4ー10・無茶だった計画(地質学者2)
アズテア第六暦9年の105日。
〈ジオ〉に現れて、リーザに返り討ちにされた《虚無を歩く者》が、辿ってきた14の領域を逆に辿るミズガラクタ号とカルカ号が、自分たちの4領域を発ってから8年ほどが経った。
ザラは、現在船が進行中である領域に関してのシミュレーション研究の途中だが、あいかわらずミーケと話す話題は、母の研究に関連することが多い。
リリエンデラと素粒子ヒモの宇宙に関する再発見の後、ふたりはさらにこの方面での研究を続け、彼らにそのことが確信できるわけはなかったが、もうかつてのミラとエルクスと同じ程度には、それらのことと関連分野にふたりは通じていた。
ミーケとザラのふたりだけの会議の場は、数年前からミーケの方の部屋が使われている。単純に物が少なく落ち着いて話しやすいからだ。丸テーブルに4つほどのイスとベッド以外にはほとんど何もないと言ってもいい。正確には、小型や不定形の様々なコンピューターや、バーチャルの日用品があるが、マクロサイズの利用が必要になる時以外には実質的にないも同じだろう。
ミズガラクタ号という船の内部テクノロジーのレベルと、"世界樹"の典型的な文化を考えると、別にミーケの部屋が特別質素という訳でもなく、普通である。ザラの部屋には、常にいくつか開発中のシュミレーションに関連した、データを表示するモニターや、何らかの再現物質群のミニチュアがふわふわと漂っていたりするが、これはミズガラクタ号というか、"世界樹"の標準的な感覚では、散らかっている部屋と言える。
ふたりが何かを話しあう時、最近は、主たる議題を最初に持ち出すのはミーケであることが多いが、その時はザラの方だった。
「ミーケ、母が不思議な直感を与えられたのだとして」
なんだかんだで、まだそのこと自体は仮説にしかすぎない。
「だいたい、ここでいう直感というのは、わたしたちが考えているようなもので正しいのでしょうか。最近わたしは、別の定義を探るべきなんじゃないかと考え始めてます」
直感という能力は、普通には神経生物学、心層学、それに複雑系計算が重要な他分野に関連する性質とされる。ただし、"世界樹"においても、それに関して、絶対的数値を定義するような方法は知られていない。
「アルヘン生物が何を理解していたかはともかく、わたしたちが想定できる直感はどれも複雑すぎで、的確に狙った誰かに、強いそれを与えるなんてこと」
「きみのお母さんが確かに選ばれたとするなら」
ミーケも同じことを考えたことがあるが、別の結論を出していた。
「正確には、ミラという誰かというより、彼女みたいな、まあ、なんというか、ちょっとぶっ飛んだ系の人を選んだ、て考えるべきと思うけど」
ミーケは、これまでにも何度か、ミラを評するのに「ぶっ飛んだ」という表現を使ってきた。それは彼なりの、科学者である彼女の印象。性格とかはあまり関係ない。ただ、理解より、計算より、勘に一番頼って、自分にしか出せない成果を出したという、彼としては非常に驚くべき才能への畏敬を込めた表現。
「予想できなかったことは多分、感情の変化。ジオ族のか、単に他の領域の生物のかわからないけど、でももし彼女が、研究者としての役割を与えられていて、だけど自分ですべきことをきみに託そうって考えて、それが間違いだったとするなら」
もう、だいたいミーケたちも理解していた。つまりミラは間違ってしまっていたこと。彼女は、最後までその役割を全うすべきだった。天才の娘だろうと、どこかの大科学者だろうと、彼女と同じことを行うことなんてできない。ミーケたちは結局、《虚無を歩く者》と実際に遭遇したおかげて得られた情報分しか、ミラの研究を進めれていないとも言える。
「もちろんちょっと悔しいって気持ちありますから、わたしとしてはあまり認めたくないですけど、正直それが真相だと思います。わたしはとても幸運でしたけど、それは多分アルヘン生物も予想してなかったことです」
ザラは、ミーケとリーザに出会えて、他にも明らかに仲間に恵まれた。それは感情的な意味でなく、実用的な意味で言ってもそうだろう。
「でもそういう幸運は、無意味な時間をすごしたから、と結論できそうなのも怖いくらいです。母が失われた水に関して論文を書いた時期を考えると、あれがもし、わざと曖昧に書いてたりするんだったら、つまり研究を引き継ぐわたしが最初から間違っている可能性のある道を進まないように、自分自身で考えた部分とかは省いているのだとしたら」
