69.教会の地下室
「……知らない匂い。誰?」
部屋に入るなり、そんな声が聞こえてくる。
扉を閉めて、周りを見回してみると、部屋の奥におかれた椅子にちょこんと座る少女の姿があった。
おそらく、私よりも年上だと思われるその少女は褐色の肌と青い瞳を持ち、布切れを切っただけだと思われる簡素な服に身を包んでいる。
そこまでなら、普通の女の子なのだが、頭の上にある犬のような耳と、服とズボンの間から顔をだしている尻尾が、彼女が普通の存在ではないことをありありと知らしめている。
「私はターシャよ。あなたは?」
私が名前を聞くと、彼女は小さく首を振る。
「私、名前ないの。みんな、お前とか、あんた、とか言うの」
「えっと、そうなんだ」
どうしたものだろうか?
とりあえず、この娘が誰かに冷遇されていることはわかったが、対処のしようがない。
「えっと……でも、名前がないと呼びづらいというかなんというか……」
少女を冷遇しているのは間違いなくこの島の住民だろう。聞いた話が本当なら、周りとの関係は希薄なはずで、島へ出入りしることは簡単ではない。となると、わざわざこの少女を冷遇するために島へ出入りする人間がいるとは考えづらいのだ。
「ないものはないんだもん。仕方ないでしょう」
とりあえず、現実から目をそらそうとして少女の処遇とは関係のない話を展開する。
「それじゃ、私がつけてあげようか? 名前」
「……いらない。お前もどうせ私を変な目で見るんだから」
しかし、現実というのは非情で、少女は自ら自分の境遇があまりよくありませんといっているのも同然な一言を発する。
「えっと……大丈夫だよ。信頼して。私はあなたのことを変な目で見たりしないからさ……」
とにかく、この状況から切り抜けたい。その一心で私は彼女と会話をする。
確かに彼女は人外かもしれないが、だからといって変な目で見るつもりはないし、それを理由に何かをするつもりもない。そのことだけはきっちりとアピールする必要もある。
「……ふーん。あっそう。いつまで続くかな」
どれだけの環境下に置かれていたら、これほどまでに歪んた性格の少女が出来上がるのだろうか? 彼女は私の言葉を信頼する様子など見せずに相変わらず疑いの目でこちらを見ている。
「まぁ私がいて不快なら、私はここで……」
この場にこれ以上いるのは得策ではないだろう。彼女のことは気になるが、私は私でシチリに帰らなければならない。彼女はかわいそうだが、ずっとかまっているわけにはいかない。
自分にそう言い聞かせながら、私は自分が入ってきた扉のノブに手をかける。
「あれ?」
しかし、入るときは簡単に動いたドアノブはびくとも動かない。どうやら、外側からしか開けないようになっているらしい。
「そんな風に出れたら……私、外出てる」
ですよねー。状況からして、内側から簡単に扉があくなんてことがあるはずもなかった。
扉があかないことを確認した私は、誰かが少女に食料を持ってくることを期待しながら少女のところへと戻ってくる。
「それで? あなたはどうしてここに?」
ここまで来たら、少女の身の上話でも聞きながら時間が過ぎるのを待つしかないだろう。
なぜか、そういう判断に至った私は彼女の前に座って質問をする。
「お前、何も知らないのか?」
「知らないよ。海を漂流してて、魚と一緒に水揚げされて、それでいて、島で荷物を詰め込む間暇だから探検していただけだもの」
「何それ……」
私が簡単に説明したここまで来た経緯に少女は引き気味だ。確かに魚と一緒に水揚げされただの、探検していたら偶然たどり着いただの信じられない話ばかりなのかもしれない。
「それで? あなたはどうしてここに?」
「……私は生まれたときからここにいる。どうして、こんなところにいるのかも、どうして、こんなところに閉じ込められているかもわからない。でも、たくさんの本がおいてあるから、外の世界に何があるのか、外の世界で何が起こっているのかは何となく知っている。ただ、それだけ」
彼女が外で起こっていることというのは、かつてマミ・シャルロッテが発動したとされる亜人追放令のことだろう。歴史の授業で習ったところによると、マミ自身は一領主に過ぎないが、どういうわけかそれに追従する領や州が続出し、最後は国が正式に法律として認めたといわれている。つまり、この世界においては亜人という存在があるものの、全世界的に追放の対象となっているということだ。彼女の処遇もおそらく、そういうことなのだろう。
狭い島で、外との手段もあまりないこの島において、不幸にも発見された少女は教会の地下に閉じ込められて最初から存在しなかったことにされている。大体そんなところだろうか? そうなると、彼女がここまで育つほどちゃんと世話をしている理由が気になるが、そのあたりの事情はこの場で走ることはできないと思われる。
それにしてもだ。
島から人を追い出すかのような政策と、教会の地下に隠された亜人の少女……この島はいったいどうなっているのだろうか?
考えれば考えるほどわからなくなる。
すると、コツコツという足音が聞こえてきた。おそらく、誰かがこの部屋に近づいてきているのだろう。
ここから出られるかもしれない。私はそんな期待を込めて扉の近くへと向かう。
「よしっ俺が入るから、合図をしたら扉を開けろ」
「はい」
男二人と思われる会話が聞こえた後、扉がゆっくりと開く。
扉の向こうには村人と思われる男たちが立っていて、私の姿を見たとたんにぎょっとした表情を浮かべる。
「……あんた、ターシャちゃんじゃないか。どうしてこんなところに! やはり、階段を出しっぱなしにしていったのはあんたか!」
「えっと……迷っちゃいまして……偶然ここに……その……」
さて、非常に気まずい事態である。
いつかはこうなることはわかっていたが、いざその場面となると説明に困るし変な緊張をする。
「えっと……ここから出してもらってもいいかな?」
でも、私はしっかりと要求を伝える。
少女には申し訳ないところだが、私はシチリで待っているメニー達のもとへと帰らなければならない。
「ダメだ。これを見られたからには帰すわけにはいかない」
しかし返ってきたのは非常にシンプルで予想通りの答えだった。
「あの……ほかの人に話したりしないから……ね?」
「そんなこと信用できるか。ほら、奥に入った入った」
男性のうちの一人が私を持ち上げて部屋に入る。
いくら不老不死で体力があろうとも、体が小さくて軽いという事実は変わらないので私はそのまま部屋の奥まで連行されてしまう。
「……その子供、今日から私の仲間?」
「あぁ。こいつもお前と一緒で今日からここに住むことになったからな。食事は二人分用意してやるからけんかするなよ」
どうやら、勝手にこの場に立ち入った私は勝手にここの住民にされてしまったらしい。
「いや、あの……家に帰りたいです。帰してくださいお願いします!」
しかし、それを許容するわけにはいかない。
私は男性に向けて土下座をして懇願するが、男性がそれに応じる気配はない。
「いいから黙ってここに住め。死ぬまでな」
そういうと、男性は焼き魚を一つ置いて立ち去っていく。
死ぬまで。といわれたところで死ぬことのない私はどうしたらいいのだろうか?
そんなことを呆然と考えながら、私は男性が立ち去って行った扉の方を見つめていた。




