21.南の国の呪いの姫と宝石と人助け⑨
翌日の朝、再び王宮を訪れた一行は、すぐにヘレナの治療に取り掛かった。この日は朝から目を覚ましたというヘレナは、前日の不調が嘘のようにしっかりと身を起こしていた。
「おはようございます、ヘレナ様。お加減はいかが?」
「……悪くないわ」
「ヘレナ」
ろくに挨拶もしないヘレナを、王妃が咎める。ヒースが朝から抜けられない会議があるとかで、今日は王妃が同席しているのだ。
母親に叱られた為か、ヘレナは素っ気なく「ご機嫌よう、リリアン様」と続ける。視線を合わせてくれないのは決まりが悪いからだろう。それに気付いた王妃が声を上げようとするのを、リリアンはそっと制した。
「わたくしは気にしませんから」
「ですが」
「それよりも、すぐに治療の続きを。早い方が良いのですって。ね、お父様」
リリアンが振り向いてみせるので、アルベルトは頷く。父娘にそう言われては頷くしかない。王妃はどうぞよろしくとだけ言って、その場から退がった。
この日はヘレナも大人しい。無理矢理眠らせずに治療を始めたが、横になったヘレナはすぐに寝息を立てた。状態が安定すると、体力を補おうとして眠りにつくのだと、アルベルトはそうリリアンに説明する。
「では、良くなっているということですのね」
「そうだな」
良かった、とリリアンは息を吐く。想像していたよりずっと回復しているようだ。
それに、治療の間もアルベルトが会話をしてくれる。それだけの余裕があるのだろう。
その後少ししてからアルベルトが黙ったので、リリアンも静かに作業を見守る。一度ヒースが顔を出したのだが、ヘレナが眠っていたこともあり彼はそのまま隣の部屋へ消えていった。
午前のお茶を断って、アルベルトは治療を続ける。
前日よりも集中しているのには理由があった。とっとと終わらせて、〝夜明けの女神のドレス〟をじっくり観察したかったのだ。
あれから色々考えていたが、いまいちグッと来るアイディアが浮かばなかった。いや、思い付いたものは全てリリアンに似合っていたが、どれも悪くはないけれど、新しく作るほどではないというか。
どうしてそんな物しか思い付かないのだろうか、とアルベルトは逡巡する。それで気付いた。光の中の美しいリリアンの姿はアルベルトの脳裏に焼き付いていたが、肝心の光の帯の方は背景と一体化していた。光の方を表現できないのはそれが理由だったのだ。
(私もまだまだだな、リリアンの美しさに目を奪われてしまうとは。いや、光の中の神秘的なリリアンに意識を持って行かれるのは当然なのだからそれはいい。そのリリアンが見ているものも完璧に記憶しなければな)
決意を新たにするアルベルトの気力は充分である。お陰で作業の方も引き続き順調であった。気合いが入っていた為に、昼には治療が完了したのだ。
「すごい……! 胸が苦しくないわ!」
「素晴らしい。魔力回路が健全な形に完全に戻っています! もう心配いらないでしょう」
「ああ、ヘレナ。本当に良かった……!」
目を覚ましたヘレナはもう白い顔をしていない。呼吸も落ち着いている。やつれているのはそのうちに良くなるだろう。
ヘレナの主治医がそう言えば、王妃はああ、と泣き崩れる。
「ヴァーミリオン公、本当に……本当にありがとうございます」
嗚咽混じりのその声にリリアンも胸を詰まらせる。が、感謝の言葉を述べられたアルベルトがそれに関心を向けた様子はなく、なんの反応もしないのでリリアンは慌てる。
「無事治療が済んで良かったですわ」
ええ、と返す王妃は、アルベルトが無視したのも気にしていないようだった。それだけ安心したのだろう。
目元を拭い、すっと姿勢を正した王妃は、改めてリリアン達に頭を下げた。
「御息女にもお礼を」
「お礼だなんて、そんな。わたくしは何もしていません」
「そんな事は。ヘレナを勇気付けて下さったと聞き及んでおりますわ」
「その通りだ。リリアンを崇め奉るといい」
「お父様」
