4ー18・アトラの報告(2)
「ミーケ、1つだけ」
暗い顔をしていたスブレット。
「わたしの推測は、きみのと違う。アトラは多分、虚無を説得できると思ったんじゃない。それが無限にある構造で、〈エルレード〉の宇宙が恐れるほど感情をため込めるようなものなら、きっと物質生物の言葉を届かせるのは無理だよ。いくらなんでも次元がちょっと違いすぎる。じゃなくて、じゃなくてね」
ミーケから顔をそらしたけど、彼女はまたすぐに向かい合う。
「別の誰かの可能性を見つけられたんじゃないかな、虚無でも物質でも、多分神々のための何かでもない。わたしの理解できる全ての上では、それ以外に考えられないよ。別に卑屈になってたりする訳じゃなくてね。それなら全部説明できるから。神々が虚無の敵になれた理由も、〈ジオ〉が選ばれた理由もね。あの、きみとザラが前に言ってたように、リリエンデラが神々のような機械なら」
「まるで、見せる前から報告を読めたみたいね。スブレット、きみは未来が見えてるの?」
本気なのかユーモアなのか、まだかなりわかりにくいユレイダの問い。
「そんなわけないでしょ。ただわたしは、普通だけど、時々すごい普通、だから」と、(彼女が、自分のことについて話すときはだいたいいつもそうなのだが)スブレットの方も、けっこういい加減な答。
「まあでも、これ以上の議論は後にしようよ。報告の続き見よ」
ひとまず、白熱しそうなその場を抑えたのはアイヤナ。
「ええ、そうね、続きを見せるわ」
それで、ユレイダはまた、アトラの報告の続きをミーケらに読んでもらう。
[ 話(2)「〈メール〉での戦いについて」
……もちろん、理由はともかく、虚無星系がクォーク式であることは、ぼくらにとって嬉しい誤算だったと言えます。
これを読んでいるあなたが誰であれ、ぼくらの錬金術について、いくらか大まかな機構はご存知の可能性が高いと考えています。つまりそのための特殊ロボットは、それを実現するための基底物質が閉じ込められた、絶対に破れないようになっている系を、根本的なシステムとして使っています。ロボット自体は実質的に永久機関の1種です。引き継ぎはできず、持ち主が死んでしまってシステムだけの状態になると、システム自体が絶対に安定しすぎているために、プログラムの狂いは二度と元の状態に戻れません。しかし機能を失ってしまったその小型ロボットだけはいつまでも残ります。フィードバック解析で、元々どのような能力を持っていたのか、持ち主がどのような生物だったのかも、かなり特定できるはずです。いくつかの理由から、あなたがここまでのことを知っているとしても、ぼくはここに、こうしてぼくの言葉で書くことが重要と考えています。
そしてこれはおそらく、あなたが知らない事実です。ぼくらのためのロボットはクォーク系です。このことを秘密にしていたのは、今は完全に意味のなくなった理由のためですが、とにかくこの機会にこのことは伝えておきます。
ただし今、最も重要で、実質、唯一重要とも言えることは、あなたたちが予想していた通りのことが、ぼくらに可能だったことでしょう。
ぼくらの力では、真空世界の敵に出会うことはおそらく不可能です。ですがぼくは、物質世界のソレとなら、繋がることが可能でした。ぼくはソレの、この物質の宇宙での記憶のいくつかを見ることさえできました。そしてそれが、おそらくぼくらが唯一、避ける方法のなかった戦いのきっかけでした。つまり、四度あった戦いのうち敵側から仕掛けてきた唯一の戦いです。
しかしあんな戦いを、本当に戦いと呼べるのか、ぼくには自信もありません。それは最後の戦いであり、それ以前の三度の戦いは、全て単に物質の奪い合いでした。ですが最後のそれは、純粋に殺戮でした。
ぼくらはおそらく、敵の怒りに触れてしまった。多分、昔に〈エルレード〉がソレと初めて対話した時と同じように。もしも、この物質の宇宙に、本当の善と悪があるのなら、ぼくはきっと永遠に許されないでしょう。〈メール〉宇宙に生きていた、ほとんどどんな生物も、そんな事実を知ることなく、完全なる死を与えられてしまったのです。敵はおそらく、ぼくらアトラ部隊を確実に消すために、真空系をただ、おそらくその時点で可能だった限界まで、一気に広げました。
しかしそれで飲み込むことができたのが、ぼくらの内のたった3名だけだったのは、皮肉なことです。エルテ、ユギザ、ライガはそれでいなくなりました。それをぼくらは「完全なる死」と呼んでいましたが、本当にそれが、ぼくらが語る意味通りの「死」なのかはわかりません。真空系の広がり(あるいは爆発)は、ほんの一瞬のことでした。その後に、再び現れた宇宙の部分に残っていたのは、そこに存在した全てが失われてしまった、という痕跡だけでした。明らかに痕跡はありました。物質の相互作用でそれが実現できないことは確実と思います。物質のどんな動作も、その一瞬の次の一瞬だけ全て0になっていたと言えるかもしれません。
