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戦わずに全部潰したら、誰も戦わなくていい村になった  作者: 慈架太子


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8:初収穫(小さな成功)

朝の畑には、これまでにないほど瑞々しく、活気あるざわめきが満ちていた。


風の音ではない。人々の、抑えきれない興奮が混じった声だ。

まだ背丈も低く、全体を見渡せばまばらにしか育っていない畝の一角。そこに、示し合わせたわけでもなく村人たちが集まり、静かな、しかし熱い円陣を作っていた。


カイゼルはその輪の少し外側で、昇り始めた太陽を眩しそうに細めながら、その様子を眺めていた。腰に手を当て、いつものように不敵で、それでいてひまわりのように明るい笑みを浮かべている。


「おいおい、そんなに大勢で囲い込んでどうしたんだ? 畑の土の下に隠した俺のへそくりでも見つけたか?」


カイゼルが陽気に声を張り上げながら歩み寄ると、人だかりがさっと割れた。中心にいた一人の少年が、震える両手を差し出して振り返る。


「カイゼルさん、これ……これを見て!」


少年の小さな手のひらに乗っていたのは、数枚の青々とした葉と、その根元にわずかばかりの膨らみを見せた実だった。

形は不揃いで、大きさも市場に出せば鼻で笑われるような未熟なものだ。だが、それは泥にまみれ、汗を流し、水を運び続けた彼らにとって、何物にも代えがたい「証」だった。


「おっ……。ははっ、なんだ、へそくりよりずっといいもんじゃないか!」


カイゼルはその場にひょいとしゃがみ込んだ。指先で軽く土を払い、根の張り具合を確かめる。腐葉土と炭を混ぜ込んだ黒い土は、今もしっとりと水分を抱え、植物の命を力強く支えていた。


「根はしっかり張ってる。水の飲み方も合格だ。こいつはこの土地の不味いメシに嫌気がさして、自力で美味いもんになろうと必死に背伸びした結果だな。予定通り……いや、予定以上の出来栄えだぜ!」


カイゼルの淡々としつつも自信に満ちた言葉が、凍りついていた村人たちの心を一気に溶かした。


「本当に……本当にできたんだな」

「こんなカチカチの場所で、食いもんが育つなんて……」

「俺たちの畑で、命が動いてる……!」


声が少しずつ、波紋のように大きくなっていく。絶望という名の重石が取れ、人々の瞳に「希望」という名の光が宿る瞬間だ。


隣で腕を組んでいたエルダが、ふんと鼻を鳴らした。

「騒ぐには早い。たった一区画、数えられるほどの実りだ。これで村が救われるわけではないぞ」


相変わらずの鉄面皮。だが、その視線は収穫された小さな実をじっと見つめており、完全に否定する色はない。


「相変わらず手厳しいねえ、エルダ! だが、お前の言う通りだ。これはゴールじゃねえ。ここから始まる『大逆転劇』の、ほんのプロローグに過ぎない。いいか全員! これは最初の一歩だ。だが、一歩踏み出したってことは、もう後戻りはできねえぞ!」


カイゼルは立ち上がると、弾けるような笑顔で一同を見渡した。


「よし、収穫だ! ただし、全部収穫した奴は俺がエルダの特製握り拳の刑に処すからな! 収穫するのは半分だ。残りは……わかるな?」


「……残すのか?」

一人の男が不思議そうに首を傾げる。


「正解! 次に繋げる『種』にするんだよ。全部食っちまえば、明日の腹は膨れても、明後日はまた空腹に逆戻りだ。そんなのは仕組みじゃねえ、ただの浪費だ。いいか、一部は今日のエネルギーに。一部は明日のための種に。そして残りの一部は、さらに畑を広げるための軍資金だ!」


