63.帝都近くのリゾート地
馬車が学校を出てから、約一週間。
途中で学園の馬車から普通の乗合馬車に乗り換えた私たちはようやく帝都に一番近いとされるリゾート地シチリに到着しようとしていた。
シチリの街はシチリ領の中心街であり、リゾート地という面だけでなく、シチリ領の政治の中枢であるシチリ領議会やその他行政機関も集まっている町だ。
中心街と観光都市という二つの顔を持つシチリは美しい白浜と青い海に沿って巨大な街を形成していて、海岸線に沿って街を貫くシチリ街道は、馬車で進むのが遅くなるほどたくさんの人であふれかえっており、乗合馬車の終着地であるシチリ中央馬車乗合所になかなかたどり着くことができない。
「うーん。なかなか進まないですねー町に入るまでは順調でしたのに」
「そうだね。まぁゆっくりと待とうよ。楽しみはちょっと先に取っておくぐらいの気持ちでさ」
白い砂浜とは対照的に赤いレンガ造りの建物が並ぶ町並みはなかなか見ごたえのあるものだが、馬車の中から見える範囲は限られているし、何よりも馬車の速度が遅くなかなか前に進まない関係で風景が変わらないので飽きてしまったのだろう。
サントルは小さくため息をついて、再び馬車の外へと視線を送る。
「せっかく、ここまで来たのですから速く泳ぎたいものですね」
「そうですね。ターちゃんは泳ぐ時間が減ってもいいみたいですけれど、私たちは一刻も早く泳ぎだして、目一杯遊びたいですからね」
「確かにそうだな。よく遊び、よく学ぶ。こういった無駄な時間は少ない方がいい」
どうやら、のんびり待ってもいいのではないかという私の意見は少数派らしい。
意外なことにエミリーも早く泳ぎたいと思っているらしく、サントルやメニーと同様に遊びたくてうずうずしているようだ。
よくよく考えてみれば、引率を頼んだ時も即答だったし、エミリーはこういったレジャーを楽しみたい人なのかもしれない。
「……そんなに待てないなら、さっさと馬車を降りて歩いた方が早いぐらいじゃないの?」
「それはだめだ。運賃を払っている以上は目的地まで行かないともったいないじゃないか」
「そうですよ。ターちゃん。それにまだまだ目的地までは遠いですから、遊ぶ前につかれてしまいます」
私の提案はどこかずれているのだろうか? 馬車の外の人の流れを見る限り、人の合間を縫ってゆっくりと進む馬車よりも、周りを歩く人たちの速度の方が早いので歩いた方が早く目的地に着く。そう提案しただけなのに割とまじめな理由で反論されてしまった。
「まぁそれならそれでいいけれど」
楽だけど到着が遅い馬車と、疲れるけれど到着が早いであろう徒歩。結果的に私たちがとった選択は前者だということだ。
確かに目的地である海水浴場についた時点でくたくたになっていては意味がないといえるかもしれない。もっとも、このまま馬車が遅れに遅れて海水浴場についた時点で泳ぐのに適した時間を過ぎていたら、それはそれで意味がないのだが……
「それにしても、海に入るというのはどのような感触なのでしょうか? 私、初めてなのでよくわからなくて……」
くだらないことを考えている私の横でサントルがちょっとした疑問を口にする。
「そうだね。メロンちゃんは何か知っているの?」
一応、前世で海に入ったことはあるが、今の私は海から遠く離れたアリゼ領の出身であるし、何よりもこちらの世界の海のことをよく知らないので、何も知らないふりをしてメニーに話を振る。
メニーは少し考えこむような姿勢を見せてからゆっくりと話し始めた。
「そうですねー今の時期ですと、浅いところ……表面は暖かいですけれど、深いところに行くとひんやりとしていて気持ちいいですよ。あとは、なんというか……ちょっとべたべたしたりしますね」
「メニー様は海に入ったことがあるのですか?」
「えぇ。友達と遠出をして海に行ったことがありまして……その時の体験ですよ」
「そうなんですね」
そういえば、前にメニーがメロ州は海に面している部分があると話していたような気がする。その時は海で泳いだのかまでは聞かなかったが、どうやら泳いだこともあるらしい。
そう考えると、入学以前の彼女は非常に積極的に外に出ていたということが伺える。もしかしたら、長期休暇以外でも、自由に外出できるという状態だったら、彼女と私は帝都のあちらへこちらへと遊びに行っているかもしれない。
「メニーって本当にいろいろとな所に行っているよね」
「はい。自分の目で見て確かめる。それが一番だと思っていますので。ですから、今日からの旅行も楽しみにしていたんですよ」
「そうなんですね」
メニーとサントルの会話を聞きながら、私は再び馬車の外へと視線を送る。
「それにしても、ここの時点でこんな人がいたら海水浴場の込み方とかすごいんじゃないかな……」
私は周りの状況を見ながら、不安を口にする。
馬車の外に見えるのは、街道だけではなく砂浜にまでたくさんの人があふれている光景だ。
さすがに建物の間にある小さな街道まで人に埋め尽くされているということはないのだが、それでもせっかくの海がイモ洗い状態になっているのではないかと不安になる。
「そのあたりは大丈夫だ」
私の不安に対して、答えを提示したのはエミリーだ。
彼女は得意げな表情で私に語り掛ける。
「確かにこのあたりには人が多いが、今回取った宿には格安で利用できるプライベートビーチがあるんだ。そこを利用できるのは宿に泊まっている人間だけだから、このあたりのようなことはない」
「あれ? 今回の宿って無料で利用できる学校の施設ですよね? そんなにいい宿なんですか?」
「あぁ。魔法学校は学校敷地外にもたくさんの土地を持っているからな。今回いく宿とそのプライベートビーチもまた学校の敷地内だ。今回は部活の合宿とも外れているから、私たち四人で貸し切りだぞ」
学校の無料の施設というから、そんなに期待はしていなかったのだが、どうやらそれは間違っていたらしい。
確かに山一つを学校にしてしまうような資金力のある学校だ。外部の合宿用の施設一つとっても立派なものになっているということなのかもしれない。
「なるほど。私たち以外がいないのなら安心して利用できますね」
「そうですね。あまりたくさんの人がいますと、トラブルも起きやすくなりますし」
「確かにそれは言えてますね」
確かに四人しかないのなら、ほかの客とどうだこうだというトラブルはないだろう。ないだろうが、そのプライベートビーチがどのような形で区切られているかわからないので、トラブルが完全になくなるということはないだろう。
いや、そんなことを考えている場合ではない。せっかくの夏休み。その思い出づくりの第一歩だ。
そういった暗いことは考えずに楽しむことに専念するべきだろう。
サントルとメニーが到着してからのプランについて話をする中、私は持ってきた本を開いて、静かに読書を始める。
「ちょっと、ターちゃんも本を読んでないで話に加わってくださいよ」
「……そういう細かい部分の調整は二人に任せるわ」
「もう。そうやって言って……本当に私たちで決めてしまっていいんですか?」
「いいって。大丈夫大丈夫」
私としては、海に入れれば満足なので残りはどこに行くかという点については二人に任せてしまっていいだろう。
私は横目でメニーとサントルの様子を伺いながら、「猫でもわかる魔法の使い方」と題された本を読み始める。
しばらくの間、メニーは私を議論に参加させようと積極的に話しかけてきたが、やがて私の反応が薄いことで魏論に参加する気がないことを察したのか、大きくため息をついてからサントルと二人で話を始める。
こうして、私が本を半分ほど読み終わるころには馬車は目的地に到着することができた。