実際その可能性は非常に高かった。実際のミラの研究記録はほとんど残ってはいないが、それでも少しは残っている。そしてそのわずかな記録を、ザラはすべて知っているが、どの部分をとってみても、論文に書かれている以上のことを彼女がすでに理解していたことを思わせるから。
例えば論文には名前を出さなかった〈ネーデ〉を介して、〈ジオ〉とも少し繋がりのあったらしいアルヘン生物のこと。リリエンデラと素粒子ヒモを見いだすヒントになったフィデレテ時代のことなど。論文に書かれている情報だけからたどり着くことなんて、おそらく誰にも不可能なくらい。
ミラは基本的に嫌われ者な異端学者で、言ってしまえばかなり不真面目な性格であるので、曖昧な論文の理由に関して、他にも色々考えようがあったというのも問題だった。
ザラとしては、仮に母がわざと残さなかった研究成果があるなら、それは母が、自分に自信がなかったからだろうと考えていた。それは確かにそうなのだが、しかし仮に彼女が、今自分もミーケもそうだと考えてるように、彼女がすでに、神々のミニチュアモデルとも言えるリリエンデラのことまで見いだしていたなら、それはもう、例の論文なんてほとんど何も書いてないに等しい。
彼女はもしかしたら、神々にも、その敵に関しても、アルヘン生物が望んでいたことまで知っていたのかもしれない。彼女は、ネーデ生物とも出会わず、《ヴァルキュス》の方の情報も、それにミーケもエクエスもリセノラもなしで、そこまでたどり着いていたのだ。
「おれの考えだけど、アルヘン生物は、時間スケール的にも、きみの母さんを選ぶことは可能だったと思う。前の、カオス生物のことを覚えてる? 複雑性の関数を最初0として、時空間的変化と、デジタル空間での個の変化のバリエーションや速度の関係を考えてみたらね。きみがよく使ってるようなのに比べたらすごく単純なシュミレーションだけど。カオス生物の実在は、予想限界に関して、おれたちなんかには想像を絶するようなゲージの高さが確かにありうることを示唆してもいるから。つまり結果的に」
わかりやすい軌跡を後に残しながら、少しずつ横にズレていくような回転運動をしているいくつかの点と、それらと重ねって見にくいが、別に読ませるためのものではなさそうな文字群。その単純なシミュレーションが実行されていることを示すそういう映像を、テーブルの上に表示させたミーケ。
「ただ、おれもあまり自信あるとは言えないから、もうちょっとだけ自分だけで調整したら、きみに意見聞くつもりだったんだ。まあちょっと早くなったけど」
「いえ、見事と思います。ですけど正直、素人の勘違いもあると思いますね」
テーブルの上の映像でなく、自分の手元に表示させたモニターで、そのシュミレーションのプログラムと、導出された計算結果を確認したザラ。
「生物の種数まずい?」
それは〈ジオ〉領域におけるシミュレーションであるが、生物がヒトしかいないことを前提にしている。
「いえ、それは。少なくとも大災害以降では、星系以上の範囲に影響力を持てた、正確には保てたでしょうけど、とにかくそういうジオ生物は人間だけのはずですし」
そのこと自体は、一般的に確実な通説とは言えないのだが、エクエスなどはかつての(『水文学会』の)研究の時、それが事実であることを確信していた。
「でも、実際そうでも、どこの星系世界でも、非ヒト生物はシステム要素としてかなり確実にあるはず」
「まず母は、かなり確実にそのことを知らなかったはずです。他生物にまるで興味ない人でしたし。別宇宙領域の生物に関しても、擬人化がひどいです。もちろんそれは、彼女の研究にはあまり関係ない問題でしたが」
人間が他の知的生物のこと(場合によっては非知的生物でも)を考える上での"擬人化精神"という古い問題は、実は宇宙において(もちろん非ヒト生物の場合は、擬人化でなく、その生物をαとし、擬α化精神と言うべきだろうが)かなり一般的である。驚くべきことに、様々なパターンの生物が知性を共有するネーデ生物ですら、その問題は容易に理解できる。あまりにも身近なものだから。他の宇宙領域でなくても、自分が生まれたのとは別の世界の知的生物の存在を理解できたどんな知的生物も、自分の種とは違っていて、しかし知性を持っている生物というものは、この唯一の宇宙をどう考える時にでも、絶対に無視できない要素でありうる。