それは〈メール〉のほとんど全ての範囲で起きました。しかしぼくらを含む一部は助かりました。おそらくエルレード生物が、昔この宇宙に、あるいはぼくらのロボットかもしれません、とにかく何かを仕掛けていたのだと思います。おそらく助けられたのはぼくです。ぼくの錬金術と関連した水場が、真空系の飲み込めない範囲でした。
しかし物質系の、明らかなその停止と、その後すぐ起きた再生現象は、新しい手がかりでもあるでしょう。そんなことが可能であること自体が1つの重要な証拠です。つまり、やはり明らかに敵は、この唯一の宇宙でないどこかからの手によって、その現象を実現できるのです。また再生については予想可能でしたから、それは物質宇宙での現象でしょう。ぼくらには敵が関わるものと、そうでない現象サンプルの比較研究も可能でした。真空後の再生場を利用したクォーク式補助のコンピューターも造れました。
もし、虚無のような、物質宇宙とは別の何かがあるなら、それは敵のものだけではないと思います。神々のような機械が、この宇宙に自然と発生することがありえないと考える仮説はぼくも知っています。それが正しいのだとしたら、神々の発生もまた、物質中の外側の何かからの影響が関連しているのでないでしょうか。それがぼくらにはわからなくても、敵にはわかっていたのかもしれません。
ひとつだけ。敵を除けば、神々はこの宇宙の中で閉ざされた壁を超えることができた唯一の存在でしょう。我々の多元時空間転移は、神々の軌跡を利用するものにすぎないはずです。《虚無を歩く者》はこの宇宙に現れた。神々はこの宇宙で発生した。そしてこの〈メール〉で起きた出来事から、ぼくはほぼ確信しています。《虚無を歩く者》は全てに踏み込めるわけでなく、神々はその踏み込めない何かの領域と関わりがあります。〈ジオ〉のことは今でもちゃんと覚えています。錬金術師に関して、人間をモデルにしたのは、おそらく正しい判断でしょう。
この報告で、求められていた情報として、ぼくが言えるのはここまでです]
「これはいつの時代だ?」
報告の、2つ目の話が終わったところだった。エクエスが何かに驚き、そして、明らかに何かを恐がったのは。
「え、悪いけど、さっきも言ったように、いつかはわからないんだ。ただ、大災害よりはかなり昔のことだと思うけど」
ユレイダも、突然に雰囲気を変えた、ジオ生物では一番古き者だろう彼に、少しばかり面食らっている感じだった。
「そうだ。どうしておれは、なんて役立たずだ、なんでバカなんだ、なんて愚かだ。けど、思い出した、少しだけ。でも、どうなってんだよ」
まるで古い記憶を思い出すとともに、昔の彼自身が忘れていた彼自身が、少しだけ目覚めたかのようでもあった。
「エクエス、落ち着きなって。なんかあんたらしくないよ」
他の誰より早く、彼に声をかけたテレーゼ。そして、かつて何度も、その触れた体の部分を爛れさせた冷たい手で、彼女にとっては久しぶりに、彼のその腕をぎゅっと握る。
「ああ、悪い」
「こっちこそ、ね」
その冷たさの効果があったのかどうか、テレーゼにもわからない。ただ、彼女の手を振り払ったエクエスは、もういつも通りだと彼女にも思えた。
「まだわからないことが多いし、そもそも以前のいつだって、わかっていなかったことあると思う。おまえたち、前に」
直後の低温の傷ついた腕を、すぐ横に出現させた液体の球体につっこむエクエス。
「エディアカラ生物のことを話したろ。ロキリナ生物の記録にもあった、地球の古い多細胞生物。ミーケ、おまえはあの時に比べて何か学んでるか?」
「えっと、あの生物群は進化系統樹の中で、人間とは重ならない。もしかしたら今よりも確かめられることが少なかったかもしれないけど、地球世界の時代には少し神秘的なイメージもあって、研究対象の古生物として、かなり有名だった」
「ただ、あの生物の種が、別の世界からまかれたという説は微妙ですよ」
ミーケもだが、その生物や古い地球のシミュレーション研究を一緒に行ってきたザラも、今やエクエスより理解度が高いかもしれないくらい。
「確かに系統樹で、消えた時どころか、誕生の時から人間の枝と関係のない可能性もあるんですが、しかしそれは、全地球生物の中で孤立していた存在というわけでは決してありませんから」
「だがあの生物は、《フィデレテ》の、最初のフィラメント国家の時代には、別の宇宙と関連あると考えられていたんだ。多分、ザラ、おまえのシュミレーションでも再現できない、もう完全に失われた手がかりが当時あって」
「それはありえる話です」とザラ。
