76.シチリの街に戻ってから
シチリ領の中心街シチリ。
観光都市としてにぎわいを見せるその町を見下ろすような位置に建っている領主の館の中では小さな騒動が起こっていた。
「……ちょっと、領主はまだ来ないの?」
そんな騒動の中心人物……ターシャ・アリゼラッテこと私はいかにも不機嫌そうな声と表情で領主の来訪を促す。
「申し訳ありません。すぐにまいりますので……」
不機嫌なオーラ前回の私に対して、来客対応を専門としているとみられる女性の使用人はおどおどとするばかりだ。おそらく、内心ではすぐにでも領主が来てくれないだろうかと切に願っていることだろう。
そもそも、なぜこのような騒動が起こっているのだろうか? 話は一時間ほど前。私がシチリの街に到達したころまでさかのぼる。
*
「領主の屋敷に乗り込む? 本気か?」
時間はすっかりと夜になり、港で出迎えてくれたエミリーの一言がこれである。
港について、船から降りるなり、私はエミリーにメニーやクルミを連れて領主の屋敷に行くと告げたのだ。
「メニーはともかく……どうしてその……」
「クルミ」
「クルミまでなんだ? 彼女は見たところ亜人だから……」
「はい。亜人追放令のことは聞いています。だからこそ、連れて行くんです」
普通に考えれば、クルミは亜人だから領主の屋敷などに連れて言ったら、たちまちつかまってシチリの街から追い出されてしまう。下手をしたら、牢獄に入れられる可能性もある。だが、それはクルミを連れたまま移動した場合も同じ話で、身体的特徴からして明らかに亜人である彼女の正体がばれるのも時間の問題だろう。
「まぁなぜ亜人と一緒にいるのかという点についてはあとから聞くが、あまりにもリスクが……」
「それは承知の上です。でも、この問題を解決するためには私とメニーとクルミの三人で領主のところに行く必要があるんです」
状況を把握していないせいなのか、困惑した様子を見せるエミリーに対して、私は力説する。
「わかった。そこまで言うなら認めよう。だったら、明日の……」
「ありがとうございます。それじゃ、今から行ってきますね。メーラ、領主の家までの案内よろしく」
「えっあぁはい」
「えっ今から行くのか!」
今の時間は夜だ。本来なら明日の朝ぐらいまで待って行くべきだろうが、それまでの間に私やクルミの身に何かがあるかもしれない。そんな考えから、私はすぐに領主の屋敷へと向かう。
「しかし、ターシャ。いくら何でもこの時間に行くのは失礼じゃないか?」
メーラの案内で歩きだした私のすぐ横に並んだエミリーが明日の朝出直すようにと改めて注意をする。
「ダメ。すでにクルミの姿を町の見られて目立っているんですよ。明日の朝までに何かあったらどうするんですか」
「それは……そうだが……」
夜。といっても、今は夕食を食べ始めるぐらいの時間であり、夜中ではない。
確かに太陽は沈んでいるが、眠っているところをたたき起こすなんてことにはならないはずだ。
そう踏んで、私は領主の家にアポなし訪問を勧告することとなった。
*
時は戻って、領主の屋敷の応接間。
突然の訪問であるにもかかわらず、中に入れてくれた使用人に感謝をしながら応接間に入ってみれば、さすが客人用の部屋というだけあって豪華な装飾品がこれでもかというほど置かれていた。
そんなちょっと悪趣味ともいえる部屋の中に三人そろって座っていると、部屋にやってきた別の使用人から領主は今、別の人物と会談しているところだから、少し待ってほしいと告げられた。
それから数十分が経過し、私たちはいまだに応接間で領主の来訪を待っている状況だ。
「長いですね。前の人との会談」
「そうね。どこの誰と話しをしているか知らないけれど、早くしてくれないかしら」
「ターちゃん。いきなり来たのは私たちの方だから少しは待たないと」
「もう少しの範囲は越えているんじゃないの?」
「……そうかもしれないけれど……」
待たされたことで不機嫌となっている私にたいして、メニーは戸惑っている様子だ。
もっとも、これはお互いにそういう演技をしているだけなのだが……
当初、私は普通に訪問して、普通に会談を済ませるつもりだった。
しかし、生け贄にされて、その結果漂流し、島で監禁されるという経過を経て、普通に笑顔で行くというのは不自然なので、あえて不機嫌オーラ全開でファーストコンタクトを図ろうと言う話しになったのだ。
この作戦自体、下手をすれば逆効果ともなり得るのだが、何事もなかったかのように笑顔で登場するよりはましだろうし、何よりもこちらに降りかかった不条理がダイレクトに伝わるとも言えるので、良策だと踏んでいる。
「ねぇメイドさん。領主様はまだなの?」
「はい。会談が長引いているようでして……」
「……そう」
しかし、前の会談とやらはどれだけ続くのだろうか? もしかしたら、私が生還したことに関する作戦会議でも開いているのかもしれない。仮にそうだとすれば、とっとと出てきてもらいたいところだが……
「……ねぇメロンちゃん」
「なんですか? ターちゃん」
「いくらなんでも長すぎない」
「……そうですね」
一応、メニーにも尋ねて見ると、彼女もやはり会談が長いと感じているようだ。
私たちが来るより前に始まっているとすると、すでに二時間は話をしていることとなる。別に会談が長い時間行われること自体には不満を言うつもりはないが、せめて、いつぐらい終わるだとか、そういう話のひとつぐらいあってもいいのではないだろうか?
もっとも、控えのメイドに聞いたところで、私は存じ上げていません。という答えしか返ってこないのだが……
さすがにこれだけの時間待っているのだから、一回帰って出直したほうが良いだろうか?
そう考え始めたとき、部屋の扉が開かれ、別の使用人が姿を現す。
「……大変お待たせいたしました」
ようやく、領主の会談が終わったのだろうか?
私はそんな期待をのせて、使用人の姿を見つめる。
「……夕食のご用意ができました。一緒にいかがでしょうか?」
「それは……領主様と一緒にということですか?」
「はい。その通りでございます」
どうやら、領主との話は夕食を食べながらになるらしい。
確かに時間的には夕食の時間でもおかしくないし、私はともかく、メニーやクルミはおなかがすいているだろう。
「えぇ。わかりました」
そんな考えのもと、私は領主からの誘いに応じる。
「……それでは、着いてきてください」
私から了承を得た使用人は扉を押さえて私たちを部屋の外へと案内する。
私は領主宅の夕食に期待をしているであろうメニーと状況を飲み込みきっていないクルミの手を引いて部屋から出ていく。
「こちらです」
私たちが部屋を出るなり、静かに扉を閉め、私たちを誘導し始める。
「……お話、せずに……ごはんなの?」
ここに来て、クルミが疑問を口にする。
「違いますよ。ご飯を食べながら、お話をするんですよ」
「なんで?」
「……えっと、なんでと言われましても……」
クルミからの純粋な疑問にメニーは対応しきれていないらしい。代わりに答えたのは、私たちの半歩前を歩く使用人だ。
「領主はあなた方との食事を通して、交流を深め、よりスムーズに話を進めることを願っています。それに、せっかく遠方からいらした客人を無下に帰すのも申し訳ありませんので」
「つまり、どういう、こと?」
「あなた方と仲良くしたいということです」
「そう。なんだ」
クルミは“仲良く”という言葉を小さく繰り返して、笑顔を浮かべる。
その一方で、私はまっすぐと前を見て表情を引き締める。
ここからが勝負だ。
私は心の中でシミュレーションを繰り返しながら、廊下を進んでいった。