むしろ〈ジオ〉では、ほとんど一般的に人間しか存在していない上、生命機構の(特に寿命の)調整が一般的な、大災害以降の方が、その問題は深刻と言えるかもしれない。
ほんの数千年でも、人間以外の生物を知らないで生きてきた人間が、全く別次元パターンの精神を考えることは、例えば100年だけ生きた人よりも難しいだろう。人間はもともと、せいぜい数百年で死ぬ生物とされる。そして物理的な調整テクノロジーも、それによる操作性を向上させる緑液系すら、精神構造、つまりは心層空間と呼ばれるもの自体にそれほど大きな変化をもたらしたわけではない。
もっとも、"世界樹"で学者を名乗る者なら、興味対象に関係なく、ほとんど一般常識で、心層空間関連、ようするに別の知的生物の精神性を考える上での問題意識はたいてい持っている。もちろんミラは例外だった訳であるが。
「そもそも、対象領域の生物の感覚システムの範囲がジオ生物程度で、〈ジオ〉の空間サイズなら、精神性の違い、しかもあるとしても、同じ宇宙領域の生物種同士の違いがもたらす要素の数値の誤差は、ほとんど問題にならないと言うか、むしろ物質空間操作のテクノロジーで広げられる感覚範囲の方が重要でしょう。ですが、わたしたちとアミアルンたちのような、別宇宙領域の異種同士ですら、そのコミュニケーションシステムの概要はかなり普遍的です。さらにわたしたち生物について、集団を詰め込んだ領域でのシミュレーションは、もちろん個々の生物より、社会と呼ばれるネットワークの変化が最重要な因子となります。併せて考えると、生物の数はともかく種のバリエーションに関しては、わたしたちが問題にしてるスケールでは、全く問題にならないと思います」
「でも、それじゃ」
「わたしがそのシミュレーションに関して間違ってると思ったのは、方法というより解釈に関してです。ようするにですね」
非常に込み入った話であり、ザラは詳細は飛ばしたが、結論は単純なものだ。
「あなたが、最初に0と設定したもの、複雑性の関数ですが、その変化率と未来予測難易度の関係です。あなたの方法で、調整役をアルヘン生物、というか外部宇宙領域の生物と想定するなら」
「あ、最初0に」
「そういうことです。それには0でない初期値があって、それであなたの方法では、ほんのわずかでもそれが0でなくなるだけで、結果は劇的に変わります。予測不可能性はこのシミュレーション自体に適用できるでしょう。つまり、あなたは宇宙のすがたを決めつけすぎてたわけですね」
正確にはミーケは、最低限含めて考えないといけなかった時空間の広がりを図り間違えていた。ある時点からの〈ジオ〉における未来の予測可能性をシミュレートするのに、当然必須なのは〈ジオ〉の領域の予測範囲と彼は考えていた。しかし予測者を外部宇宙領域の者にする場合、すでに関数として確実に0と定義できないその影響力が、どうしても無視できない。ある領域の情報を全く知らずにその領域の予測をすることは本質的に不可能であるはずだから。予測のためには理解する必要がある以上、どうしてもそのための物質同士の関わりが、普通の状態を変える。しかもそれは、予測範囲のスケールが大きければ大きいほど、完全に避けられない問題となる。
「でも、だとして」
そう、自分が仮に、そうだという証明、そのためのシュミレーション開発にすっかり失敗したのだとしても、それでもミーケには、その過程で、確信を確実に強めた事実もあった。
「やっぱり、選べなかったものを選べたはずがないよな」
「ミーケ、あなたも予測できなかったのは感情の変化と言ったでしょう。正確には予測できなかったというよりも、それを予測しない方法しか取れなかったのだとしたら。とわたしは何度か考えことあります」
「まあ、普通に考えると、このスケールじゃ1つの要素が無くなるだけで、難易度かなり下がるよね」
「心層空間が、全ての生物に共通している基本要素なら、あるいはそれを調整の鍵に変換して、かなり汎用性高く利用できるシュミレーションのパターンがあるのかもしれません。いえ確実にあるでしょう。わたしはそれを一度たりとも作れたことないし、理論的にすらまるで知らないですが、だけど必ずあるはず。それができるからこそ、アルヘン生物は、ずっと未来の母を選ぶことができたのでしょう。もちろん失敗の原因の説明もそれでつきます」
「失敗か」
