3-1 もたないひと/魔法共有
うふふ、エタったと思った? ゴメンよっ!
裁縫道具は纏めて机の引き出しの中に、服は畳んで衣装入れにしまいます。
スカートの物入れにある、ずしりと重いお金入りの小袋はどうしましょう。
少し考えて、裁縫道具とは別の段の引き出しにしまうことにしました。
小袋を物入れから取り出して―――足元でからん、という軽い音。
中身がこぼれましたかね?
視線を向ければ、そこには木の札が落ちています。
あ、これ……………………お役所での引き換え札じゃないですか!! ヤダー!!
受け取ったことを忘れていたことを理解して、全身から血の気が引きました。
主人から託された仕事をこなせない奴隷……これは手打ちものでしょう。
「ど、どうしましょう……今から行ってお役所はやってますかね」
窓から外を見れば、日は沈んで空は暗く、遠くの山脈に辛うじて夕焼けの名残がある程度です。
今から街に向かったとしても、私の足ではお役所につく頃には夜中でしょう。
えっと、えっと、まずはご主人に相談……いえ、弁明をしに行かないと。
小袋を引き出しの奥にしまい込み、引き換え札を拾って重い足取りで食堂へと向かいます。
ふと、親からの頼まれごとを失敗したことを告げに行った時のことを思い出しました。
あの時は、素直に謝ったことを褒められ、次は失敗しないように諭されました。
ですが、今回はそうは行かないでしょう。なんせ親子ではなく、奴隷と主人です。
不思議と斬首はないという確信のようなものはありますが………鞭打ちは嫌ですね…………。
*
食堂にたどり着くと、何とも美味しそうな匂いがしました。
匂いを辿って視線を巡らせると、机の上には二人分の夕食が並んでいます。
パン、汁物、主菜、副菜、水差しと相変わらずの豪華さです。ああ、食べられるといいなぁ……。
そんなことを考えながら、ご主人がいるであろう台所へ通じる扉へと向かいます。
台所は食堂と庭、それに台所を挟んで反対側の部屋に繋がっているらしいのですが、廊下に面する扉はありません。
何とも変な造りをしている気がしますが、大きなお屋敷というものは、こういうものなのでしょう。
たぶん、恐らくきっと。
目の前となった台所への扉を前に、覚悟を決めようと大きく息を吸って。
―――がちゃ、ぎぃぃ
図ったように、扉が開きました。
そして現れる、何故か脇に鐘を抱えたご主人。
「先に座っていろ、これを置いたら直ぐに食事だ」
「え、あ、あの、ええとですね、お話があるのですが……」
「食べながら聞く」
言って、ご主人は私の横をすり抜けると、廊下へと向かっていきます。
その背は取っ掛かりのない崖のようで、話しかけても流されるのが見えるよう。
今日の夕食の味は、きっとわかりませんね。
そんなことを考えながら、いつもの席に座ります。
目の前に並んでいるのは、柔らかそうなパン、黄色い汁物、いつもの葉の物のサラダ、そして焼かれたお肉です。
お肉ですか―――――……あ、今日で私の人生、終わりかもしれません。
「申請から七日間は受け付けられるようになっているから、暇を見て引き換えに行くといい」
身を竦ませて、恐る恐るに事の次第を話した私に、ご主人はあっさりと言って一口大に千切ったパンを口の中に放り込みました。
「お、お叱りのほうは……」
「する理由がない。
そもそも俺からの仕事は窓口に書類を提出した時点で終わっている」
はい? では、この手元にある木の札は何のために……?
まじまじと手に持った札を見つめます。
「在留者長期被雇用証明書の受け取りに必要だからな」
「ざ、ざいりゅ……え?」
……………り、理解できる言葉でお願いします。
今の私は魔法の……というより、属性の効果で言葉の意味程度ならなんとなく理解できるはずです。
だというのに、わからないというのは一体、どういうことなのか。
「別領地の人間だがこの領地の人間に雇われている、ということを証明するものだ。
要するに、一種の身分証だな」
少しおかしな発言があった気がしますが、まあどうでもいいでしょう。
それよりも、なぜ私が身分証とやらを与えられるのでしょうか?
