的にそうなるようになっていて、そうなること自体は、アトラも知らなかったことなのかもしれない。とにかく、彼の失われた記憶は、少なくとも自分たちにとってはこれまでの道標となっていた。まず間違いなく、アルヘン生物、虚無の敵たちの、虚無を殺すか、そうでないとしてもこの物質の宇宙から消すための計画の役に立ってきただろう。
しかし、生物を裏切ったアトラなら、例えば、かつての仲間たちへの特別な思いのために、さらに虚無を裏切るような真似はしないだろう。やはり、かつての自分というより、普通に別の存在としての彼のそういうところを知っているかのように、ミーケには思えていた。
「ミーケ、ぼくは、今のきみが、アトラとはまるで違う存在のように感じる。これは意外なことじゃない。彼と同じなら、おそらくどのような記憶の使い方でも、最終的には彼自身が厄介な問題になるだろうから。きみはまだ水の錬金術師なんだ。それはこの宇宙で虚無と、あの、生物ではありえない感情の塊と繋がることのできた唯一の存在なんだから」
ユレイダは、そのこと、水の錬金術師に関する話については、かなり自信もあるようだった。
「そもそもきみが、どんな経緯でジオ宇宙に渡り、記憶を失うことになったのか、ぼくは知らないけど、しかし虚無に関する計画の中で、それが絶対に必要な要素でなかったことだけはほぼ間違いないと思う。だが、どこかで今のプランが決定した。記憶を失ったのはその前に別の理由だったのか、それともその後に騙されたのか、どちらかと考えるのが普通だ」
「おれが、アトラじゃない可能性はある? どこかで、変わった可能性」
ミーケとしては、むしろ自分の感覚を信じるなら、それが一番ありえそうなこと。
「どう考えてもその可能性は低いよ。確かに、それなら明らかなきみの性格の変化はわかる。だけど水の錬金術師は、きみだけだ。つまりきみがそもそもアトラでないとしたら、精神構造の入れ替えが必ず必要だった。だけど錬金術師の構造的に、それは普通は不可能だ。たった1つ、それができる方法は、虚無を少し使うことだけど、虚無自身が望まない限りそんなことはできない。それを、つまり、もう敵でなくなった水の錬金術師を、別の誰かと変えるなんて、虚無が望んだとは、ぼくには思えないよ」
(虚無が)
ユレイダの推測は正しいだろう。ミーケはそれも知っている気がした。《虚無を歩く者》を自分はやっぱり知っている。どこかで理解した。だが、それはやっぱり自分がアトラだったからなのだろうか。
「悪いけど、少し話を戻すぞ」とエクエス。
「いずれにしろ、虚無と戦うなら、というよりどうにかするつもりなら、どうにかするための方法がいるが、問題はソレが感情を学んだのは、ソレの物質の部分でしかないこと。もちろん物質の部分は、ソレの本体じゃない。そこから本体に繋がる方法はおそらく水の錬金術だけだったけど、多分それももう使えない。この宇宙で水はもう普通じゃないからな。偽物の水でも、おそらく同じことが可能だが、かつてほどの速度は確実に出せない。だから、多分虚無は逃げられるだろう」
「水がなくなるって攻撃。戦いにおいてもリスクがあったってこと?」
テレーゼが発した疑問。
「まあ、これがリスクになるのかはわからないけどな」
「なるとしても、大したものではないわ。そのアトラくんが、ミーケであるかはともかく、少なくとも今のミーケの構造が、そのアトラより錬金術の利用に向いてるはずがないから」
エクエスよりはっきり確信しているようだったエルミィ。
「なぜそうだと思うの?」
メリシアも、物理についての話は、娘にかなりついていけない。
「簡単に言うなら、錬金術の原理的に、つまり素粒子ロボットを利用して物質の操作能力を、それも心層空間と関連付けた操作ね、そんなもの実現するには、劣化しないパターンでは無理なの」
さらにエルミィは続ける。
「システム要素としてのロボットは、ある程度固定的でないと錬金術の効果は全く安定しない。でもこれの用途を考えるなら、安定しないものは意味がない。素粒子ロボットが固定的である時、術師自身の自由性を残すなら、そしてそのことも計画のスケール的に、必ず必要だろうから。ようするにミーケは普通の知的生物でもあるでしょう、この場合、錬金術のための構造に関しては、変化の方向性を予測することが絶対に不可能よ。つまり本当に錬金術をちゃんとした武器に使おうと考えて、しかも水の錬金術師がひとりしか作れなかった、あるいは作らなかったのなら、最初の作成時点での有効度を可能な限り最大にしたはず。そこからまだ近かったろうアトラきみに比べて、今のミーケが圧倒的に錬金術師として弱くなっているのは当然よ。最もそれはあくまでも相対的な話だけどね。ミーケが水の錬金術師でなくなったとは言えないし」
「そもそもアトラがまだ、最初の彼だとしても、実態なきものが、その力を直接に恐れるとは考えにくい。今考えると、前にアレが〈ジオ〉に現れたのは、それは単に好奇心以上のものでなかったように思う。タイミングからして、明らかにアレは、ミーケの水の操作の発動を感知してやってきていた。だが、本気で水の錬金術師を殺す目的なら、もっといくらでも慎重にやれたはずだ」
「わたしからも、アレは逃げなかったしね」
リーザも、その時のことを改めて思い出す。
「まあ、逃げようとしたって、逃がすつもりなんてなかったけどね」しかしその言葉のさらに続きは口に出さなかった。(でもそうなってたら、本当に、今もう生きてなかったかな)
「だがもちろん、あの状態のアイツを何度殺そうとも、時間稼ぎ以上の意味にはならないだろう。多分、エルレード生物も、アレを殺せると考えたことは一度もなかったはず。ただ殺してやるべきだと理解できただけ」
「エクエス、きみには答がわかるの? いや、わかっているの? この戦いで、ぼくらが何を目指すべきなのか」
他の者はもちろん、エクエス自身も意外だった、ユレイダの疑問。
「そうだな」
そして、ザラを見て、まるで本当に大人が子供にそうするかのように、エクエスは彼女の頭に手をのせる。
「な、なんですか?」
戸惑うザラ。
「少しな」
手を離すエクエス。
「ここ最近はずっと考えてたことでもある。結局ミラは正しかったに違いないよ」
「お母さんが」
いきなりそんな話題はまた意外。
「ユレイダ、報告にはまだ続きがあるんだろう。最後に、まだ確かめたいことがある。その後ならきっと、おれは、おれのものでよかったら、答も示せると思う」
「最後の報告は」
報告というよりも、それはほとんど恨み言。
[話|(4)「我々の部隊の犠牲者について」
この報告の作成時点において確実な生存者は、錬金術師アトラのみです……]