第9話:「規格外の整地作業と、森の極上スープ」
スラムの淀んだ空気が嘘のように、そこには清浄な空気が満ちていた。
鬱蒼と茂る巨大な樹木、足元を彩る名もなき花々。どこからか、サラサラと澄んだ水の流れる音が聞こえてくる。
レナは大きく深呼吸をした。
「……綺麗な空気。ここなら、食材に嫌な匂いが移らない」
「で、どうするんだ。俺は腹が減っているんだが」
エドが不機嫌そうに大剣を肩に担ぎながら急かす。
彼にとって森の美しさなどどうでもいい。ただ、レナが約束した「美味い飯」だけが目当てだった。
レナは周囲を見渡し、少し開けた平坦な場所を指差した。
「あの辺りに拠点のベースを作りたいの。でも、邪魔な木や岩が多くて」
「退かせばいいんだな?」
言うが早いか、エドは黒い外套を翻して跳躍した。
空中で大剣が横薙ぎに一閃される。凄まじい衝撃波が森を駆け抜け、レナが指差した区画にあった巨木や大岩が、まるで紙屑のように吹き飛んで消滅した。
一瞬にして、数十メートル四方の完璧な「更地」が完成する。
「……やりすぎ。木材は後で建築に使うんだから、綺麗に切り倒してよ」
「ちっ、注文の多いやつだ」
トッププレイヤーによる規格外の整地作業にダメ出しをしつつ、レナは水音のする方へ歩き出した。
透き通るような清流。現実世界では絶対に触れることのできない、天然の冷たい湧き水だ。
彼女は先ほどエドに持たせていた『野犬のドロップ肉』を取り出し、欠けたナイフで素早く一口大に切り分けていく。
「エド、火を起こして。それと、そこの木の根元に生えてる先の尖った葉っぱを、むしれるだけむしってきて」
「俺は小間使いじゃないぞ……!」
文句を言いながらも、エドは言われた通りの葉っぱを山のように抱えて戻ってきた。
それは、現実世界でいうところの「野生のネギ」や「ニンニク」に近い、強烈な香味成分を持った植物だった。
即席で組んだ石の竈に、清流の水をたっぷり張った鉄鍋(エドのインベントリから提供させたもの)を乗せる。
沸騰したお湯に野犬の肉を放り込み、アクを丁寧に取り除きながら、ちぎった香味葉を大量に投入した。
グツグツと煮込むこと数十分。
森の清浄な空気に、抗いがたいほどに濃厚な「獣肉と香味野菜のスープ」の匂いが溶け出していく。
「……おい、まだか」
エドが焚き火のそばで、大剣を握りしめながら涎を垂らしている。その目は完全に、餌を待つ大型犬のそれだった。
「はい、お待たせ。野犬肉の香味煮込みスープだよ」
レナが木彫りの器にスープを注ぎ、手渡す。
エドはひったくるように器を受け取ると、火傷も気にせず、熱々のスープを一気に胃袋へ流し込んだ。
「――ッ!!」
男の目が見開かれる。
スラムで食べたハツの串焼きが「強烈な旨味の暴力」だとするなら、このスープは「圧倒的な調和」だった。
野犬特有の臭みは香味葉によって完全に消し去られ、むしろ食欲をそそる風味へと変化している。噛めばホロリと崩れるほど煮込まれた肉からは、濃厚な脂の甘みが溢れ出し、清流の水がそれをスッキリとまとめ上げている。
「美味い……ッ、なんだこれは、美味すぎる……!」
レベル計測不能の死神が、涙目になりながら木彫りの器の底を舐め回している。
その頭上には、またしても【HP・MP完全回復】【全ステータス+50%】という、ゲームバランスを崩壊させるバフのログが踊っていた。
「……ふふっ」
エドの食べっぷりを見て、レナは満足げに微笑んだ。
そして、エドが切り拓いた広大な更地を振り返り、力強く宣言する。
「決めた。ここに、私の『食堂』を建てる」
味覚を失った現実から来た少女の、壮大な夢の第一歩が、豊かな森の中で確かに刻まれた瞬間だった。