「在留者長期雇用証明書を提出すると、在留者長期被雇用証明書が発行される事になっている。
前者の提出は長期雇用を行う者の義務だからな、これは俺も例外ではない」
………なるほど。
お役所に提出することが決まっているものを出すと、結果として私に身分証が与えられる……ということでしょう。
ですが、何の役に立つのでしょうね、身分証って。
「公衆浴場などの行政福祉を半値で受けられたり、官憲からの職質を速やかに終わらせられる程度だな」
私の疑問を読み取ったのか、ご主人があっさりと答えてくれます。
今ひとつ、ピンと来ません。
行政福祉がどんなものなのかわかりませんし、職質って何でしょう?
まあ、要するにあれです。
「あれば便利なもの、ということでしょうか?」
ご主人は小さく頷いて、それから呟くようにして言いました。
「まあ………七日を過ぎると書類再提出になるから、忘れずに行ってくれ」
「あっはい」
私が頷きと共に答え、そこで会話は途切れました。
ご主人は何も語らず、私ももう語ること……は色々とあるのですが、切欠が掴めません。
まあ幸いにして失敗は未だ失敗ではないようでした。
少なくとも七日経つまでに在留者長期被雇用証明書を受け取りに行けば、お叱りを受けることはないようです。
だから今は大丈夫。憂いもなくなったので、安心して夕食を頂きましょう。
では、まず汁物から。
底の深いお皿に注がれたそれは、全体的に黄色をしていて、話している間に冷めてしまったのか、湯気を出してはいません。
冷めたのは残念ですが、それ以上にこの黄色さはなんでしょう?
まあ食べてみれば、分かるでしょう。汁物を掬って一口。甘いです。スチート(木苺)とも甘さと違う、濃くて厚みのある甘さ。
一言で評するなら、美味しいです。ただ、一つ、問題があるとすれば。
…………………………………これ、食べても何なのか解らないです。
もう一口。甘くて美味しい。でも、何これ?
「口に合わないか?」
首を傾げていると、ご主人が言いました。
「いえ、美味しいのですが、これは何でしょう?」
「ポティルのポタージュだが」
ははぁ、ポティル(じゃが芋)でしたか……言われてみれば、確かに蒸したポティル(じゃが芋)のような味がする気がします。
うん、ポティルってこんな美味しくなるんですね。もともと美味しい部類に入る野菜ですが。
ところで。
「ポタージュとは何でしょう?」
「……………食材を漉して汁に溶いたものだな」
…………………料理で漉す?
私もそれなりに料理はしましたが、料理で漉すとかしない気がするのですが………。
料理って、洗って切るか砕いて焼く蒸す煮るものですよね? 解せぬ。
「なるほどー」
取りあえず、こくこくと頷いておきます。
いや、だって私だって女の端くれですし。女仕事である料理で知らないことがあるとか、ちょっと恥ずかしいのです。
つ、次はお肉です。気を取り直していきましょう。
お肉………豪華です。いや、もう、お肉とか滅多に食べられるものではありません。
いえ、厳密には食べる機会はそれなりにありはするのです。
ですが、こんな指の先から一つ目の間接までの厚さのお肉となると滅多に通り越して、まずありません。
まして、それが生の肉を焼いたのであろう物であれば尚更です。
お肉は塩漬けにして燻すもの。貴重な冬の間の食料です。生のお肉を厚切りにして焼く贅沢なんてありません。
まあ大きな獣を取ったときなどは、半分くらいを大鍋で煮て村人全員で美味しく頂くのですが、村の住人で分けるので一人当たりの量は多くありません。
なので、厚切りお肉の焼き物とか人生初体験です。
三叉フォークでお肉を押さえて、力を篭めてナイフを切り進めます。
お肉が柔らかいのかすっぱりと切り分けられて、少しばかり耳障りなお皿を擦る音が聞こえました。
やだ、このフォーク、切れ味よすぎ…………。
そんなことを思いながら、フォークで切ったお肉を刺して、ぱくり。
美味しい。焼いた表面から溢れ出る肉汁。噛み切れる柔らかさ、何か生っぽい部分から感じる甘み。
今まで食べたお肉が過去になりました。………もっと噛んで食べましょう。ついでに切り分ける大きさを一口の半分にまで小さくします。
ぱくり。ぱくり。ぱくり。合間にパンを頂いて、またお肉をぱくり。ぱくり。
人生とは、ぱくり。命とは、ぱくり。そうか、ぱくり。そうだったのか、ぱくり。
小さく頭を下げて。
「ご馳走になりました」
途中、あまりの美味しさに頭が驚くほど良くなって、何か理解してはいけないものを理解していた気がしますが、気のせいでしょう。
そもそも何かを食べて頭が良くなるとか有り得ませんし。何か食べるために頭が良くなるならわかりますけれど。
頭を上げると、いつの間にやら音もなく目の前に置かれている紅いお茶。
視線をご主人の居たほうに向けると、ちょうど椅子に戻るところでした。