話がリリアンの事になった途端、アルベルトが口を開く。が、突然そんな風に言うものだからリリアンは驚いた。
リリアンがした事と言えば、ちょっと話しただけ。それもヘレナが聞き届けてくれたわけでもない。それ以外はアルベルトが作業しやすいようにと振る舞っていただけだ。本当に、ヘレナのためになる事はしていない。
お礼なら父に——リリアンはそう言おうとしたのだが、ぽつりとヘレナが呟いた。
「そうね、その通りかもしれない」
「ヘレナ様?」
何と言ったのか分からなくて、リリアンは身を屈める。するとヘレナは上目遣いにリリアンを見上げ、こう言った。
「リリアン様……あの、お姉様とお呼びしていい?」
「は?」
ぴくりとアルベルトがそれに反応する。リリアンは、どう返したものかと瞬くばかり。王妃はあまりの事に驚いて身動き一つ出来ない。
リリアンを見上げるヘレナの頰は紅潮している。羨望を含んだ期待に目を輝かせる姿は、さっきまで死にかけていたとは思えない。
その切り替えの早さと気力の回復力は若さ故か。それはともかくとして、あまりに不遜な発言にアルベルトの機嫌は急降下する。
「突然なんだ、このガキ」
「あんたには何も言っていないわよ!」
「へ、ヘレナ。何を」
しかも、ヘレナはアルベルトに対してそんな事を言うものだから、はっと正気に戻った王妃は一転して青褪める。嗜めるように娘を呼ぶが、ヘレナが王妃を向く事は無かった。まだ呆然としているリリアンの手を握り、うっとりとした眼差しでリリアンだけを見ている。
「リリアンお姉様が居てくれて、どれだけ心強かったか」
「ずっと眠っていただろうが」
「お、お父様」
「うるさいわね! 言葉の綾ってやつよ!」
「ヘレナ!」
勝手にリリアンの手を取ったヘレナにアルベルトは青筋を立て、野次を飛ばすアルベルトをヘレナは睨み付ける。両者の間に剣呑な空気が流れて、リリアンは父を、王妃は娘をそれぞれ宥めるが、二人は間に火花が散りそうなくらい睨み合っている。
自分を慕ってくれるのは嬉しいが、アルベルトに対する態度はちょっと抑えて貰いたい。地位的にどちらが上とも言いづらいが、アルベルトは他国の王族であっても、機嫌を損ねるような事があればどんな手段をも用いる。気に入らないからという理由だけで排除したりはしないが、一度でもヘレナが無礼だと感じれば、簡単に実行するだろう。
「ええと、ヘレナ様。わたくしをそう呼ぶのは構いませんわ。でも」
「優しいリリアンお姉様。外面だけのスターシャとはまるで違うわ!」
アルベルトに対する態度は改めるように、というリリアンの言葉は、きらりと目を輝かせたヘレナの勢いで掻き消されてしまった。
「ねえ、いつまで滞在なさるの? どこに滞在されているの? たくさんお話ししたいわ。お姉様が普段どんな風に過ごされているか教えてちょうだい。そうだ、あたしの部屋に泊まって! そうしたら一晩中お話しできるもの。ね、いいでしょ?」
「それはいけません。ヘレナ様は重篤な状態から回復なさったばかりなのですよ」
「もう平気よ! とっても調子が良いんだから」
「でも……」
諌めるリリアンだったがヘレナは聞く耳を持たない。どうしましょう、と視線をクラベルに向けるが、義姉は曖昧に笑って肩を竦めるばかり。当のリリアンが言っても聞かないのだから、クラベルから言っても無駄だろう。王妃は完全に顔色を無くしてしまっている。どれだけ呼んでも、ヘレナが母親を向く事はなかったのだ。
こうなったら医師から止めて貰うしかないと思ったが、主治医の男は縮こまってしまっている。まあ、尊い身分の方々の会話に口出しできないし、主人である王族から黙れと言われてしまったら従わざるを得ないだろう。それに、止める理由が無いのかも。ヘレナの言葉通り、すっかり顔色の良くなった彼女は、今朝まで寝たきりだったのが嘘のように元気いっぱいだった。
これはもうきつい言い方をしてでも止めるべきか——リリアンがそう逡巡した時、すぱんとヘレナの手が叩き落とされた。