「わたしが再現できたのは、地球時代の研究記録です。それを今のわたしたちが分析しただけですから。ですが、言っておきますけどそのシミュレーションはまず間違いなく不可能なんですけど、とにかく、フィデレテ時代の、地球研究がどのようなものだったかは、まるでわかりませんから」
「でも、それがどれくらい昔のことなのか、ぼくには想像も難しいけどさ。だけど昔に、アルヘン生物かな、が地球生物に何かを託したことはかなり間違いなさそうだから。そのエディアカラ生物というのが、その何かと関連してるってだけなんじゃ」
勉強熱心なルカは、ミーケとザラがまとめた、その生物の研究記録も、もう何度も見ていたが、その規則性でもありそうな化石の二次元再現図のリストから、"機械のよう"という印象を抱いていた。
「錬金術師は明らかに人間がモデルだ。だけど、人間とエディアカラ生物は時代が違う。数億年のズレがあるはずだ」
「でも、それくらいなら」
リーザだけではなかったろう。今の話におけるスケールでは、数億年なんて誤差みたいなもので、アルヘン生物なら、そのわずかな未来に誕生する、人間という知的生物のことをも、ほとんど確実に予想できていたのではないか、と考えたのは。
「問題は《虚無を歩く者》をどうにかするための計画の一環だったことだ。地球生物に何かするのが」
エクエスは、自分でも確信できないものの、実体なきもの、というより、《虚無を歩く者》のことすら、今以上に知っていたのかもしれなかった。
「あらゆる基準において、当時の地球世界はあまりに脆いと思う。守るには、隠すしかない。つまり、ほぼ関われない」
「当時の地球は、物理系としては」
エルミィも、今はミーケやスブレットからいろいろ聞いてもいて、地球という惑星についてかなり詳しくなっている。
「少なくとも生物系の場としては、あまり安定したものでなかったとはわたしも思う。孤立してたなら、数億年という時間は長いわ。知的生物がいつか発生することはわかっても、それが人間だと予測することはまず不可能よ」
「だが、もちろんアルヘン生物が、〈ジオ〉を発見したのは、地球そのものが発生する以前だぞ」と、話に入ってきたイカの見た目のネーデ生物、エルディク。
「ネーデの記録にある出会いは、また古すぎる」
それに、エクエスがあらためて指摘するまでもなく、その時のアルヘン生物の訪問は、《虚無を歩く者》と関係なかったろう。それはまだアルヘン生物が宇宙を調査していた時代で、虚無どころか、エルレード生物との遭遇すらまだだったかもしれない。
「エクエス、きみは、そのエディアカラ生物というものを地球にもたらしたのは、結局何だと思うの?」
「エルレード生物かもとは考えたが、そうではなさそうなのか?」
「まず間違いなく、それはないよ」
ユレイダには、エクエスのそこまでの言葉がおそらくわかっていた。
「それで、他の可能性は?」
「神々、だけど」
もう、すっかりよくなっていた腕の、調子を確かめるように軽く振るエクエス。
「ちょうど、新しく気になってることが、この報告の先にまだありそうだ。まず続き頼む」
そうして中断させた本人の提案により、アトラの報告の続きをまた読む流れ。
[話(3)「《虚無を歩く者》について、アトラの結論」
先の報告の通り、ぼくは〈メール〉で、《虚無を歩く者》と4回遭遇し、その最後の時には、ソレの感情と、感情の原因となった記憶をいくらか見ました。
この報告は求められているものではないと思います。ですが、ぼくはあなたたちに、個人的に伝えておきたい。
《虚無を歩く者》は、この宇宙の始まりの時を知っています。ぼくには理解できないものでしたが、それはその記憶の段階での理解の方法が、物質生物とあまりに違うためです。ぼくが理解できたのは、《虚無を歩く者》が、この宇宙において、物質を媒介として理解したことだけです。そしてその始まりの時、物質は存在しませんでした。物質世界でのそれの最初の記憶は、学びでした。ソレは長い時間をかけて、いくつものことを学びました。感情を理解していたことを理解したのは、悲しみのためです。永遠の虚無なる存在は、物質生物と共に死ぬことがどうしてもできないことを理解して、ソレは悲しんだのです]
「少しだけ、いいかな」
今度は報告内容を見せるユレイダ自身が、一旦それを中断させる。
「エクエス、実際のところ、きみが生きてきた中で何を理解してきたのか。そこに重要な何かがあるとしても、ぼくにはまだ予想もできない。だけどきみは」
だがそれも、いったいいつからと言えるのか。
「ぼくと同じ問題点を重要視してる気がする。この報告の先とも、それは関係ある」
「多分、その通りだと思う」
他にもそう感じた者がいたろうか。テレーゼはまた、その時点でのエクエスが、自分の知っている彼と違うような気がした。
「裏切りだろ。この先にあるのは」
そう、それは裏切りだ。物質の宇宙に対する裏切り。