いや、毎度毎度、思うのですが、これって私の仕事ですよね? まあ、やれと言われても、美味しいお茶の淹れ方なんて解らないのですが。
湯飲みを両手で持って、息を吹きかけ、ついでに香りを楽しみます。
ご主人が淹れてくれるお茶には色々と種類があるのですが、その中でも紅いお茶は香りがよく、嗅いでいると不思議と心が落ち着きました。
ほぅ、と一息。
今日は一日、色々とありました。
日々は穏やかに、緩やかに、変わることなく過ぎていく。それこそが村での生活でした。
しかし、街は―――或いは、街の側で暮らすというのは、慌しく、忙しく、変わり続けるものなのでしょう。
ジンライさんに乗って街へ行き、お役所の窓口であれこれして、階段から落っこちて、魔法を教えて頂き、安い食事をして、街を案内して頂き、服や靴などを買いました。
いや…………、本当に色々とありましたね。半年が一日に纏まったような感じがします。
何となく、何となく。ご主人を眺めてみます。ご主人は両目を瞑り、静かにお茶を飲んでいます。
お爺さんのような落ち着きと穏やかさで、年齢から感じられる力強さは全くありません。
二十三歳とか、何かの間違いじゃないですかね、本当。
「どうかしたか?」
ぼーっと眺めていると、私の視線に気づいたのかご主人が言いました。
え、あ、えっと、あ、いえ、その、あのですね、年齢を疑っていました、とか言えない……。
が、頑張れ私の頭、何かいい話題を引っ張り出して!
「あ、あのですね、実は魔法を使えるようになりまして」
「ゼッツから聞いている。共有だったか」
どうやって、とか思いましたが、メルギス様は魔法使いです。
何か、こう、どうにかやって知らせたのでしょう。
見る属性で、どうやって知らせたのかは解りませんが。
「ええっと、それでですね。ご主人は、何の属性なんだろうな、とか考えていまして」
奴隷風情が主人のあれこれを探るとか、無礼なことこの上ない気もしますが、言ってしまった以上は仕方ありません。
まあ、うん、解らないことは聞けと言われているから大丈夫……たぶんおそらくきっと。
「俺に魔法属性は無い」
「? 無いの魔法属性ですか?」
首を傾げる私に、ご主人は小さく首を横に振ります。
「それは無属性だろう。
超人的な身体能力と感覚、それに不老長寿を約束する幻獣の現象系統と重なる意義系統」
重なるというのがちょっと解りません。
恐らくメルギス様が私に説明しなかった……というか、必要ないから省略した部分でしょう。
ただ、確かなのは無属性は何か凄いことになる属性であるということです。
「俺はな、そもそも初めから魔法属性を持っていない。
俺が振るえるのは、培った人生だけだ」
―――――遥か、遠く、霞むほど彼方の。
胸に突如として湧き上がった感想に、くらりとした眩暈を感じます。
閉じている状態から僅かに零れ落ちるものが属性効果だとするのなら。
その僅かな効果ですら感じ取れる、いいえ、感じ取ってしまう―――――力強い何か。
「培った人生…………」
繰り返すように呟きます。
それが何なのか。それが何になるというのか。
そんな誰もが当たり前に持っていて、誰もが当たり前に得られるものが、一体、何になるというのか。
誰にもないモノがなければ、何にもならないし、何も成せはしないでしょう。
当たり前のように、雪崩に押し潰されて失われるだけの――――
ぼんやりとそんなことを考えていると、ご主人は食器を重ねて立ち上がります。
食後の一服も終わり、片づけを始めるのでしょう。
「俺のような半端者の若造では、培ったものも高が知れるがな」
何とも寂しげな呟きに、咄嗟に何かを言おうとして、しかし言葉がでませんでした。
何を言うべきか解らなかったのです。
何を寂しがっているのかも解らなければ、そもそも培ったものに私は価値を見出せていないから。
「疲れが見える。今日は勉強は止めにして早めに休むといい」
私が何も言えずにいると、ご主人はそう労わりの言葉を残して台所へと消えていきました。
ふと、イザリス様が、昔は違ったと言っていたのを思い出しました。
無口で無表情で、メイドがやるような仕事をして、奴隷を労わる人。
果たして、昔はどんな人だったのでしょう。
*
自室。
窓から差し込む月明かりを頼りに、買ってきたばかりの木綿の下服に袖を通します。
少しばかり体を捻ってみます。うん、快適。柔らかな木綿の肌触りが心地よいですね。
普段は下着姿で眠っていましたが、はっきり言って明日の太陽が見れるのか不安でした。
最近は驚くほど暖かなのですが、眠っている間に寒波到来からの凍死という流れを、どうしても想像してしまうのです
偶にあるんですよ。暖かいからと油断して暖炉の火を弱めてしまい、急激な冷え込みがきて凍死というのが。
…………私も似たような体験をしたことがありますし。