しかしミーケは、その、ミラが唯一どうしようもなく間違った選択をしてしまったことについて、おそらくザラより常にずっと楽観的であった。
「何かあると思いますか? 第二の策というか、こうなった場合のこと。例えば今ここに、あなたやエクエスやリーザがいて、母の研究を知っていることは、それも単に幸運じゃなかったとか。ミーケ、あなたは、わたしはほとんどジオ生物だと考えてますけど。だけど」
「おれがもし今、それほど重大な存在なら、それは本当にただの幸運だと思う。おれは多分、最初はここに来る気もなかった。」
だが今さら言う必要もなかった。もう何度も仲間たちに伝えてきたことだから。記憶を取り戻すために強くなってきてるようないくつかの想い。
昔、《虚無を歩く者》と、記憶を失う以前のミーケはどこかで出会ったことがある。そしておそらく、その接触のために何かを知ったミーケは、〈ジオ〉に来ることも含めて、自分の行動を決めた。
「それに、おれが自分の意思で記憶の封印を決めたのだとして」
そしてこれまで明らかになってきたことからして、その可能性は非常に高い。
「それはここで生きて色々考えた結果のはずだ。一番の根拠だってここにある」と頭を指差すミーケ。
"世界樹"では、自分自身の心の中のものを話題にする時、指差すのは頭であることが普通。
「おれは変わらない気がする。最初は不安に思ってたけど、でも今は確信してる。おれは記憶をなくしたことで変わらなかった。だけど」
リーザと出会えたことも、ザラと出会えたことも。
「記憶を失ったから、おれたちの出会いもあったろ。おれなら、ジオ生物に近い。きみがそう言ってくれるようにね。だから、ここに来た時にここに来てからでも、アルヘン生物の昔の計画をほんの少しでも知ってたなら」
「それが成功しないかもしれないと」
「絶対成功しないと思ったはずだ。ジオ生物は愛と友情のために気まぐれだから」
「でもミーケ、あなたは」
しかしそこで、言おうとした言葉を一旦飲み込んで、また新しく気づいた、というかそれも思い出したと表現するのがいいだろう。とにかく、1つの可能性にザラはまた触れる。
「あなたが後で造られたなら」
「それで、計画が古くて、もう欠陥品だったら」
ミーケも今同じ考えをちょうど抱いていた。
「ジオ生物に近い、アルヘン生物の新しい世代は修正が必要と思ったはず。心層空間を他領域に近づけて、はじめて未来予測における感情の重要性に気づいたなら」
もちろんアルヘン生物というのが、ジオ生物に比べて感情に乏しい生物というわけではないだろう。というかそれはあまり関係ない。重要なことは、アルヘン生物にも時期によって知らなかったことがあり、時には間違え、そして常に学んできたはずだということ。それもまたあらゆる知的生物に特有の特徴だ。最初から全てを知っている生物など存在しないし、結局のところ、全てを知ることができるほど、この宇宙はどんな生物にとっても小さくない。だからアルヘン生物も、〈ジオ〉という別宇宙領域の未来を利用するためのシミュレーションでミスをした。
「やっぱりわたしは、母に比べたらダメダメですかもね」
しかし、自虐的なところもあるが、今やザラも楽しそうな笑みを見せた。
「考えてみれば、ミラ・クートエンデはここにもういないけど」
やっぱり自分は幸運だとザラは心底に思う。そしてもしかしたら……
「母は間違えることで、勝とうとしたのかもですね。いえ、そのつもりがなくても、母の勝ちですよ。だってここには化物娘がいて、彼女と出会ったあなたがいて、生意気な小娘に変えられた大学者様もいます」
そしていずれもミラの時代にはまだなかった出会い。
「そうと言えば、ミラさんにとって、勝ちたかった相手がいたとして、それがアルヘン生物だったのか、神々の敵だったのかも、ちょっと興味深いね」
「母なら、得意顔で、いつだって敵は運命だけ、とか言ったかもしれないです。ただ実質的には」
しかしそこで、声だけその場に響かせたスブレットによって、また一旦話は終わった。
〔「ザラ、ミーケ。今一緒?」〕
どうせ大したことない用件だろうとは、その声の感じからわかりやすかったが、まさにその通り。
〔「ちょっとだけ来てくれないかな。前話してたゲームのことなんだけど、もうほんと、ここにリーザとエクエスもいるんだけど全然役に立たなくて」〕
そしてただ、理屈とか仮説とか関係なく、ミーケもザラも、楽しさのために笑った。