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戦わずに全部潰したら、誰も戦わなくていい村になった  作者: 慈架太子


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19:病人回復

朝の空気は、石を飲み込んだかのように重苦しかった。

水が流れ、土が肥え、灯りが夜を照らし始めたこの村にあっても、古くから居座り続ける「死の影」だけは、そう簡単には追い払えない。


村の一角、年季の入った一軒の家の前に、村人たちが吸い寄せられるように集まっていた。

しかし、そこには喧騒はない。誰もが祈るように、あるいは「いつもの結末」を覚悟するように、声を潜めて立ち尽くしている。


「……まだ、熱が下がらないんです」


母親の震える声が、静寂を切り裂いた。

家の中に横たわっているのは、一人の少年。十にも満たない小さな体は、三日前から猛烈な熱に浮かされ、今はもう、呼びかけに応える力も残っていない。


「下がらないなら、次は……」

誰かが漏らした言葉の先を、誰も口には出せなかった。

この村にとって、子供が熱を出してそのまま帰らぬ人となるのは、悲しいが「珍しくない」光景だった。病は不意に訪れ、抗う術もなく命を奪っていく。それがこの世界の、この土地の、残酷な「当たり前」だった。


だが――。


「おーっし、暗い顔して葬式の予行演習か? まだ早いぜ、幕を引くにはな!」


その沈滞した空気を、突き抜けるような明るい声がぶち抜いた。

カイゼルだ。いつもの不敵な笑みを浮かべ、背後には冷静な眼差しのリナを従えている。


「カイゼルさん……でも、あの子はもう……」


「『もう』なんて言葉は、俺の辞書には載ってねえ! リナ、先生の出番だ。外の野次馬はエルダ、頼んだぞ!」


「……わかっている。防衛班、道を開けろ。私語は慎め、今は静寂が最大の薬だ」

エルダの短く鋭い号令で、人垣が割れる。カイゼルとリナは、迷いのない足取りで家の中へと踏み込んだ。


室内は薄暗いが、枕元にはカイゼルが設置した魔道具の灯りが置かれていた。

揺らぎのない白い光が、少年の赤い顔を痛々しく照らし出している。


「鑑定」


カイゼルの瞳がわずかに細まり、情報の奔流が脳内を駆け抜ける。

(……感染性の熱病。免疫の低下に、不衛生な水と食事の蓄積が重なってるな。内臓の炎症がピークだ。だが、まだ『流れ』は止まってねえ)


「状況はどう?」

リナが少年の手首に触れ、脈を測る。


「感染症だ。水と食いもんの質が上がる前の『澱み』が今になって爆発したな。脱水がひどい。リナ、まずはこいつを内側から洗ってやれ」


「ええ。浄化水と、抽出したばかりの解熱成分を使うわ」

リナの手つきには、一切の迷いがない。浄化装置で作られた、一点の曇りもない水を、スプーンで少しずつ少年の唇に含ませていく。


「ゆっくり、焦らないで。……そう、いい子ね」


村人たちが、息を殺して窓の外から見守っている。

今までは祈るしかなかった。祈りが通じず、冷たくなっていく体を見送るしかなかった。

だが今、目の前で行われているのは「祈り」ではない。確かな「技術」と「仕組み」による、病魔への反撃だ。


「リナ、次はこれだ。濃度は調整してある」

カイゼルが差し出したのは、昨日工房で抽出したばかりの薬草液。


「強すぎれば体が悲鳴を上げる。弱すぎれば病魔に笑われる。……さあ、ここがリナ先生の腕の見せ所だぜ」


「分かってるわよ。……一滴ずつ、馴染ませるように」

リナは慎重に、しかし大胆に処置を施していく。数分後、少年の荒かった呼吸が、ほんのわずかだが、深さを取り戻した。


「……落ち着いた?」

母親がすがるように問う。


「まだだ。進行を止めただけだ。最後の一押しは、これで行く」


カイゼルが取り出したのは、弾丸のような形をした小さな魔道具だ。

「カイゼル、それは……」


「ヒールバレット。だが、以前の暴力的ハイパワーなやつじゃない。医療用に極限まで出力を絞り、細胞の活性化だけに特化させた『微風そよかぜ』モデルだ」


彼はそれを少年の胸元にかざした。

「いいか、坊主。ちょっとくすぐったいぞ。しっかり捕まえとけよ」


パシュ、という小さな音。

淡い、春の木漏れ日のような光が少年の体を包み込み、ゆっくりと染み込んでいく。


静寂。

数分が、数時間にも感じられる。

やがて、リナが少年の額に手を当て、ふっと表情を緩めた。


「……熱、下がってきたわね。ピークを越えたわ」


その一言が、外で見守っていた村人たちに伝わった瞬間。

地鳴りのような、しかし押し殺した歓喜の声が広がった。


「止まったのか……? あの熱が……」

「助かる……助かるんだな!」


「おいおい、喜ぶのは全快してこのガキが俺に悪態をつくようになってからだ! お母さん、水は定期的に。薬は俺たちの指示した時間を一秒も違えるな。……エルダ、交代で見張りを立てろ。異変があったらすぐに俺を呼べ」


カイゼルは立ち上がり、いつものように快活に指を鳴らした。


外に出ると、夕焼けの赤い光が村を染めていた。

「……五分五分だと思ったが。七分まで上げたな、カイゼル」

エルダが隣に座り、深く息を吐く。


「ははっ、エルダの評価が上がったなら、こいつはもう勝利確定だな! 医療ってのはな、結局は『時間の奪い合い』なんだ。病魔が命を奪う前に、こちらが回復の仕組みを間に合わせる。……どうだ、リナ先生。忙しくなるぜ?」


リナは工房の方向を見つめ、満足げに微笑んだ。

「……ええ。死ぬのが当たり前だった村なんて、もう飽き飽きだわ。これからは『治るのが当たり前』の村にしてあげる」


マリナが扇子で口元を隠しながら近づいてくる。

「……『死なない村』。それは最強のブランドね。人が残り、技術が積み上がり、そして何より――この村は決して裏切らないという『信用』が生まれる。カイゼル、商売のネタが尽きないわね」


「ははっ、マリナの目が金貨の形になってるぞ! だが、それでいい。希望を金に変え、金をさらなる安心に変える。それがこの村を回すガソリンだ」


夜。

少年の家からは、むせび泣くような、しかしどこまでも幸せな母親の声が聞こえていた。

それを見守る灯りの魔道具は、優しく、力強く、夜の闇を追い払っている。


「……怖くないな」

誰かが呟いた。


病気は、もはや逆らえない運命ではない。

正しく理解し、正しく仕組みで対抗すれば、打ち勝てる「障害」に変わったのだ。


「一つ動けば、全部動く。……次は、この仕組みを村全体に広げる健康診断でも始めるか!」


カイゼルの陽気な笑い声が、星空の下に響き渡る。

小さな勝利。しかしそれは、数百年続いてきた絶望の連鎖を断ち切る、決定的な一歩だった。

村はまた一歩、強く、賢く、そして豊かに。

生命の鼓動は、確かなリズムを刻みながら、明日へと加速していく。

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