寒さに目を覚まして暖を取ろうと今に行くと、暖炉の番の父が居眠りをして火を絶やしてしまっていたのです。
私は父を蹴り起こして、隣の伯父さんの家まで種火を貰いに雪の中を走ったのはいい思い出です。誰も死にませんでしたから。
ちらりと、机を横目に見て、少しばかり後ろ髪を惹かれますが、そのまま寝台に横たわって毛布をかぶります。
ランプには火が灯っておらず、勉強の為の明かりが足りないですし、何よりご主人に休むように言われたので。
目を瞑って、眠りに落ちるまでの暇つぶしに考えを巡らせます。
思い出すのは、イザリス様の言葉です。
よく笑い、よく語り、そして静かに真っ直ぐに怒る人。
かつてのご主人はそうだったのだ、と語りました。
私の知る、ご主人とは全く違う気がします。
振り返ってご主人を思い出せば、それは。
語らず、労わり、何なのか解らない人。
慈悲深く優しい人だというのは解ります。
失敗に寛容で、奴隷に学を授けようとし、美味しい食事を食べさせてくれ、お給金までくれるお方。
なんというか、うん、イザリス様の語るご主人とは違う気がします。
笑いませんし、語りませんし、怒るどころか感情自体を見せませんし。
まあ奴隷に対して見せる姿と、親しい年下の女性に見せる姿では違うのは当然ですが。
いえ、或いは私がご主人を知ろうとしないから、違うように見えるのか。
それとも歳を取るという事は、そこまで変わってしまうほどなのか。
少しばかりの、好奇心………。明日からは、もっとご主人を良く見て……みてみましょう。
きっと、何も……変わらないでしょうが、奴隷だから知らなくていいは、違う気も……するのです……。
それにしても、イザリス……さまのいう昔のご主人は……どんなだった………の………で………しょ―――――
* * *
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なぜ? どうして? おかしい。
眠りのままに、夢の裡にて目を覚ます。
焦燥と恐怖と共に疑問が溢れ出す度に、曖昧な自己が元の容を取り戻していく。
けれど、ここは夢の中。罅割れた自我は眠ったまま、崩れかけた理性の目覚めはまだ遠い。
だから、確かな容となった自己に本能と無意識を流し込んで、問題解決の為だけの私を作り出す。
そうして、解決のために行動を起こそうとして、しかし。
解決方法が解らない…………。
原因は解っています。
私達は生まれながらに魔法を持っているからこそ、魔法が正しく機能しないことに恐怖を覚えるのです。
例えるならば、突然に理由も無く五感の一つが絶えるような、或いは、四肢の一部が動かなくなるような。
在って当たり前の機能が突如として欠損する恐怖と、それを正しく動かそうとするための焦燥です。
魔法は確かに発動しています。僅かな、表層的なものではありますが、私と誰かの知識は共有されている。
私が眠りに落ちる時、意図せず発動させたものですが、元より我が身の魔法は自我と意識があっては効果を発揮しきれないもの。
現時点において、発動の状況と発動後の状態は関係は関係ありません。
…………共有深度を深めて、誰かの知識へと手を伸ばす。
私の中に答えがないのなら、誰かの知識を一時、私のものとして答えを探りましょう。
―――ふふ、ふふふ。
ヒトとしての本能的な喜びが心を震わせました。
恐ろしいまでの知識の差、それを得たことによる万能感。
けれど、その万能感も、一つの疑問を前に、冷や水を浴びた様に成りを潜めます。
おかしい。そんな感情を持つこと自体が、おかしい。やはり正しく魔法が機能していない。
共有の魔法によって他人と知識を共有した場合、その知識は他人のものであると同時に私のものとなります。
増えたという意識も無く、最初からあるものとして認識します。増減を悟ることがあるのは、それこそ魔法の効果が失われた時でしょう。
例えるなら、初めからデータリンクされた二台のPC。
互いの接続が切断された時にこそ、用いていた情報やプログラムが相手のPCにインストールされていたものだと知るのです。
より深く、より深く手を伸ばしていく。答えを求めて繋がりを深めます。
深海へと突き進む無知盲目な魚のよう。
本来ならば耐えられない深度へと、命に拘らない恐怖と焦燥を解決するために沈んでいく。
自我が在っては耐えられない精神圧力。理性が目覚めていては崩壊せざるえない情報密度。
潜行する最中、今を持って夢を見る 誰か/私 の夢の一片が僅かに掠め、半ば私/誰かは重なりました。
――――トンテンカン、トンテンカン。われらはてつをうつもの。
――――みずへし、こわり、つみわかし。てにけんを。てにつちを。
――――たたみ、たたいて、またたたむむ。はじまりのやくそくのいちじょをになう。
幼き日の 誰か/私 と、そしてよく似た弟の声。
――――ねえ、祖父ちゃん、道場いいの?