「許可するとでも思うのか、無礼な小娘め。リリアンから離れろ」
アルベルトがやったのだと、後ろから体を引き寄せられてリリアンは理解した。音は派手だったが大した痛みはないらしいヘレナが、呆然と空いた手を見ている。
が、そうしていたのはほんのわずかな間だけだった。すぐに顔を上げたかと思うと、キッとアルベルトを睨み付ける。
「何よ、いいじゃない! あんたが治したんでしょう、ちょっとくらい夜更かししたって平気よ!」
「貴様の体調は無論完璧だとも。私が許可しないのは、リリアンと親しくする方だ! 礼儀のなっていないクソガキなどリリアンの害悪にしかならん。リリアンの近くに寄るな、視界に入るな。会話などもっての外だ、身の程を知れ!」
「リリアンお姉様があたしなんかに影響されるはずないじゃない!」
「その通りだがちょっと会話したくらいでリリアンを理解した気になるんじゃない!」
そうして始まる応報。突然賑やかな声がしたものだから、顔を出したマクスウェルは罵り合う二人に「え、子供同士のやりとり?」と目を丸くし、同じく部屋を覗くヒースは以前のようなヘレナの姿に「元気そうで良かったぁ」と涙を滲ませる。硬直する王妃と主治医を含め、非常に混沌としていた。
そんな中、こほん、と咳払いがひとつ響く。騒がしい中で妙にはっきり聞こえたそれはリリアンが発したもの。全員が黙ってリリアンへと視線を向けた。
「ヘレナ様。わたくしの父はトゥイリアース王国の公爵家当主です。いくらヘレナ様が王女と言えど、相応の態度というものがございます。それに、淑女はそのような言葉遣いを致しません」
リリアンの言葉にヘレナはうぐ、と息を呑む。それを横目にするアルベルトはふふんと笑うが、続く言葉にすぐにそれを引っ込める事になる。
「お父様。わたくしはヘレナ様と友人になりたいと思っていますので、許可して下さらない?」
「んぐっ!?」
まさか、お願いする形で来るとは。思いもよらぬリリアンからのお願いに息を詰まらせるアルベルト。けれども、お願いとあっては許さないわけにはいかなかった。
「り、リリアンが……そう、言う、なら……!」
「むちゃくちゃ不本意みたいな顔しないで下さらない、お綺麗な顔が台無しですわよ」
ヘレナは左の口の端を持ち上げ、そんなアルベルトを笑った。一応、言葉遣いだけはそれらしく聞こえるものの、言ってる事はなかなか大胆である。
なんだか妙だ。そもそもなんでそこまでの言い合いになるのか。ヘレナとアルベルトを見て、マクスウェルは首を捻った。
「あの二人、相性悪いのかな」
それには同じく扉から入ってきたレイナードが答える。
「いや、逆だと思う」
「逆?」
「精神年齢が同じくらいなんだ、多分」
「お、おお……」
寝室では、唸り声を上げるアルベルトと眦を吊り上げるヘレナとがまだ睨み合っていた。
「そいつは、対等だな……」
マクスウェルは頰を引き攣らせる。
争いは同程度の相手としか起きない。つまりはそういう事だろう。叔父は自分の母親ともよくああして言い争っている姿を良く見るなとふと思ったが、気付かなかった事にした。
それはそうと王女はかなり元気な様子だ。あれを見る限りは本当に心配いらないような気がする。そう思い主治医へと目を向ければ、彼は戸惑ってはいるが不安そうにはしていない。顔色が良くなっているのは彼も同じだった。
ヒースも、それから王妃も、娘の様子に驚いてはいるものの、表情は晴れやかだ。
「ヒース陛下、良かったですね」
そう声を掛ければ、ヒースは振り返って笑顔を浮かべる。
「うん。アルベルトにはお礼を言わなくちゃな」
良かった良かったと、ヒースは頷く。目の前の光景はとてもではないがそんな微笑ましいものではなかったのだが。いや、元気に罵り合う姿は、ある意味で仲良さそうにも見える。それを都合よく解釈すればそうなるかなと、マクスウェルはそういう事にしておいた。