「分ける、ってことか」

エルダが呟く。


「そうだ。ひとまとめにして考えちゃダメだ。役割を振り分けるのは人間も作物も同じ。効率よく、かつ持続的に回す。これがカイゼル流の『永久機関』の作り方なのさ!」


収穫作業は、これまでにないほど慎重に行われた。

泥まみれになりながら、指先ひとつひとつに神経を集中させて実を取り出す。村人たちは、まるで壊れやすい宝石を扱うかのように、小さな実を大事そうに胸に抱えていた。


「軽いのに……なんだか、ずっしり重く感じるよ、カイゼルさん」


「それはな、テオ。お前の流した汗の重さが詰まってるからだよ。価値があるもんってのは、いつだって重いもんだ」


カイゼルは軽口を叩きながらも、テオの頭を乱暴に、しかし温かく撫で回した。


広場に戻ると、そこはすでにお祭り騒ぎの準備が始まっていた。

といっても、収穫量はわずかだ。それでも、自分たちの手で作り出した食材が加わるという事実は、村の士気を天突くほどに高めていた。


「おーい、料理番! 今日は世界一贅沢なスープを作ってもらうぞ。材料はこれだ!」


「わかってるよ、カイゼルさん! 全部じゃない、少しだけ隠し味に入れるんだろ?」


「話が早くて助かるぜ! 残りはちゃんと種用に仕分けとけよ。一粒でもつまみ食いしたら、リナの特製苦汁を飲ませるからな!」


リナが横からクスクスと笑いながら覗き込む。

「あら、私の薬を罰ゲーム扱いしないで。でも、新しい収穫物の安全性は私がしっかり確認させてもらうわ。薬師の特権でね」


「頼りにしてるぜ、先生!」


鍋に火が入り、水が沸騰する。

いつも通りの干し肉とわずかな野草の鍋に、今日収穫された「奇跡の実」が投入された。

瞬間に、立ち上る湯気の香りが変わる。


「……いい匂いだ」

「昨日までのスープと、色が違う気がするぞ」


子供たちが鼻をヒクヒクさせながら集まってくる。カイゼルはその中心で、鍋をかき混ぜる料理番の背中を叩いて場を盛り上げた。


「さあ、配るぞ! 今日は一人一人が主役だ。小さな実りだが、こいつには俺たちの未来がギッシリ詰まってる。噛み締めて食えよ!」


配られた木椀のスープには、確かに今までにはなかった瑞々しい野菜の欠片が浮いていた。

一口啜れば、土の豊かさと太陽の恵みが、染み渡るような甘みとなって舌の上で弾ける。


「……うまい。本当に、うまいよ……」


誰かがこぼしたその一言が、堰を切ったように広場に広がった。

「ああ、味がする。ちゃんと、命の味がする!」

「これなら……俺たち、本当にやっていけるかもしれないな」


笑い声が弾け、重苦しかった村の空気が、まるで春の嵐が過ぎ去った後のように清々しく塗り替えられていく。


カイゼルは一人、少し離れた場所でスープを一口だけ口にし、「……悪くない」と短く呟いた。その表情はいつもの陽気な仮面ではなく、どこか穏やかな、慈しむようなものだった。


「お前、もっと喜んで踊り狂うかと思ったがな」

エルダが隣に座り、同じようにスープを啜る。


「ははっ、俺が踊り出すのは村中が金貨の雨で溺れそうになった時まで取っておくよ。これくらいの成功で満足してちゃ、設計者失格だ。……でもまあ、悪くない気分だな。いきなり大きな変化を起こすより、こういう小さな『成功体験』の積み重ねの方が、人の心には深く根を張るもんさ」


エルダは黙ってスープを飲み干し、小さく頷いた。

「……確かに、お前の言う通りかもしれん。村人の目つきが、昨日とは別人だ」


食事の後、驚くべきことが起きた。

カイゼルが何も言わないのに、村人たちが自分から立ち上がり、再び畑へと向かい始めたのだ。


「水の通り道、もう一度確認してくる!」

「腐葉土の山、空気を混ぜてこなきゃな」

「種を残す場所、綺麗に整えておこうぜ」


指示を待つだけの「止まっていた人々」が、自らの意志で「回る歯車」へと変わっていた。


「見ろよエルダ。仕組みが人を動かし始めた。これが俺の見たかった光景だ」


「まだ遅い。この程度の収穫では冬は越せんぞ」


「遅くていいんだよ。止まらなければ、いつか必ず目的地に着く。止まっている千人より、這ってでも進む一人の方が世界を変えるんだ」


カイゼルは空を見上げた。

雲は流れ、水路のせせらぎは絶えることなく、新しく耕された土は次の生命を育む準備を整えている。


「小さく勝つ。それが一番確実な勝ち方だ」


「……お前のその、回りくどくて明るい理屈。嫌いじゃないと言ったはずだ」


エルダが微かに笑みを浮かべる。その視線の先では、少年テオが次の苗床を楽しそうに指差していた。


「カイゼルさん! こっち、次は何を植える? 俺、もっとすごいもん作りたい!」


カイゼルは大きく手を振って、テオの元へ駆け出した。

「欲が出てきたな、テオ! いいぜ、次はもっと手のかかる、その代わりもっと甘い『魔法の果実』でも狙ってみるか?」


村に響く笑い声は、もう無理に作ったものではなかった。

大地から、そして人々の心の奥底から湧き上がった、自然で力強い音だった。


小さな収穫。それはただの食料ではなかった。

村という巨大な機械に差し込まれた、最初の一滴の潤滑油。

止まっていた全部が、今、確かな音を立てて回り始めた。


「さあ、次はもっと面白くなるぞ! 全員、俺についてこい!」


カイゼルの声は、どこまでも高く、澄み渡る空に響き渡っていた。

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