――――みんな怒ってたし、泣いてる人もいたよ?
覚えている。忘れはしない。
月のない夜。瞬く星を縁側から 誰か/私 と祖父と弟で並んで眺めた日のこと。
戦争で人を殺した屑が、人殺しの手段を教えていると吹聴した新参者の言葉を受けるようにして、隠居仕事だった道場を祖父が閉めてしまった日のこと。
誰よりも寂しげで悲しげだった祖父の姿を覚えている。
――――じゃあさ。僕達に教えてよ。
――――うん。でも、早いか遅いかなら、早いほうがいいもの。
厳しいし辛いと言った祖父に、二人揃って頷いた。
だって、そうだ。落ち込み寂しがる祖父を見続けるほうが、もっとずっと辛いと思ったのだ。
そして、その思いは間違ってはいなかった。十一年、奥伝を教わる前に 誰か/私 は迷い込んでしまったけれど、その日々は厳しくとも辛くは――――。
夢が過ぎ去り、かみ合い始めていた歯車が空を切る。半ば重なっていた私と誰かが乖離します
そうして。
残された軋むような心の痛みと共に、理解しました。
私達と誰かには互換がない。例えるなら動作保障対象外のプログラムを無理やり起動させているようなもの。
或いは、プログラムを制御する為のドライバがないというべきでしょうか。
同じ人間だから効果を発揮しているものの、機能の六割から七割しか発揮されず、歪な形で発現しているのです。
私達は、何らかの魔法の影響を受けた際、その魔法の効果を自らに対して正しく発揮させようとする性質があります。
我が身の属性は共有なので、その性質を持たないことの影響は少ないのですが、他の属性であれば三割程度まで効果が落ちるでしょう。
しかも、その三割も意識すれば一瞬で弾き飛ばされる程度のもの。
これは魔法に対する受容性の無さではなく、単純に生物としての差異によるものですが。
彼らと私達の間にある、絶望的なまでの生物としての開き。世界のバックアップを受けずに生きる命の強さ。
私達を歯車で動くからくり人形とするならば、彼らは集積回路で駆動する複雑怪奇な機械人形です。
同じような外見をしていても、中身は最適化によって著しい成長を遂げている。
誰かの世界においては、古い時代の人間よりも生物として劣っているという意見があるようですが、それは違います。
劣っているように見えるのは、単に古の人たちが使っていた機能を眠らせているが為にすぎません。
そも遥かな星を仰ぐだけの私たちに対して、遥かな星に手を伸ばすことを意識できるアナタたちでは知性、生物として雲泥の差があるでしょう。
ですが、それでも、やりようで差を補うのが人というもの。
誰かと私の共有項目を支点として魔法を作用させれば、まあ、それなりに正しく魔法も機能するでしょう。
少なくとも私が生じるような事態が発生しない程度には。
揺らぐように、溶ける様に、紛れるように。誰かの夢に合わせて、眠りの中で眠りに落ちるように。
問題解決の為の仮想人格である私は消えていく。
消え行く私に恐れも焦りもなく、胸にあるのは喜びだけ。
共有の魔法で得られるものは、殆どありません。
他人のものは何処まで行っても他人のもの。他人のものを使ったとしても、私の中に残るのは、使った何かの輪郭と曖昧な印象だけ。
ですが、この誰かとの共有は、心の片隅に、本を読むような、映画を見たかのような、そんな教訓を、確かな印象として残すでしょう。
ああ、それが何よりも喜ばしい――――――。
いや、うん、分量少ないから纏めてと思ったんだ。